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第七話  出会い

 

 如月大我十八歳の冬、大学卒業を控えた大我の元には様々な企業や団体からスカウトの連絡が絶えず届いていた。心理学を専攻していた彼は様々な場所へレポートの為に出向く事が有ったのだが、その際にこの若さで名門大学に入学した能力を見初められ、直接スカウトされる事が多かった。



「卒業する際には選択肢の一つとして考えておきます」と躱していた分が一気になだれ込んできたのだ。実の所どの企業にも興味は無く、これからの進路は自分で決めているが、どうにも断りを入れるのが面倒で無視している所ばかりだ



 すると大学の方に彼との連絡が取れない!どうなっているんだ!と何件もの有名企業からの催促が来たらしい。大学としても様々な卒業生を有名企業に輩出し、現在も何人かが在籍している手前、無下にする事が出来ないのだという。



 面倒な事になったと渋々大学へと顔を出した大我は、判を押すだけの状態で送られてきた数々の書類を次々とシュレッダーにかけていった。


 なんて事をするんだと声を荒げる教授達を制し、学校の電話を手にした大我は次々と番号を入力すると二言三言話した後にまた同じ事を繰り返し行った


 送られてきた書類の企業名の欄だけを確認すると、当時貰った名刺の番号を記憶の中から呼び起こし明確に自分の意思を伝え毅然とした態度で一件一件断りを入れたのだ。



「これでまた連絡が来た場合にしっかり断ったという言い訳が出来ただろう」



 そう言うと大我は足早に大学を後にした。家に帰って途中で投げ出してきた仕事に再び手を付けなければならないのだから。


 大我が去った後の教室で、教授たちは頭を抱えていた。どさくさ紛れにうちの大学で教授にならないか?と切り出すタイミングを失ってしまい、優秀な生徒をみすみす逃してしまったと。



 家に帰ってきた大我を待っていたのは同居人のジョンだった。彼はエプロン姿に身を包み、突然家を後にした大我にプリプリと怒っている。



「もう! 料理はスピードが命とか言ってたのはミュゼーだろ! なんで勝手にどっか行っちゃうんだよ! 見てよこの肉! すっかり乾いちゃってるじゃないか!」


「とても人から物を教わる態度じゃないな、職なしのまま路地裏でゴミでも漁りながら生活するかね?」


 包丁を突きつけ凄む大我に気圧され、一言謝罪の意を伝えると再び料理の練習に勤しんだ。



 ジョンは卒業後の進路にレストランでの修行を選択したのだ。理由とすると一度覚えてしまえばどこの国だろうが働き口に困らないからだ。食事をせずに生きていける人など存在しないのだから、このスキルは万国共通だと言っている。自分の母も料理がプロ並みの腕であればもっと楽に自分を育てられたはずだとも言っていた。



 さすがに名門大学に入れるだけあって人並み以上の頭脳を持ち合わせているジョンは次々に大我から料理のノウハウを吸収した。「俺が店を持つようになったら副料理長として雇ってやるからな!」と言っているジョンの尻を蹴り上げた大我だが、彼の進路とはまさにその事だった。



 これから世界各国の料理を学び、ジョンが店を持った時にそのスキルを活かそうと思いこれから数年に渡り世界各国を旅する事になるのだ。



 そして数年後にジョンから待望の連絡が来た頃、大我は日本に居た。



 数年の修行を終えた大我の元に、ジョンの一報よりも早くとある連絡が届いたのだ。


 自分を育てていた老夫婦が亡くなったと。二人同時に死ぬなんて仲がいいもんだ…なんて思うはずもなく、事故か何かかと医師に問いただした。すると老衰で天寿を全うされたと返ってきたのだ


 どういう事かと急いで日本に帰った。そして大我が日本を後にしてすぐ、義理の父は体調を崩し一年もせずにこの世を去ったのだと聞かされた。自分が日本に帰って来なくても済むようにと連絡も寄越さないまま。


