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そっと頬に手を当てられて、心臓が高鳴った。
唇を指でなぞられて、まさかという期待に胸を膨らませる。
物欲しげに見つめてくるその瞳に煽られて、閻羅はルンフェイに口づけをした。
息をするのも忘れて、閻羅はルンフェイに唇を重ねていた。
永遠のように感じられたその瞬間を、堪能するように瞳を閉じていると、ルンフェイの体が震えたのが分かった。
「ルンフェイ……」
そっと唇を離して顔を覗くと、ルンフェイの顔は見事なまでに真っ赤に熟れていた。
信じられないという顔をしながら、カタカタと震えるルンフェイを見て、閻羅は瞳を瞬いた。
ルンフェイが誘ったのに、何故か動揺していると。
(……可愛い)
閻羅はそんなルンフェイに気を良くすると、ふっと笑って、再び唇を重ねた。
「……っ」
息を呑む音がして、ルンフェイも目を瞑ったのが分かった。
抱き寄せた体は強ばって震えていて、閻羅は自信の胸が、幸せに満ちていくのを感じた。
(ルンフェイ、……ルンフェイ、可愛い……。ああ、こんなにも柔らかいとは……)
ルンフェイの華奢な体を抱きながら、唇の柔らかさを感じつつ、甘やかな口づけを交わす。
こんなに幸福なことがあろうとはと、閻羅は何度も唇を重ねた。
(もう一度、……もう一度だけ)
不思議だった。
何度重ねても、もう一度と思ってしまう。
いっそ突き飛ばされるまでこうしていようと、閻羅は更にルンフェイを抱き寄せた。
「……っ! ……んむ!?」
ルンフェイは思わず声をあげた。
驚きを含んだその悲鳴を聞いた閻羅は、しかし口づけを止めなかった。
(可愛い……ルンフェイ、ルンフェイ……ああ、なんて愛らしいのだ……)
「ん……、えん、ら……さまっ……」
角度を変えるために唇を離す、その一瞬の間に紡がれる短い悲鳴に、閻羅は胸を高鳴らせた。
合わせているだけとはいえ、いつまでも終わらない口づけに、ルンフェイは耐えられなくなってきた。
「い、いやです……!」
もうされないようにと顔を逸らし、俯くように閻羅から逃れた。
また口づけられてはかなわないと、ルンフェイは閻羅の腕からも出ようとしたが、抱き寄せる力が強すぎて、抜け出ることは出来なかった。
「……ルンフェイ」
閻羅は片手でルンフェイの顎を掴むと、上を向かせた。
そのままそっと顔を近づけて、再び口づけを迫ろうとした。
拒絶を示したのに再び迫られて、ルンフェイは目を瞠った。
常ならぬ閻羅の強引な行動に、ルンフェイは怯えた。
「……閻羅様!」
そして普段は出さぬ大声を、腹の底から死ぬ気で出した。
どうしていきなり口づけをされたのだろう。別れたいのではなかったのか。ルンフェイの贈ったクッキーの意味を、汲み取ってくれたのではないのだろうか。
そして、何故そんな見たこともない顔で、ルンフェイに再び口づけを迫るのだ。
「私、貴方が好きじゃありません!!」
ルンフェイは混乱していた。
閻羅に突然口づけされて、初めての感覚に驚いてもいた。
だから、ここでこれを言ってしまったのは、仕方の無いことだった。
「別れてください!!」
叫ばれた離別の言葉に、燃え上がっていた閻羅の情熱は一気に沈められた。
***
別れの言葉を口にして、ルンフェイは逃げるように執務室から飛び出した。
一度も振り返ることなく、全速力で冥府の廊下を走り抜けた。
(今のは……、今のは、なに……!?)
閻羅にされた口づけの、その感触を思いだし、ルンフェイは心臓がばくばく脈打つのを感じた。
走っているせいだけではない、この胸の動悸に戸惑いながら、ルンフェイは人生で一番、全力を出して走った。
動揺しすぎてきっと顔も赤いはず。
こんな顔で、こんな気持ちで、仕事になんて戻れない。
ルンフェイはその日は休むことにして、家まで疾走した。
***
「はあ……、はあ……」
息を切らしながら家に駆け込んで、閉じ籠るように鍵をかけた。
ずるずると床に沈み込み、ルンフェイは考えた。
(口づけ……口づけをされてしまったわ……)
いったい何故。
どうして、どういう流れであんなことに?
