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第五十話 如月家の夏祭り

 ―8月半ば―



「なんか、特別な事したいなぁ」


「例えば?」


「夏祭りとか?」


「人混みなんか絶対にイヤよ」


「まさか、俺もごめんだ」


 深夜の雑談配信で夏休みが終わらんとする学生たちの悲痛な叫びを聞き、もう夏も終わるのかと実感する。時間間隔の無くなる職業故に、季節感は視聴者からの反応が軸になってくる。


 今年の夏は去年よりも慌ただしく感じたが、大田さんと出会った事とかイズミとの距離が縮まったくらいしか変化はなかった。あぁ、そういやジョンが初来日したとかも有ったが取るに足らない物だろう。ただ、今年の夏は昨年よりも楽しかったというのは事実か


 今までの人生とは比べ物にならないほど変化が訪れる今の生活は、二十年の中で最も実りある時間だ。いつも放送に来る視聴者から "恋人が出来たり" "仕事を始めた" という報告を聞く度に、辛うじて人間との繋がりを保っているという安心感を得られる。そうでもなければ完全に社会から隔絶されて世間の時勢などにも置いて行かれてしまうだろう


 夏祭りなんか一切興味が無かった俺にも、楽しめる感性が宿ったというか…



「虫も鬱陶しいし…それに夏祭りを有難がってる人種が嫌いなのよ」


「なぁイズミ」


「皆で、夏祭りしないか?」


「…自前でって事?」



 ――楽しみたい人間が出来たというか


 * *


 如月家主催の夏祭りは例の如く大田さんの道場前。いつになったらここでのBBQが迷惑だと言われる様になるのか…将来は心配だがそこは大田家の皆さんに頑張っていただきたい


 朝陽さんのスナックも盆のシーズンは休む事になっているらしく、家で旦那の事を思い出していても仕方ないだろうと軽率に誘ってみた。俺の"朝タイガー事件"以来すっかり距離が縮んだらしく、大田さんも大層喜んでいた。吊り橋効果の様な物なんだろうか?人の股間を危険物扱いなんて失礼な話だ



 夏の終わりという事もあり、バーベキュー納めのつもりで少し奮発した食材を用意した。伊勢海老やアワビなど高級海鮮を大人用に、ブランド肉をお子様のイズミ用に買って来た。まぁいくら使ったかは聞く方もいい気はしないだろうから伏せておこう…


「僭越ながら、如月大我より乾杯の音頭を取り仕切らせていただきます」


「えー本年は環境の変化に戸惑いながらも、例年以上に充実した一年を送らせていただいた事に御礼申し上げると共に、皆様の今後のご健勝、並びにお体の健康につきましてもご自愛いただきたいという願いを持ちまして結びの一言とさせていただきます。それではお手を拝借して。」


「乾杯」



「つまんなっ!? なんすかそのクソ長いだけの言葉は!?」


「口から文字吐き出してるだけじゃないの?」


「かんぱ~い♡」



 流石は朝陽さんだ。二次会なんかでこういう口上を何度も聞いてきたんだろう、なんの違和感もなく一人で飲み始めてしまっている。しかし間抜けは見つかったな、俺はおもむろに下半身を露出させるような動作をすると、小さな悲鳴を上げて間抜け女は朝陽さんの後ろに引っ込んだ。イズミは目の前で待機している、クソ恥ずかしいのでやめてください。



 今回は大食いのイズミに配慮して火の元を二つに増設し、肉専用スペースと野菜と海鮮スペースを作った。肉の方には滴り落ちる油で火が上がらないように鉄板を敷き、その上でステーキ肉をハサミで切り落としながら並べていく。海鮮スペースでは一風変わった景色が広がっている


 本来なら炭で満たされている場所に、お歳暮などで使われるクッキー缶が入れられている。これはガンガン焼きという料理で、この中に貝類や甲殻類を一振りの酒と共に入れて蒸し焼きにするという豪快な料理である。料理とも呼べない物に見えるかもしれないが、これは元々漁師が行っていた調理方法なので豪快な男の料理の極致とも呼べるものなのだ



 この缶の中には伊勢海老やホタテ、カキやハマグリなどの高級貝類なども入っており、よっぽど長い事入れておかなければ焦げる事も無いし、想像の外を出る不味い物も出来ないので、素人が普段手の届かない高級食材を調理するにはある意味最高の調理法と言えるかもしれない。


 その上では普通に野菜を焼いたり、ソーセージやサザエも焼いている。なんてバーベキューらしい光景だろうか。この眺めだけでグビグビと酒が進む、というか隣で大田さんが"マヨネーズに塗れた生ピーマンだった物"を貪り食っているので、少し食欲が減退しているだけかもしれない