 そして一人きりになった母も先日、誰もいない病院でこの世を去ったのだという。信じられなかった


 今まで何度も連絡する機会はあったし、何度も体調に変化はないかと聞いてきたつもりだったのが。今思い返せば確かに、父の声を聴いたのは自分がジョンと住み始めた頃が最期だった。


 あの時は面倒な人間と一緒に住む事になったと告げると大層喜んでいた。その声色に変化が無かったのは体調の悪化を忘れてしまうほどに、自分に友人が出来た事が嬉しかったのだと理解した。その時に気付けなかった事実が胸を締め付ける



 母から連絡が来る度に父の事も聞いていればもっと早くに知る事が出来ただろう。死に目に会えないまでも母の余生を共に過ごす事くらいは出来ただろうに。退屈だとばかり思っていた自分の人生は、想像よりも楽しさに彩られた物だったのだと、今になって気付いた。


 ──年老いた両親の近況も気にならない程に



 その頃だった、ジョンから待ちに待っていたはずの連絡が来たのは。その時はまだジョンの元で働く事を真剣に考えていた。世界中を見てもほとんどの家庭において、両親の方が子供よりも先に人生を終えるものだと考えていたから。


 他所の家庭ではもう少ししめやかに、病床に伏す親の手を握り、涙の中で看取られたりもするのだろう。どうやら自分にはそういった縁はなかったらしいが。


 ただ、両親が残した自分宛の遺書の中には両親の死よりも自分にとっては衝撃的な内容が書かれていた。



『あなたが海外に旅立ってしまった後に残りの人生がもう長くないと思った私たちは、あなたの本当のお父さんが提供した精子バンクの方々にお願いして、もしもその人が今も生きているのならば自分達がこの世を去った後に息子の成長を見届けて欲しい。そうお願いしようとしたのだけど…残念ながら私たちよりもずっと早くにこの世を去ってしまったのだと知りました。ただ、あなたが産まれた際に遺伝子の所有者である彼の元にも連絡したらしくてね、その時あなたのお父さんは一度あなたの事を見に来たそうよ。そして、引き取り手の私達の話を聞いて何も言わずに帰ったらしいの』



『それから何年かして、また彼から連絡が来て言伝を預かっていたそうなの。もしもその子のご家族や自分の血を分けた息子が私の事を尋ねてきた時には、もう自分がこの世にいない事を伝えてほしい。そして、この世に自分の妻と娘がいるという事を。願わくばこの住所を尋ね、私の家族に会ってはみないかと。』



『もしも自分の事を聞かれなかった時には、その家族は自分達の人生を歩んでいるという事だから自分の事など知らないまま幸せに過ごしてほしいと言っていたそうよ。私たちも知らなかったとはいえ、こんな事になるまで教えてあげられなくてごめんね。貴方の妹にあたるその子の名前は神田和泉さん、母親の名前は神田朝陽さんと言うそうです。もしもまだ同じ場所に住んでいるのならば、住所は…』



 遺書に書かれていた住所に来ると借家の表札に神田と記されている。どうやらまだこの家に住んでいるようだ。天涯孤独の身となった事によるセンチメンタリズムとでも言うのだろうか?昔の自分ならどうでもいい事だとわざわざ会いになんか来なかっただろう。


 それともこれから海外に飛び、もう二度と帰る事は無いであろう日本という地に少しばかりの名残惜しさを感じているのだろうか?


 これから友人のジョンに連絡し、両親を失った二人で仲睦まじく店を経営し年を重ねていくのだろう。会ったって仕方のない事だ。もう帰ろうかとも考えた。しかし、自分をここまで育て上げた両親と遺伝子を分け与えられた父の遺言だという事だけが、置き場の無いこの指を古く色あせたインターホンまで導いた。



 呼び鈴が鳴り少ししてから出てきた女性は随分と小さく、若々しいながらも目元には少し疲れが見えた。これが自分の妹だろうか?それにしては自分に似ている所がまるで見受けられない。そんなものなのか?兄妹なんて、そうなのかもしれない。一言も発しない自分の姿に困惑した女性に一礼してから自らの身分を明かした。



