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それは今から数ヶ月前のこと、ルンフェイはお昼休みに冥府を訪れていた。
いつもなら輪廻の輪の管理職の事務所で食べるのだが、今日は冥府の役人に転生者の記録表を出さなくてはならない日だったので、冥府で食べさせてもらおうと思ったのだ。
「広いです……」
書類を受け付けに提出し、適当にどこかで食べてしまおうと、さ迷っているうちに迷子になってしまった。
「ここは、どこでしょう」
ルンフェイはポツンと立ちすくんだ。
冥府のどこかの庭なのだと思う。
しかし、冥府に庭は多い。
建物内に中庭があったり、東西にもそれぞれ庭園がある。
冥府は広い。それに比例して庭も広い。
自分が今、どこの庭にいるのかさえ分からない。
ルンフェイは途方にくれた。
「小鳥さん、ここはどこですか? 」
近くの木に止まっていた小鳥に話しかけてみるが、返事が帰ってくるわけも無かった。
どうしようかと、うろうろしていると、声をかけられた。
「何をしている」
凛とした声に振り返ると、銀髪の青年が立っていた。
金色の瞳に見つめられて、あまりの迫力にルンフェイは言葉を失った。
「……何を、しているのかと聞いている」
暫く見詰め合っていると、痺れを切らした青年にもう一度尋ねられた。
「あ……えと、ご飯を食べようと思ったのですが、ここが何処なのかわからなくて……」
ルンフェイが素直に答えると、青年は黙ってしまった。
「あの……? 」
「……食堂に行きたいのか? 」
「いえ、どこか休める場所はないかなと……。お弁当があるのですけど、よい場所が見つからなくて」
「………来い」
「え……」
青年はくるりと向きを変えると歩き出した。
来いと言われた。ならば、ついて行った方が良いのだろうか。
「来いと言っている」
「……! はいっ……! 」
再度うながされて、ルンフェイはパタパタ走ると、青年の背中を追い掛けた。
しばらく後ろをついて歩きながら、ルンフェイは考えた。
この青年は、ルンフェイを何処へ連れていく気なのだろう。
ほいほい付いてきてしまったが、大丈夫だろうかと。
事務所の人たちに、知らない人に付いて行っちゃダメよと、言われたことを思い出して、ルンフェイは迷い始めた。
(今からでも帰った方がいいのでしょうか……。でも、道が分かりませんし……)
元の入り口に戻る道も、すでにルンフェイは分からなかった。
「入れ」
「……はい、失礼します」
青年はある部屋の扉を開けると、ルンフェイに中へ入るようにうながした。
ルンフェイはぺこりとお辞儀をしながら部屋へと入っていった。
「……ここは? 」
随分立派な部屋だった。
豪華な机と椅子、他にも煌びやかな家具が置かれ、貴人が住まう部屋だと一目で分かった。
取り分け目を引くのは、机の上に置かれた山積みの書類である。
(誰かのお仕事部屋よね……? すごい書類……)
じっと書類を見ていると、青年がその机に座った。
「ここで食べるといい。……他にも部屋はあるが、役人達が使っているからな、お前には向かないだろう」
「え……いいのですか? 」
部屋の主人は青年だったらしい。
「構わない。……お前、名前は? 」
「ルンフェイと申します。……輪廻の輪の管理人をしております」
ルンフェイはぺこりと頭を下げた。
それから満面の笑みを青年へと向けた。
「ご親切にありがとうございます。……あの、あなた様は……」
「私を知らないのか……? 」
「え? はい、すみません……」
有名人なのだろうか。
驚きに目をみはる青年に、ルンフェイは申し訳なさそうに謝った。
「私は閻羅だ」
「閻羅様。……閻魔大王様と同じお名前ですね、閻羅様はもうお昼はお済みですか? 」
昼食の時間のはずなのに、書類に筆を走らせる閻羅にルンフェイは聞いた。
「いや、そんな暇は無い」
書類が溜まってるからなと、閻羅は書類を捌きはじめた。
「……お腹空きませんか? 」
「別に。……暫く食べていないからな、何ともない」
ルンフェイは驚いた。
冥府の役人と言えど不死ではない。
普通に怪我をするし、病も得るし、あとお腹も空く。
「それは、大変です……! 」
腹が減っては戦は出来ぬ。
仕事は戦。
ルンフェイは三食きちんと食べなくては仕事がままならないタイプの人種だった。
「宜しければ、こちらをどうぞ、閻羅様」
ルンフェイはそっとタコさんウィンナーを差し出した。
「お仕事がお忙しいなら、私がお食事のお手伝いを致します。……はい、どうぞ」
箸でウィンナーをつまみ上げ、ルンフェイは閻羅の口元へ運んだ。
閻羅は目を見開いて、ルンフェイとタコさんウィンナーを交互に見比べた。
「ここまで連れて来ていただいたお礼に……はい、あーん」
閻羅は呆然としながらもタコさんウィンナーを食べた。
それから書類の片付けをする閻羅と、ルンフェイは、自分のお弁当を半分こにして食べたのだった。
「閻羅様、これは自信作なんです。どうぞ」
「……あ、ああ」
「こちらも。これは母直伝のハンバーグです」
「うむ……大義である」
閻羅は戸惑いながらも、ルンフェイの手から与えられるお弁当を平らげた。
***
「わざわざ送っていただいてすみません……」
冥府の入り口まで送ってもらい、ルンフェイは閻羅に頭を下げた。
「構わない」
