第八十六話 ホワイトデーの醜い争い-前編-
如月大我は悩んでいた、愛する人から気持ちの籠った物が貰えるのは何物にも代え難い至福である。それに初めて気づけたのが先日のバレンタインデー、妹である如月イズミから受け取った白菜とキュウリの浅漬けがきっかけであった。冗談を言ってる訳では無く文面そのままの物を受け取ったのだ
しかし、与えてばかりだった日常の中で妹からなにか贈り物をされた事なんか無く、返礼品としてこちらも同等の…いや、その喜びすらも上回る何かを返さねばと意気込んで例の人達と待ち合わせた。いつもは人の足を引っ張る事しか出来ない彼女らにも今回ばかりは期待している。なにせ人生において与えられてばかりの面々なのだから
「大我ちゃ~んお待たせ~」
「ふふふ…待ちに待ったホワイトデーだね大我クン!」
「今日はイズミちゃんが優先だろうが、落ち着け」
イズミの母・神田朝陽。唯一の既婚者である彼女は俺の父でもあり夫の神田慶二から、交際期間や婚約の際に贈り物を受け取った経験が有るだろう。その時にどういった類の物が嬉しかったかを参考にさせて貰うつもりだ
そして次に厳島カガリ。遺伝子上の実母であり金の亡者、欲望に忠実な人間の終着点。ここまで来てしまっては終わりだろうと感じるほどの貪欲さに、新たな視点からの知見を得る事が出来るかと今回は選出した
最期は俺の産みの親三沢晴香だ。若い頃はかなり遊んでいたらしいがこの中でも指折りの常識人であるため一般的な第三者視点の意見が聞きたいと思うならば、朝陽さんではなく晴香に聞くが吉と妥当な理由での選出となった。今回はこの三名に力を借りつつイズミへの返礼品を探そうと思う
「じゃあ大我さん行きましょうか」
こいつは下郎。道端に落ちている犬の糞を主な食料として生活している人間とも呼べない妖怪である。百合というカテゴリから飛び出し俺とイズミの間に割って入ろうとする端的に言えば敵だ。今日は事故を装って車道に放り投げる事を目標として頑張って行きたいと思う
「なんで居るの」
「なんでって、私だってイズミさんにお返しを買いに来たんですよ」
イズミの同級生でレズの大田まさみは悪びれる様子も無く言ってのける。この女と今日一日を共にしなければならないのか、まぁいいさ…同じ場所を見て回るのだからこいつが買う品よりもさらに上のグレードで勝負すれば、貧民のコイツはたまらず尻尾を巻いて逃げていくだろう。持つ者と持たざる者、その差を今日明らかにしてやると勇み足で俺達は普段行きそうもない銀座へと返礼品探しの旅に出た。
一店舗目はアクセサリーショップ。ここは朝陽さんの推薦で選ばれ、一般層に向けた婦人用の店よりも少しお高い場所だ。なぜこの店をチョイスしたかと言うと「夫が婚約指輪を選んでくれた店」という事らしい。なるほどそれは朝陽さんにとっては非常に想い出深く、忘れられない想い出を作ってくれたこの店こそが大切な人への贈り物を選ぶには最適だと考えたのだろう。
確かに飾られている品々を見てみれば品質の良い宝石類が並べられており、ごく普通の女性にここで選んだ物を贈れば一生ものの記念品として喜ばれるだろうとも思ったが、やはり俺と大田さんは首を傾げて悩んでしまっている。そう、イズミがこんな腹の足しにもならない光る物を喜ぶとは思えなかったのだ。なによりも食事という行為を重要視しているイズミに必要な物かと問われれば、俺達は首を横に振るだろう
しかしそこは親である朝陽さんも織り込み済み、といった様子で俺達を諭すように語り始めた
「今はそれでも良いと思うの。でもね、別れっていうのはいつ訪れるのかも分からないんだから、その時に形の有る想い出を一つでも持っておけば見る度にその人の事を思い出せるのよ?」
「この指輪を付けてあの人と一緒に行った場所、過ごした時間。その時の記憶が今でもこうして残っているんだから、私は形として残る物は一つくらい持っていても良いと思うな」