「あの、神田さん…神田慶二さんの娘さん…ですよね? 実は俺…」


「慶二は私の夫ですが…?」



 …海外でよく言われる、日本の女性は若く見えるという意味をようやく理解した。



 それから身分証明書や両親の遺書、自分のDNAの情報を記したものを提示した。彼女も夫から事情を聴いていた事もあり、急な訪問にもかかわらず家の中まで通してくれた。


 なんでも神田慶二という男は、俺と同じくこの世界において無償の愛を注ぐ女性など存在する訳がないと考えていたらしい。しかし自分の遺伝子がこの世に残らない事を惜しく思った為に例の精子バンクへと自分の遺伝子を提供したそうだ。だが程なくして当時働いていた会社の二次会で立ち寄ったスナックにて、この女性に一目惚れし生涯をこの女性に捧げたのだという。



 神田慶二という男の写真を見せて貰ったり、話も聞かせて貰っているが、自分の父親だとはにわかに信じられないほどこの女性の事を愛していたのだと伝わる話ばかりだ。この女性は俺にもいつかそういう人が現れるかもしれないと言うが到底そうは思えない。



 そして話の途中、夫の娘への溺愛っぷりを話した所でそういえば、と思い出した。


 妹がいると言うが、今いくつくらいだろうか?この家で一緒に住んでいるのではないのか?その事を尋ねると常に下がっている目尻をさらに下げ、今は家を出てしまっていると話した。なるほどそういう事か。



 ──どうやら娘の事を話す気は無いらしい



 伊達に世界最高峰の大学で心理学を学んでいた訳ではない。この反応は隠したい情報があるというサインに他ならない。その兆候が夫の事でも自分の事でもなく、娘の事を話した時にのみ現れたという事は"なんらかの事情"で娘の話をしたくないという事なのだろう。現代日本で深刻化している若者の無職、離職率についてはニュースサイトで目にする事は有ったが、おそらく今回の件もそういった事情だろう。



 神田慶二が亡くなる前に既に娘が産まれているという事は二十歳前後だろうか。大学に通っているのならば隠す必要もなく、働いているのであれば"家を出ている"ではなく"家を出てしまった"と言うはずだ。


 という事は、なんらかの理由で働く事が困難になった娘がこの家の中で引き籠っているという事ではないのか?



 と自分の推理を一言一句余す事無く披露しようとも思ったが「会わせたくない理由が有るのであれば…」と一言だけ告げた。バレてしまったか…と苦い顔をした彼女に構う事なく、一応今後の自分の展望についても話した。海外で店を持つ事やもう日本に帰る事は無いだろうとも。



 そして様々な土産話を聞かせて貰った礼をし、両親の遺産が半分入った通帳を手渡し生活費の足しにでもしてくれと言って家を出た。


 後ろを振り返り日本での最後の景色に一瞥くれると俺は日本を後にした。



 となるはずだったのだが…程なくして家からとんでもない勢いで飛び出してきた神田朝陽に掴みかかられ、俺はせっかく動き始めた足を止められてしまった



「ここここ、こっ、こんなお金貰えないよ!! も、持っていきなさい! 私も夫の遺産がまだ残ってるから!!」


「いや…自分もそれと同じ額持ってるのでお構いなく…」


「だだっ、ダメだよぉ!! こんな金額、急にもらったら金銭感覚おかしくなっちゃうよぉ!!」



 そう言われても…資産家の老夫婦が浪費せずに持っていた金を俺一人で使いきれるわけもなく、いい引き取り手が見つかったと思っていたのに。ジョンにこれだけの金額をみすみすくれてやるのは死んでも御免だったので、それ以外に自分と関係ある人物がこの家族しか居なかったのだから仕方がないだろう。


