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「判決を下す」
凛とした青年の声が部屋中に響き渡った。
青年は銀色の髪を揺らし、黄金の瞳を罪人へと向けた。
「その罪人は地獄行きだ。……焦熱地獄で己の罪を贖うがいい」
当代の閻魔大王の任を預かる閻羅と言う青年は、冷めた目付きで罪人を見ると、無情にそう言い放った。
判決を言い渡された罪人は、地獄の獄卒に引き立てられていった。
ここは冥界。冥府に存在する閻魔大王の法廷。
現世で命を落としたものは、ここ冥界へ辿り着くと七度の審判にかけられる。
その最後の審判に、閻羅王みずから裁きを下し、罪の重さに応じて、六界のいずれかへの輪廻転生を命じられる。
いましがた引き立てられた罪人は、地獄界への判決を言い渡された。
これから焦熱地獄で永い間、罪を償うこととなる。
***
巡りめぐる輪廻の輪に乗り、魂は転生を繰り返す。
繰り返す転生先の世界を決めるため、閻魔大王が七度の審議の後にその審判を下す。
また、死した魂が生前の罪を償い、洗い流せるようにと様々な道が敷かれていた。
地獄は罪を償うためにある。
地獄行きを定められた者は、永い時を贖罪に費やすこととなるが、その果てにようやく転生を許されるのだ。
この冥界はそのように出来ている。
死者の魂の辿る道の先に、輪廻の輪がある。
死者の魂を乗せて循環する輪をルンフェイは静かに見詰めた。
「今日はなんだか転生者が多いです」
輪廻の輪に乗る魂がとても多い。
ここ連日そうなのだが、裁きを下す閻魔大王がひっきりなしに罪人や死人に、転生先の六界の判決を下すので、毎日とてつもない数の魂が転生を果たしている。
ルンフェイは麦わら色の髪を揺らして立ち上がった。
今日も今日とて、裁きを下す閻魔大王が無茶な人数の魂を裁いているのだろう。
そして無茶をする理由を知っているルンフェイは、頭を抱えたくなった。
今日もその閻魔大王、閻羅に会わなくてはならないのだ。
「……そろそろ言わなくてはいけませんね」
ルンフェイは覚悟を決めた。
今日こそ本当のことを告げるのだと。
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「先程のお裁き、お見事した閻羅様」
閻魔大王の書記官である司録は閻羅を褒め称えた。
閻魔大王は世襲制だ。
数年前に閻魔の名を拝命した閻羅は、先代に負けず劣らず優秀な裁判官として日々名を上げていた。
二十二歳と若いながらも閻魔大王の役目をきっちり果たしていると、冥府では評判であった。
「あと何人だ」
「本日はあと百名ほど残っております。……人界行きが六十四名、畜生界行きが十六名、修羅界行きが二十名となっておりますね」
優秀な司録がこれからの日程を告げてくれる。
「この後はご昼食となっておりますが……如何いたしますか? いつものように執務室でお召し上がりになられますか? 」
閻羅は頷きながら歩いた。
「……次の法廷は何時だ? 」
「午後三時からです」
「それまで誰も近寄らせるな」
閻羅はそう言うと、司録と司命を置いてさっさと歩いて行ってしまった。
「行ってしまわれましたね」
司命がぽつりと呟いた。
「ええ。……いつものことですね」
司録は深く頷いた。
わざわざ時間を作ってまで、閻羅はこうして執務室に籠りきりになる。
執務室に誰も近寄らせるなと命じられては、司録と司命は傍に寄ることが出来ない。
それも仕方の無いことだった。
若き閻魔大王には、一人の恋人がいる。
閻魔大王、閻羅はその恋人を大切にしており、こうして昼食の時間を必ず共に過ごすのだ。
今日もその恋人のために、忙しい合間を縫っては時間をつくり、一時の逢瀬を楽しむのだろう。
***
ルンフェイは冥府の法廷にやって来た。
人気の無い廊下を通りすぎ、誰もいないことを念入りに確認して閻魔大王の執務室の扉を叩いた。
「入れ」
凛とした声が、短く返事をする。
ルンフェイはそれを聞くと、そっと部屋の中へと入っていった。
「こんにちは、閻羅様」
