第五十四話 三沢晴香
二十五年前
高校を中退してからアルバイトを探していたアタシは実家の花屋でダラダラと働いていた。別に高校を中退したのだって朝起きるのが面倒だっただけで、素行不良って訳でもなく単位が足りなかっただけだった。
運動神経に関しては抜群に自信があって、普段から学校に来ないとアタシに対してカンカンだった体育教師からも手放しで褒められたほどだった。病気もせずに健康体、しかし極度な低血圧…それだけが玉に瑕だった
それに店に来る年配のお客さんと話すのが楽しかった事もあって毎日が充実していた。小さい子供や年寄りが好きなんだ、感覚で話せるからね
昔から俗に言う"天才型"だったんだろう、あれこれ理論を固めてその通りに動く事は苦手で、パッとやってズザザー…みたいな?なんでも感覚の赴くまま。そんな感じで陸上の走り高跳では校内記録も持っていた。でも部活動なんかは朝練が面倒そうで一度も入った事は無い…ただの怠惰では無いと信じたい
そのお客さんの中でも特にお気に入りなのが"如月さん"とこのおばあちゃん。幸枝さんって言うんだけど、昔見たドラマに出て来た…え~っと、大正浪漫?みたいなカッコかわいい感じのお着物を着ている。綺麗な人で子供はおらず旦那さんと二人暮らしなんだとか
「あぁハルちゃん、今日も店番かい?」
「幸枝さん! 母さんは晩御飯の買い物~!」
「そうかい、偉いねぇ。今日はこの菊の花を貰おうかな?」
「分かった~! でも珍しいね菊なんて?」
「あぁ、 …おじいさんがね」
「えっ…!? うそ…?」
「うん、嘘だよ。」
「び……ビビったぁ~!! やめてよその年齢でそういう事言うの!!」
「ふふふ、ハルちゃんの反応が面白くってねぇ」
「先週は確かガンだっけ?」
「胃がんと肝臓がんの併発ね?」
見た目はオシャレなお金持ちのご婦人って感じなんだけど、やる事は子供そのものでそういう所も可愛く感じる。それに言葉の節々から上品さも香らせる所を見るに、本当にいい所の人なんだろうなと思った。
それから何週間かして店先で家の母さんと幸枝さんが話している所を見かけた。なんだか幸枝さんが困った様子で、何かの相談だろうか?困って居るのであれば私も手を貸してあげようと思ったんだけど…
「だ、代理出産~!?」
「そうなんだよぉ…海外に一度移住しなきゃいけないとかでね? 向こうの血が入っても良いんであれば現地の方にお願いするんだけど…」
「それはまた…映画みたいな話…だね?」
「それでも例はいくつか有って、母体に掛かる負担は強いみたいだから、出来るだけ若い子が良いんだけどねぇ…そんな若い子の知り合いが居ないもんでねぇ…」
「そうなんだぁ…」
昔から子供は欲しいと感じていたそうだけど、20年ほど前までは旦那さんがまだ現役で働いている時期だった為、落ち着いた時間というのが中々取れなかったらしい。お互い落ち着いた生活が出来るようになったのが最近になってなのだとか…かわいそうとは思うけど他人の遺伝子を体内に取り込むとかハッキリ言ってキツイかな…
「高額な謝礼も用意してるんだけど、未だに話すら来て無くてね…」
「いくらくらい?」
「二億円くらい?」
「あはは、またまた~! 流石にその値段は騙されないよ~!」
「ハルちゃん、これは大マジよ?」
「……マジ?」
二億円…?他人の子供産むだけで一生遊んで暮らせる金が手元にポンって…?寝てるだけで良いの?そんな魅力的な条件で…しかも人助けにもなるなんて美味しすぎない!?…いやでも冷静に考えてありえないっしょ…金とかじゃなくて倫理観って言うの…?だって自分の子供になる訳でもないし
大きくなって幸枝さんが連れて来た時とかに「アタシの股から産まれて来たんだよ~w」とか言えないって!「お金の為に産んじゃいました~!」って言ってるようなもんだし…
「まぁ、もう少し時代も進めばもっと理解も進んで…そうなったら私達が生きてるとは限らないけどねぇ?」
「んん…」
「世間では孫の顔でも…って言ってる年齢で子供すらいないとは…少しのんびりしすぎたかもしれないね? ハルちゃんはこんな婆さんになる前に…」
「幸枝さん!! 私産む!!」
当然まだ十代の娘がこんな事を言うもんだから両親ともに猛反対、それどころか幸枝さんすらも大反対だった。いくらなんでも早すぎるし、母子ともに健康かは保証出来ないからだ…
そうは言ってもこんなに楽にお金が稼げる機会、今後の人生では絶対に訪れないと断言できる!!