「今日はお世話になりました。……今度またお礼をさせてください」
「お礼……」
「はい」
おすすめのお菓子でも包んでこようと、ルンフェイは閻羅に会える日を尋ねた。
「閻羅様、また会ってくださいますか? 」
閻羅は固まった。
ルンフェイの顔をじっと見詰めると、それからすぐそっぽを向いた。
耳元を赤く染めながら、閻羅はなんとか言葉を絞り出した。
「明日……」
「明日……? 」
ばっと再びルンフェイに向き直ると、閻羅は高圧的に言い放った。
「明日、またここに来い。同じ時間にだ。……また、その弁当を持ってこい」
気に入ってくれたのだろうかと思い、ルンフェイは首を傾げた。
「お弁当でいいんですか? 」
「そうだ。まさか、断るつもりか? 」
「いいえ、とんでもありません」
ルンフェイはふるふると首を振った。
「では、また参ります、閻羅様」
ルンフェイはふわりと笑うと、閻羅に背を向けて歩き出した。
***
輪廻の輪の事務所に戻ってくると、ルンフェイは同僚に心配された。
「ルンフェイ! 遅かったわね、何してたのよ」
「ごめんなさい、迷ってしまっていたんです。……冥府って広いんですね」
「あーー、そうね。広いわよね、あそこ」
わかる、わかると頷かれ、ルンフェイは先程の出来事を嬉々として語った。
「でも、お優しい方がいたんですよ。迷っていたら案内してくれて、一緒にご飯を頂きました」
「えっ、冥府の高官と!? いいなー! イケメンだった!? 」
この同僚は、かなりの面食いであった。
冥府勤めは出世街道まっしぐらのエリート揃いばかりだ。
あの閻羅と言う青年もきっとそうなのだろうとルンフェイは思った。
黄泉の隅っこで事務所勤めをしている、輪廻の輪の管理人にとは、住む世界が違うのだ。
「イケメンかどうかは……。閻羅様とおっしゃる方で、少し恐かったですが、とても良くして頂きました」
人の美醜を気にして過ごしていないルンフェイは、同僚の言葉を適当に流した。
閻羅は凄絶な美形なのだが、ルンフェイには関係の無いことだった。
「え、閻羅様にお会いしたの? 」
ルンフェイの同僚は愕然とした顔をした。
「閻羅って、あの閻羅様よね? 閻魔大王様……」
「いえいえ、同姓同名の方ですよ、きっと」
ふわふわした返答をするルンフェイに、同僚は顔面蒼白になった。
「そんな訳無いでしょ!? それ、正真正銘、閻羅様よ! 閻魔大王様よ!! 閻魔大王様になる方だけが、そのお名前を付けられるのよ!? ルンフェイそんなことも知らないの……!? 」
冥界の常識でしょうが!と、同僚は思わず叫んでいた。
「……え」
「え、じゃない!!! 何にも粗相しなかった!? 無礼は働いてない!? ねえ、大丈夫なの!? 」
「え、えと……えと、ですね……」
色々やらかした気がすると、ルンフェイは真っ青になっていった。
「ぽやぽやした子だとは思ってたけど、ここまでだったなんて……! 」
まさか閻魔大王の名前も知らないなんてと、同僚は頭を抱えた。
「あの、明日またお会いするんです……。その時、ちゃんと謝ってきます……」
「……ちゃんと菓子折もってくのよ? 」
「はい……」
「良いお店も、紹介するわ……」
「はい……あの……」
「なに? 」
ルンフェイはふらふらしながら考えた。
冥界の王に案内をさせた。
冥府の最高裁判官に弁当を恵んだ。
案内をさせたことは罪になりますか? 弁当を食べさせたことは不敬に当たりますか? これって懲役何年になりますか?
ルンフェイは絞り出すように同僚に告げた。
「今まで……お世話になりました」
断頭台に上る気持ちで、ルンフェイは翌日冥府に向かうのだった。
***
その翌日のこと、ルンフェイは閻羅に、約束通りお弁当を献上した。
冥界一、人気の高い高級和菓子店で菓子折も買い付け、準備万端に頭を下げにいくと、閻羅はルンフェイにこう言ったのだ。
「申し訳ないと思うなら、これからも毎日、私に昼食を持ってこい」
「……そ、それは、高級食材を献上せよということですか……? 閻羅様がそう仰るなら、仰せの通りにいたしま……」
「普通の手弁当で良い」
懲役は免れるのかと、ルンフェイは少しだけ顔色を良くして閻羅を見上げた。
そして、続いて紡がれた一言に、ルンフェイは愕然とした。
「こ、……恋人同士は共に食事をするものだろう? 明日から毎日、ここで食事をすることを許す」
何を言われたのか一瞬理解できなかった。
「こ……い、びと……? 」
「そうだ。……結納は半年後だ。もう少し早くしたかったのだが……諸々手続きがあってな」
「ゆいのう……? 」
どこまでも冷めた顔をしながら、閻羅はとんでもないことを口にしはじめた。
「嫌なのか……? 」
怒りを孕んだその目付きに、ルンフェイは肩を震わせた。
「いえ……びっくりして……」
「そうか」
ルンフェイは、ただただ頷くことしか出来なかった。
これは夢なのか? 夢ならどうか覚めてくれと、ルンフェイは必死で目を瞬かせた。
「……恋人同士は、こうして手を繋ぐのだろう? 」
閻羅はルンフェイの手をそっと握った。
夢ではない現実の感触に、ルンフェイの顔は青くなった。
「後悔はさせない、大切にすると約束しよう。……ルンフェイ」
そっと抱き寄せられて、ルンフェイは訳が分からなくなった。
ただ一つ分かるのは、この腕からもう逃げられないと言うことだけだった。