執務室の椅子に座っていた閻羅に、ルンフェイはぺこりと頭を下げた。
頭を下げられた閻羅はじろりとルンフェイを見下ろした。
「……遅いのではないか? 私を待たせるなど地獄行きもいいところだぞ」
「すみません、ちょっと遠くて……」
「そんなに時間を守れないなら、次はお前の職場にまで行くぞ」
「いえ、そんな……。次は早めに来ますので、それだけはお許しください」
閻魔大王が輪廻の輪の管理人が勤める事務所に来るなど、大事になってしまう。
わざわざ遠い事務所から足を運び、誰にも見られないようにここに来ていると言うのに、そんなことをされれば、今までの努力が水の泡になってしまう。
ルンフェイは素直に謝ると、手に持っていた包みをそっと手渡した。
「お弁当です」
「……ご苦労」
閻羅は素っ気なくそう言うと、ルンフェイから弁当を受け取った。
包みを開いて弁当箱を開けると、閻羅はその弁当をじっと見詰めた。
品定めするかのような視線に、いつものことながらルンフェイは冷や汗を流した。
「……ふっ。実に庶民的だな」
閻羅は鼻で笑いながら卵焼きを箸で掴んだ。
「……すみません」
ルンフェイはしゅんとして謝った。
冥府の王となるべく生まれた閻羅と、冥界の一役人であるルンフェイでは、生まれも育ちも雲泥の差である。
生まれたときから高級食品ばかり食べてきた閻羅に、庶民の弁当が口に合う訳がないのだ。
何故わかりきっている事実をわざわざ告げるのか。
「甘いな」
卵焼きを食べるなり閻羅はそう口にした。
顔をしかめて言っているあたり、好みではなかったらしい。
ルンフェイは落ち込んだ。
「次はだし巻きにします」
「……そうか」
興味無さげに聞きながら、閻羅は春巻きに手を伸ばしていた。
「……あの、閻羅様」
「なんだ」
春巻きを咀嚼して、閻羅はルンフェイを振り返った。
「……その、これからのことなんですけど……」
「結納のことか? あと四ヶ月だな」
「……そ、そうですね、そのことなんですけど……」
現実を突きつけられてルンフェイは震えた。
ルンフェイは閻魔大王、閻羅の唯一無二の恋人だった。
二ヶ月前にお付き合いを始め、四ヶ月後に結納も控えている。
「ちょっと、早いかなと、思うのですが……」
ルンフェイは冷や汗を流しながら話を続けた。
「普通だろう」
ギロリと睨み付けられて、ルンフェイは更に落ち込んだ。
しかし諦めるものかと、ルンフェイは再び顔を上げた。
「……閻羅様」
「………なんだ」
今度こそは伝えるぞと、ルンフェイはじっと閻羅の瞳を見詰めた。
「その、私ですね……」
この二ヶ月間言えなかったことがある。
今日こそ、それを言うのだと、ルンフェイは腹に力を込めた。
「閻羅様のことを………」
頑張って、頑張れ自分と、己を鼓舞しながらルンフェイは言葉を紡いだ。
閻羅の真面目な視線に耐えられず、ルンフェイは俯いた。
「好き………」
ルンフェイは、小さく言葉を紡いだ。
これだけでは駄目だ。
この先を続けるのだと、震える喉に力を入れて、何とか続けようとした。
好き、じゃないんです、別れてください。
そう言えば終わるのだ。
この関係を終わらせると、ルンフェイはこの二ヶ月間、毎日毎日それだけを考えながら過ごした。
この偽りの関係を終わらせる。
だって、ルンフェイは別に閻羅のことなど、好きでも何でも無かったのだから。
「……私もだ、ルンフェイ」
閻羅はそっとルンフェイを抱きしめた。
ルンフェイは目を見開くと、そのまま何も言えなくなった。
(また……、また私、言えなかったわ……)
言葉は冷たいのに、抱きしめてくる腕はあたたかい。
その温度差に躊躇いを覚えながら、ルンフェイは何度も抗おうとした。
(ごめんなさい閻羅様、ごめんなさい……)
閻羅はそっと腕を解くと、ルンフェイの持ってきた弁当から卵焼きを箸でつまみ上げ、ルンフェイに食べさせた。
「中々の出来だ。……明日も楽しみにしているぞ」
ほんの少しだけ笑って見せる閻羅に戸惑いながら、ルンフェイは頷いた。
輪廻の輪の管理人であるルンフェイと、冥府を取り仕切る閻魔大王の婚約は、この弁当から始まった。