* *
「ただいまぁ~、今日誰か来てた?」
「早かったねぇ。お風呂にする?ご飯にする?それとも…」
「はぐらかすなよ"姉さん"」
「どうして分かった?」
「あんだけ掃除サボってた倉庫の前が綺麗になってたから」
「うん、引き取り手が来たって言うかね…」
「引き取り手って…如月大我くん…?」
「そそっ…」
今はこの家で弟と二人で暮らしている。都心に一戸建てを建てて悠々自適に住んでいたのだが、幸枝さんの訃報を聞いて飛んで帰って来た。母も幸枝さんと同年代だった事もあり、身の安全を第一に考え同居するべきだと言うのだが、未だにあの花屋には思い入れがあるらしく中々聞き入れてはくれないのだ。
葬儀は身内のみでひっそりと行われたらしく行けなかったが…その代わりと言っては何だがこの家を買い取らせてもらった。
それにしても自分の両親との思い出の家を即日売りに出すとはどんだけ金にがめつい子だよ!と思ったけど、そのがめつさは私譲りなのかもしれない。あの時手にした二億円は"うん千万"のマンション四棟を購入し、土地が高騰した際に倍の値段で売り付け四億もの大金を手にした。その金で会社を起ち上げそこの社長には弟を据えている。
産みの親と言えば聞こえはいいが、如月大我の出産以降は何をやろうにも無気力となってしまった。初めは急に大金を手にした事の反動かとも思ったが、産まれながらの物だったのだろうか?とにかく怠惰な人生が続き、先程までもゴロゴロしながらネットをやってゲームに精を出してそしたらあんな事になるんだから本当にビックリした。
大我の事は知っていたというか、幸枝さんと母が頻繁に連絡をとっていたのでそれを間接的に聞いていた。私に似て運動が得意だとか言っていたけど、気を遣ってくれてたんだろう。後々配信を見たらなんでもかんでも出来てるんだから、あれは天性の物だって
たまに実家で食事をする時には母さんも一緒になって如月チャンネルの配信を見ているが、そっちはそっちで妹の如月イズミちゃんと知り合いらしい。なんの因果かは分からないが不思議な事もある物だ…それに表札の件も聞かれてしまったが…う~ん…難しい話だけど、なんかこの空間に自分達が住んでるって実感が沸かなくて…家具も表札もそのままにしておくのが私なりの供養なのかもしれないと感じてる
大我と直接会ったのはこの家を買い取る時の一回だけで、それ以外は配信を通して見ているだけだからただの視聴者と一緒だ。特別でもなんでもない、冷静に考えてみればただ産道を通って来ただけの他人なんだから。まぁでも一つだけ本当に謝りたい事が有るとすれば…
妊娠中めちゃくちゃタバコ吸ってごめん…!!
当時はなんというか、それがカッコいいと思っていたというか…放送を見るたびに時々見せる攻撃的な部分とかが、もしかしたら自分の喫煙のせいなのではないかと考えてしまう事も何度かあった…自分が妊娠中にしかも未成年のクセに喫煙なんかしていたから…
女性同士の恋愛を見て喜び、自分の妹しか愛せない異常性愛者として生きていく事になってしまったのかもしれないだから…
* *
「ふぇっくしょん!!」
「あら、まだ風邪は治ってないみたいね」
「かもなぁ…でもまあ、あそこの夫婦に迷惑かけずに済んで良かったわ」
「そうね。それで表札は結局なんだって?」
「別に自分達でやるから良いって」
「それが本当だったらもうやってるんじゃない?」
「でも別に理由とかないだろ。怠惰な感じは見た目からも出てたし」
「そう、じゃあそうなんでしょうね」
信号の向こうにある"三沢生花店"を見ながらイズミはどうでもよさげに言った。何の因果かは知らないけど自分と兄の人生に干渉して来ないのであればそれでよし。何かあった時には兄さんが処理すべき事だろうと考えた。
その晩は夕飯に魚の煮つけを作っていた兄さんだったが、どうにもあと一歩あの時の味に届かないと言っていた。今はバカみたいに酒を飲んで、当時の味覚とは違うんだから当然だろうと言うと納得した顔で魚をパクパク食べていた。兄さんの過去を知れないのはもどかしいけれど、まぁこれからの人生は自分が独り占めできるんだと思うとそれすらもどうでもよかった
その夜、兄さんは放送内でやってるスマホゲームで『三沢のエルボー』とかいう重課金者の視聴者にボコボコにされてキレていた。それ以上に私の心中も穏やかではなかったが
「うはw 私が産んだ子弱すぎワロタんだがwww」
「いい歳して何やってんだよ姉さん…」