ぐるぐると考えていると、どんどん顔に熱が集中していった。
「ちょっと待って、なんであんなことされたの……?」
別れ話をするつもりだった。
そういう雰囲気になったと思ったのに、何故か閻羅はルンフェイに口づけたのだ。
「まって、まって……」
ルンフェイは両手で顔を覆った。
恥ずかしくて堪らなかったが、取り敢えず状況を整理しなくてはいけない。
「私あのとき、なにをしてたのだったかしら……?」
あのときルンフェイは、別れ話を切り出そうとして閻羅にクッキーを差し出した。
「あなたは私のお友だちです」という意味を含んだクッキーならば、気持ちが伝わるかと思い立ち、なおかつ話を切り出しやすくなるかもと贈ったのだ。
それと一緒に熱々の緑茶も差し出した。
すると、あまりの熱さに閻羅が唇を火傷してしまった。
跡になっては大変だと思い、ルンフェイは急いでその火傷を確認しようとした。
そのために至近距離まで近づいて、恥ずかしさを堪えながらも閻羅の唇にそっと触れたのだ。
そこから閻羅の様子がおかしくなった。
そこまで思い返して、ルンフェイはふと気がついた。
「……私のせいなの?」
客観的にかえりみてみると、一連の行動がまるで口づけを求めているような仕草ではないかと気づいたのだ。
ルンフェイも、もし閻羅に唇をなぞられたら、口づけをされるのかと身構えるだろう。
もしや閻羅はルンフェイが口づけをしたいと思っていると、思ってしまったのだろうか?
「違うのに……!」
ルンフェイはがばっとうずくまった。
ルンフェイはそんなはしたない女ではない。
閻羅にそんな風に誤解されるなど死んでも嫌だったが、もしかしなくてもそう思われたのだろう。
(……だからあのとき閻羅様はあんなことを……?)
あのとき。口づけをされる直前に閻羅はルンフェイに言ったのだ。
ーーーお前もそれを望んでくれるのだな……。
あの熱っぽい瞳を思いだし、ルンフェイは顔から火が出そうになった。
羞恥に悶えながら顔をぶんぶん振って、何とか落ち着こうとした。
クッキーの意味は伝わっていなかったのだ。
ただ、ルンフェイに口づけを求められたと思った閻羅に、ルンフェイが口づけをされた。
(わたしのせいじゃない……!)
つまり閻羅はまだルンフェイを好いていてくれているのだ。
別れたいどころか、口づけをしたいと思ってもらえるくらいには、閻羅はルンフェイを好いている。
「閻羅様……」
突然の口づけには驚いたが、嫌ではなかった。
羞恥と動揺が先に立ち、つい振り払ってしまったが、もし次に求められたなら、ルンフェイは応じてしまうだろう。
「やっぱり、きちんと言わなくては……」
ルンフェイの気持ちを、これからのことを。
最初は別に好きではなかった。
突然恋人にされてしまい、とにかく別れを告げなくてはと必死だった。
けど、今は違う。
最初の頃の気持ちを告げて、そして今のルンフェイの気持ちも知ってほしい。
そう思っているのだ。
ルンフェイはもう閻羅のことが好きだった。
だからこそきちんと伝えたい。ルンフェイのことを、ちゃんと閻羅に知ってほしいのだ。
(お友だちから……いいえ。許されるなら、恋人としてまた一からやり直したい)
ルンフェイのそんな我がままを、閻羅は聞いてくれるだろうか。
きっと聞いてくれるはず。
大丈夫、今度こそちゃんと言える。
閻羅の口づけに勇気を貰い、ルンフェイはもう一度決意した。
あんなに想ってくれているのだから、きっとルンフェイの願いに寄り添ってくれるはずと。
そのためにも、きちんと伝えなくては。
別れたいのだと。そして、最初からやり直したいと。
「…………あら?」
ルンフェイは首を傾げた。
そして、先程の言動を再び思い返す。
閻羅に口づけされて、動揺し、逃げるように立ち去る間際、自分がなに言ったのかを。
ーーー私、貴方が好きじゃありません!! 別れてください!!
言っている。
最悪の台詞だけを、もう言ってしまっている。
そして肝心の言葉を伝えていないと、ルンフェイは一気に青冷めた。