なるほどな、大切な人を失って初めて分かる感情なんだろう。確かに今日俺が事故に遭う可能性だって無いとも言えない、そうなれば俺はイズミに何を残してやれるだろうか?残されたイズミは何を思って生きていくのだろうか?と考えるとこういった形ある贈り物を、自分の愛する人には持っていて欲しいのかもしれない。
「別に要らないわ。ジャラジャラと光って邪魔でしょ」
「そっかぁ…じゃあ別に必要ないか」
「そうですね、本人が気乗りしないなら…」
ご紹介が遅れました、妹のイズミです。大切な妹を家に一人で置いておくなんて事が出来る訳も無く、今回は贈られる側である本人と一緒に店を巡っているのだ。それじゃあこのおばさん達を呼んだ意味が無いじゃないかって?とんでもない。イズミに言わせれば"ホワイトデーとは俺がイズミを抱く日"と勝手に決めつけているらしく…
イズミは昨年のクリスマスイブの様な突発的かつ衝動的な性交渉ではなく、しっかり一人の伴侶として向き合った末で抱かれる事を望んでいるらしい。もちろんそんな事は恥ずかしくて出来る気がしないので肉体関係については一旦忘れて貰い、なんとか取り繕う為にもこのおばさん三人衆を呼び出し、企画的な側面でイズミの目を眩ませる作戦だ。
改めて自分の逃げ癖は反省すべきだと思うが、もうタイムリミットでもない限り踏ん切りがつかないだろうとも思っている。その隙を察知して腐肉を貪るハイエナこと大田さんも目を光らせ俺達に付いて来たのだろう、迷惑極まりない話だが今回はただプレゼント選ぶだけではないので、競争心を駆り立ててくれる彼女の存在も俺には追い風となるかもしれないと前向きに考える事にした。
「でも私は朝陽さんの考えも素敵だと思いましたよ、自分が選んだ物をイズミさんが肌身離さず持っていてくれたらって考えるとやっぱり嬉しいですもん!」
「そう? ありがとう大田ちゃん」
俺達も決して朝陽さんの考えを無下にしている訳では無く、イズミという女性が特殊なだけなんだろう。どんな女性とも違い、愛する事も愛される事も難しい彼女を心の底から満足させる事なんて出来るんだろうか?なんて少し弱気な自分が顔を見せて言うが、きっと満足させて見せると心に誓った俺は胸元からパンパンに膨れ上がった財布を取り出し朝陽さんに手渡した
「じゃあ朝陽さんはノルマクリアという事で好きな物買っていいですよ」
「やった~!」
「おおぉ~…」
「いくら入ってんだあれ…」
その様子を見ていたカガリと晴香からどよめきが起きるが、今回のシステムについて簡単に説明しておこう。今日呼んだ三人には事前にプレゼンする店と商品を選んで来て貰い、その店で選ばれた品がどういった理由で贈り物として適しているのか?それはイズミが喜びそうな物なのか?という点で評価をし、俺の胸に刺されば見事ノルマクリアとなりその店で好きな商品を一つだけ買っても良い、というシンプルかつ奥行きのあるゲームだ。
このゲームの面白い所は"その店で好きな商品を一つだけ"という所だろう。今回の朝陽さんは【旦那との思い出を語り、自らの経験則から導き出された理由付けも含めて景品を獲得する】という美しい流れではあったが、もしも安易にイズミが喜びそうな肉をチョイスした場合には【その店で購入できる肉】だけが獲得対象となってしまい、イズミは幸せだが自分の欲求を満たす事は出来ないという所に戦略性も存在する。
「じゃあこのネックレスにするね~?」
「せっかくだしもっと高くてもいいんじゃないですか?」
「ううん、これがいいの~」
「そうですか、じゃあキャッシュで」
「さ、三十万の光る石に何の価値があると言うんだ…?」
「アタシにも分からんし大我も分かってないだろ…」
こうして高額かつ満足度の高い景品を狙う母親と、イズミを喜ばせるために常に相手の一歩先を行かんとする俺達による醜い争いが始まるのだった
つづく