 それでも頑なに受け取ろうとしない彼女に、であればと一つ提案する事にした。



「娘さんに会わせてくれるなら。受け取りますがね」



 時間が止まった。葛藤している様子が見て取れる


 この条件を彼女が承諾できるわけがない。先程の会話の中でそれが確信的なものになった


 普通この世でたった一人血を分けた兄が二度と日本に帰って来ないと言えば、どれだけ引きこもっている娘が拒もうと一目くらい会わせる筈だ。


 そうしないという事はなんらかの精神疾患を患っていて、人と会うのが困難な状態か"もうその娘はこの世に存在しない"可能性まである。もう用は済んだので早くここを後にしたいのだが…と思っていると彼女から返答が有った



「分かりました…娘に会っていってください…」


「そうですか…では…ん? え? 今なんて…?」


「娘に…会わせます…なのでこのお金を持って帰ってください…!」



 予想外の返答に面食らった俺は、先ほどの神田朝陽と同じ様に時間が止まってしまった。


 まさか、こんな大金受け取れないなんて見栄を張った大人の社交辞令じゃないか…すぐに受け取った後はしめしめと私腹を肥やす人生の始まりだろうに。


 何を考えているんだこの女は…?訳が分からない

 そんな俺の胸中を察してか、神田朝陽は毅然とした態度で言葉を続けた



「貴方のご両親が残したものだから…残された人に使われる事を望んでると思う。私の夫もそうだと思うから。」



 死んだ人間に意思など有る物か。生きている人間はただ自分の為に余生を過ごせばいいのだ。自分勝手に…



 ──遺言に従ってここまで来た俺の言えた事か。一人で苦笑してしまった



 まぁいい。正直に言えば自分の妹に興味が無かった訳ではない

 こんなにも優秀に育った自分の片割れが、どんな理由で引き籠っているのか聞かせて貰おうじゃないかと、再び彼女の待つ家へと戻った。


 そして全ての経緯を聞かされた後に、俺の胸中に去来した感情は"ふーん"だった



 よくある事だ、性欲に狂った男の歯牙に掛かる若い女など。未遂で済んでよかったと喜ぶべきじゃないかと。なんだか少しがっかりしたが一言だけ言って帰ろうとその妹が居る部屋に向かって歩き出した。



 戸を開けると部屋の隅でうずくまる、黒く長い髪の塊が有った。



 娘の身を案じて後をついてくる朝陽を気にも留めず、ズカズカとその塊の前に座り込むと抜け殻の様にどこか遠くを見たまま、虚ろな目をした人形の様な彼女に向かって言葉を投げた。



「お前すごいな。俺ならそいつら殺してるぞ、よく殺さなかった。偉いな」



 そう告げるとどこか遠くを見ていた抜け殻の首がギギギ…という音を立てそうなほどゆっくりと動き、まるで水晶のような両の眼と初めて視線が合った



「……ぇ……?」



 聞こえるかどうかの細く小さな声が、大我の鼓膜を微かに揺らした


 初めて合わせたその目を見ていると、なんだが少し懐かしいような。離れ難いような不思議な感覚に包まれた。なんだかこのままここに居てはいけない気がして、部屋を後にしようとした



 その場を後にしようとするズボンの裾をしっかりと掴むその手を、不思議と無視する事が出来なかった。こちらを凝視するその両の目から、目を離す事が出来なくなっている



 さっきまで置物同然だったその人形に魂が宿った瞬間、自分の体にも異変が起きた

 体に電気が走ったなんて比喩を聞いた事が有るが、そんなレベルじゃない

 細胞が一斉に電気信号を発し、体の中から放電されていると錯覚するほどだ



 顔も合わせた事が無い亡き父も、俺と同じ感覚を味わったのだろうか?

 鼓動がうるさい、はやく外に出なくては。俺はこれから日本を後にして、それから──



「…ぃ……ん……?」



 ──細胞が抗えなかった

 言葉なんか交わさなくても、その目を見るだけでどうしようもないほどに惹かれてしまった

 彼女の前に再び屈んだ俺の鼓膜に、今度はしっかりと声が届いた



「にぃ…さん……?」



 如月大我と神田和泉の新しい人生の幕が上がった瞬間だった

 心に負った欠陥を、互いに埋めあった兄妹の物語はここから始まった




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