 イズミの方の肉は表面に綺麗な焼き目がついた事を確認すると、持って来たウイスキーでフランベする。食欲をそそる音と香りにイズミ以外の人間も溢れてくる唾液を飲み込んだ。出来上がったステーキ肉を豪快に鉄串に刺すと仕上げに炭火に少しくぐらせる。これで肉の臭みが消え、代わりに炭の香りを纏った最高級肉の出来上がりだ。店で食べようものなら一本数千円は下らないだろう。


 いくらの肉だろうと豪快にかぶりつく所がイズミのかわいい所だ。満足気に咀嚼している顔を見て安心したように自分の持ち場に戻る。ガンガン焼きもそろそろ頃合いだろうか?蓋を開けてみると中から濃縮された海の香りが解き放たれた。伊勢海老は綺麗に色づき、貝類もその身を露わにしている。完璧に食べ頃だ


 熱々の中身を軍手で網の上に並べ、大田さんと朝陽さんに勧める。出来たての伊勢海老を尻尾を鷲掴みにしてかぶりつく朝陽さんなんて中々見られないだろう。肉好きの朝陽さんも流石は伊勢海老、先程のイズミの様に幸せそうな顔をしてお酒も進む。それは大田さんも同様で、ポン酢を掛けた牡蠣をちゅるんと一口で頬張ると、日本酒をキュッと煽る。至福だろうな



 各々がこの場を楽しみ、それを見ていると幸せになるのは過去に料理人を志していた名残だろうか?この顔を見ていると心が温まった。合間を見て俺も少しずつ食材をつまみながら酒を飲みだす。夏晴れとはいかない少し曇り掛かった天気だが、日差しの鬱陶しさに悩まされる事の無いこれくらいの天気が夏場には好ましい。


 日が長いから時間も忘れてしまうが、もう既に夜の七時を回っていた。とすれば俺が危惧すべき事は…



「あぇ~い/// お義母さぁ~んも、イズミひゃんに負けないくりゃいのぉ物をお持ちでい~///」


「あらそーお?でもイズミみたいに鍛えても無いからほとんど脂肪よ~?」


「んにゃ~!こーのくらいが、うぇひひw/// いい塩梅ですぁ~/// むほほw///」



 なんだこいつは気持ち悪い。裁判になった時の為に動画を回しておいて良かった、後日この映像と共に問い詰めてやろうこの淫売女が。それに朝陽さんも乳を揉まれながら落ち着いて対応するんじゃない、大人としてたしなめるくらいの事はしてくれ


 まぁ、酒を無制限に飲ませればこうなる事くらいは予想出来たさ…俺が何も用意していないと思っているのか?そんな訳はない、これを見よ!!


 ――ヴァサッ!!


 という音を上げてテントが広げられた。そう、大田さんが前回の様にこの場で泥酔し眠ってしまったとしても、このテントの中にぶち込んでしまえば我々はいつまでもバーベキューを楽しめるのだ。以前一度だけしか使わなかったキャンプ道具がこんな所で役立つとは。だからこそ買った物は中々処分出来ないのだ…



 イズミの食欲も少しだけ収まって来た様なので、俺も腰を据えてゆっくりと飲み始める。シイタケに"バター醤油"ホタテにも"バター醤油"この神の調味料を誰も規制して来なかったのが歴史上一番の功績と言っても過言ではない。もはや脳内からあふれ出た幸福物質セロトニンが滝を作っている。これはもうビールでしょうよ!と意気揚々と缶を片手に飲みだそうとすると…



「お義母さんチュ~♡///」


「は~いチュ~♡///」


「おぉい!! 何やってんだお前らはぁ!?」


「えぇ? どうしたの大我ちゃん?///」


「どーしたもこーしたもあるか! 見たままだよ!!」


「硬い事言わないでくださいよぉ~/// 独り身同士慰めさせてくらさいってぇ~///」


「それでいいのかお前らは!?」


「私の心には慶二さんしか居ないものぉ~///」


「あーしだって~!!/// イズミさん一筋っす!!/// ひっく///」


「あぁ…そうなんだ…」


「というわけでチュ~♡///」


「ん~♡///」



「ちょっと目を離した隙に同級生と母親がキスしてるんだけどなにこれ」


「今までよく目を離せてたな」


 その後も未亡人とレズはラインすれすれのコミュニケーションを繰り返していた。なるべく見ないようにはしていたがカメラは決して目を逸らす事は無かった様だ。



 それから二時間ほど経っただろうか?二人は吸い込まれる様にテントの中へ入って行った。飲み終えた酒の量はとても女性二人で飲んだとは思えないほど…それをこのペースで飲んでいたらそりゃああなりますよ。急性アルコール中毒になられでもしたら困るので逐一様子はチェックしよう、皆さんもお酒の飲みすぎにはご注意ください



