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第五十三話 如月大我

 


 大我が目を覚ましたのはリビングだった。


 目が少し腫れているな…昨日しっかり冷やしてから寝れば良かった…もうそろそろイズミも起きてくる時間だ、面倒な事になる前に何とか誤魔化さねば


 にしても昨日は変な一日だったな。頭の中がずっと夢の中かの様にふわふわと不透明なままで、細胞が死に直面したせいでなんだかセンチメンタルというか、思い出したく無い事まで記憶の奥深くから呼び覚まされて…情けなくも男泣きに泣いてしまったというか


 イズミには絶対そんな所見られたくない。男としてのプライドというか兄としての威厳というか、なんかそんな感じだ。どちらにしろ見栄だ



「おはよう兄さん。体調はどう?」


「もう大丈夫だよ。なんというか、どれだけ才能が有ろうと人並みに死にはするんだなって実感できてよかったよ」


「そう、それで目が腫れているようだけど泣いていたの?」


「腫れてないよ」



 なんで一瞬で気付くんだよ。気付いたとしても聞いてくるなよデリカシー無いなぁ!!これは母親譲りだろ!!



「明らかに顔のむくみってレベルではないわね、昔大田さんもそんな顔してたわ」


「あぁ、そうなんだ…」


「目を中心に家庭内暴力に遭ったのかと思うくらいの」


「俺はそんなに酷くないだろ!」



 俺の後ろから優しく抱きしめるイズミは、何も言わないまでもその理由は知っているかのような態度だった。まさかそこまでは通じ合っていないだろうと考えている俺は未だに鈍感なんだろうか?


 やはりイズミが近くに居てくれるとなんだって忘れられる。忘れるって言い方は正しくないか、記憶の隅に追いやる事が出来る。やはり"あの件"は俺の中で失敗体験なんだろう


 他人の死という扱いで割り切れないのは、少なからず義理の両親の事は好いていたんだろう。天寿を全うしたなんて言い方も出来るが、何も聞かされていなかった俺からすると突然の事故と何ら変わりはないのだから、悲しいというよりもショックだったんだろう。色々とね



「兄さんは今でも感受性が成長出来ているのね、羨ましいわ」


「成長って呼べるのか? 俺は余計な事を考える分退化だと思うけどな…」


「どうしようもない部分が増えるのは退化とは呼ばないでしょう。ジャガイモと一緒よ」


「…ソラニンって事?」


「名前までは忘れたわ」



 ジャガイモは成長に伴い芽の部分に"ソラニン"という毒素を含む。収穫後も日光に当たると芽の部分は成長を続ける為、ジャガイモは特に日陰での保存が推奨されている。これは品種改良なんかで抑えられているらしいが、それでも成長と共に危険性が増すので芽は避けて食べてくださいと注意喚起するしかないようだ


 ジャガイモみたいに全国どの家庭でも食べられている食材でも、成長するにつれ不利益を被ってしまうのは人間も同じ。イズミはそう言ってくれているのだろうか?なんだかピンと来ないが多分そうなんだろう。嬉しいよ兄さんは



「兄さんは別に考える人じゃないんだから。生きたいように生きればいいのよ」


「はは…まぁそうして来たんだけどな…何が起こるか分からないもんだ」


「何が起きようとも傍にいるじゃない」


「そうだな…」



 言われてみればそうだな、過去を懐かしもうと、戻らない日々を寂しく思おうともイズミが居てくれる事に変わりはないし…その中で成長出来るのであれば不安もクソも無いだろう。成長なぁ…



「イズミ、ちょっと怒ってる?」


「どうして?」


「昨日勝手に泣いてたから…?」


「よく分かったわね、少し怒ってるわよ」


「これも成長だな」



 意地でも俺から離れないのはそういう事だろう。二人三脚のつもりが最近はイズミばかりが弱い部分を俺に見せている気がする。イズミもそれが気に入らないのか、それともただ単に俺の意外な一面が見られなくて残念に思っているのか…



「じゃあ珍しく、ワガママ言っちゃおうかな…」


「良いわよ。たまには」


「墓参り…行ってみようかな」


「本当に珍しいこと…」



 人生で初めての事だった。なんの実体もない物に"会いに行く"という矛盾。非合理的な行動、目の前にあるのはただの墓石、それに語り掛けるという奇妙を成す行為。根っからのオカルト否定派である大我の口からは今まで絶対に出る事が無かった



 急な訪問にも快く答えてくれたのは霊園の主だった。流石に金は有るんだから良い所で死なせてやろうとこの霊園に骨を収めているのだが、俺が葬儀後に骨壺をラグビーボールみたいにして小脇に抱えてやって来た時は大層驚いていた。もっと箱とかに入れる物だったらしい


 管理や手入れもここの従業員がやってくれるそうで楽だからってだけの理由でここの霊園にした。案内された先には確かに初めて訪れた時と遜色ない墓石が佇んでいた


 "如月家ノ墓"


 自分の苗字が彫られた死人の住処という物はオカルト否定派の自分でもあまり気持ちの良い物じゃなかった。常識的に考えて何かお供え物を持ってくると思っていたのだろう、来場時に預かると言って貰えたのだが「石になんか置いとくんですか?」と言うと苦笑いするしかない感じだった。文化の違いだと思って許して欲しい



 墓の前で手を合わせる感覚もよく分からなかった。逆に俺の親ならそんな事されたら噴飯ものというか…変な宗教にハマってしまったのかと心配すぎて成仏なんか出来ないだろう


 それに好きな物なんか無かったんじゃないのか?酒も飲まない、タバコもギャンブルもやらない。なんだったんだあの爺と婆は…?童話に出て来る好々爺くらい影の薄い人達だったな…でも婆さんの作る飯が美味かったのは覚えている。魚の煮つけがとにかく絶品だった


 どこかにレシピが眠っていないかと考えたが…ダメだ、以前まで住んでいた一軒家は売りに出してしまったし遺品なんかも雑多に物置の方に…



「あっ! 物置に入れたままだ!!」



 完全に失念していた、あの家の物置に放り込んだままの遺品を未だマンションの方に運んでいなかった…確か売りに出してすぐ買い手が付いたんだよな…もう処分してしまっているだろうか?今まではそれならそれでも良いと思っていたが、流石に飯の事となると捨て置けない。


 なるべく人と関わりたくないんだけどな…と文句を言いながら自らの過失という事もあり渋々ながら過去に自分と両親の住んでいた家まで久しぶりに足を運ぶ事にした



 ここだ、表札は…?如月…?如月のまんまってどういう事だ?確か売った人は"三沢"という夫婦だった筈だが…?もしすでに引っ越したとするなら表札には何も掛かっていないはずだが…奇跡的に三沢さんの後に自分と同じ如月という人が越して来たんだろうか?そんなバカな…


 意を決してインターホンを鳴らす、中から出てきたのは咥えタバコで薄着の女性だった。見るからにヤンママという感じの目つきの悪さだったが…確かにこの家を買い取った三沢家の妻である三沢晴香みさわはるかだという事を確認した。


 気怠そうに頭を掻いていた彼女はこちらの顔を確認するとゲッ!といった感じでなんだか気まずそうな顔をしていた。



「あぁ…どうも…」


「すみません、以前ここに住んでいた如月なんですが…ん? どうかしましたか?」


「いえいえ! 本当になんでもないっ…す」


「そうですか…? あぁそうだ、申し訳ないんですが、あちらの物置って使われてますか?」


「いや、使ってないけど? あ、ないですねぇ…」


「それはよかった! すみません引っ越しの際に忘れ物があったので…持って行っても…?」


「あぁ全然。勝手に持ってっちゃって大丈夫~…と思う」


「そうですか、じゃあ失礼して…本当に出た時のままだ。イズミも運ぶの手伝って~」


「えぇ、にしても…酷いホコリね…」



 荷物を運び終えると三沢さんに一礼して家に帰ろうとしたのだが、そういえば表札の件を聞き忘れていた事を思い出した。どうでもいい事だったが変な誤解を生む可能性もあるので話だけでも聞いてみよう



「あの、三沢さん。表札が如月のままになってるんですが、ご不便な点とか御座いませんか?」


「えっ!? いや別に…気にしてなかったから…」


「そうですか……外しましょうか?」


「い、いいよ別に! 邪魔だったらアタシらでやるから…」


「はぁ…まぁ良いというなら良いんですが…」


「用が済んだなら早く帰れよ…」


「はい、突然の訪問失礼しました」


「おう、また来いよ~」


「はい?」


「あっ!? あ、いや…なんでもねぇよ!」


「はぁ…そうっすか…」



 不審な事ばかりだったが、もしも事件なんかに巻き込まれても面倒だったのでそそくさと帰った。人を見かけで判断するなとは言うが、人間とは関わっているコミュニティ相応な見た目に落ち着くのだから、あの人に反社会的な繋がりでもあったらシャレにならん。


 それに肝心のレシピもなさそうだし…なんで老人は手記に残さんのだ、後進の育成をサボった結果が現代日本の若者たちのうんたらかんたら…




 * *



 あっぶねぇ~~~!!まさか家まで来るかよ普通…それも妹連れて…こういうのって男の方はバカだから気付かんけど…まぁ妹の方もアタシの事なんか見てすらいなかったから、なんとか大丈夫そうだったけどさ…



 "まったく、誰に似たんだかあのバカ息子…"



 三沢晴香、25年前に老齢の資産家である如月家から多額の依頼金で代理出産を請け負った女性である。


 ――つまり如月大我の産みの親である



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