 少し風が吹いてきて空から月の光が差し込んできた。一番月の綺麗な季節は秋だろうが、雲間から差し込むのであれば夏の月も悪くはないな。隣でイズミがソーセージ串を炭火で炙っていなければもっと風情のある景色だったかもしれないが…これも我々らしいだろう。俺もちゃっかり熱燗なんかを作ってしまっている。焼いた海鮮といただく夏の熱燗も悪くないぞ



 一体どこにいるのか鈴虫の声も聞こえてくる。そこまで田舎でもないのだが、緑がある所にはまだ生息していたんだろう。これを聞くと日本に住んでる実感が沸く


 昼間のセミの声に加えて夜は鈴虫の声だなんて、昔から日本人は騒がしい空間で生活していたんだなと考えに耽ってしまう。それらのわずらわしさを誤魔化すようにわざわざ"風流"なんて言い換えたのかもしれない、と勘繰ってしまう自分の悪癖に思わず苦笑を浮かべてしまった。



 今はそれだけでなくこのパチパチと炭の爆ぜる音も加わり、より夏らしさを際立たせる。買いすぎたかとも思っていた肉は既に跡形もなく、改めてイズミの収納術に驚かされた。エビの殻を剥き一口頬張り熱燗で流し込む。アルコールと熱燗と気温で体内をギュッと熱が巡る、これが心地よいのだ。ちなみに剥いたエビの殻は家に持ち帰ってエビ油を作る為に使う。



 特別な日を味わう為に用意したこの場でも、今みたいにいつもと変わらない事ばかりを考えてしまっていると気付いた。やっぱり慣れてないんだろうな、非日常に溶け込む事に。どこまでも自分中心に考えてしまう事は辞めたはずなのに、昔から根付いてる性格は一朝一夕では矯正できない事が分かる。来年の抱負が決まったのはいい事だな、とまた一口酒を含む



 そうこうしているとこちらの方にイズミが寄ってきてスッと懐に納まった。何が言いたいかはよく分かったので着ていた薄手のジャケットを羽織らせる。この時間帯になると火に飛び込んでくる虫が不快極まりないのだろう、前回試みたキャンプでもイズミからは苦情が来たのだから忘れるわけがない



「無駄になってしまったわね」


「ん…?あぁ――」



 念の為にと買っておいた花火が車の中で眠っている事についてだろう。まぁこの歳になって手持ち花火を楽しむという事も無い、強がりではなく本心だ。


 それでもあの二人は例外だろうとわざわざ買って来たのだ、もちろん寝落ちするだろうという前提で。それにしたって俺がイズミ以外の人の為にあれこれやってやるというのは、イズミからしても珍しく感じるんだろう。思い返してみるとそうだな、去年も朝陽さんとは普通の親子くらいの親交は有ったけれど、ここまでフレンドリーでもなかったし、大田さんなんてもってのほかだ。ジョンは別にどうでもいい



 どちらにしたってイズミを中心に広がっている縁だ、俺が思う所なんか別にないし、それを言うならイズミも変わっただろう。俺に対してしか感情を見せなかったのに、今ではこんなにも明るく眉間に寄る皴の数も最近では少し薄く見える。お互い変わったんだ、ほんの一年の中で



「"月が綺麗だな"」


「そうね…私にもそう見えるわ」



 無意識で放った言葉だったが、あながち間違いでもなかったため特にその後訂正する事は無かった。イズミも"知ってるわ"くらいの面持ちで座っている。そりゃそうだ



 ――ただ、一つだけ訂正する箇所があるとすれば



「…月じゃ足りないさ」


「ん」


「惑星でも…銀河でも足りない」


「私もよ」



『I love you.』を『月が綺麗ですね』と訳させた夏目漱石の意図とは異なるだろうが、これが俺達なりの愛の通じさせ方だった。君に好きだと伝える為には月なんかじゃ足りないと本気で思ってしまっている。文学としては0点かもしれないがそれでも構わない。これは俺達だけの物語なのだから



 空では流れ星が流れていたが、願い事を聞く事もなく通り過ぎてしまった



 ――もう二人は空なんか見ていなかったから



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