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第三十九話 柔よく剛を制すも剛の柔がもっと強い

 

 大田さん、いい加減諦めてくれないだろうか…さっきから頑張って投げようとしてるけど服がめっちゃ伸びるばかりで何も進展しない。正直一本背負いはどうやっても無理だろう…



「大田さん…もうよくない…? 疲れたでしょ」



「まだまだーーー!!」



「投げたいのは分かるけどこんな密着してたらイズミに怒られるって…」



「それはそれ! これはこれですから!!」



 確かに大田さんはメチャクチャ柔道強いけど、体幹崩したりが通用するのって対格差が無いっていう前提が有って初めてというか…そもそも男女間ではホルモンバランスによる筋肉の付き方もあるんだから、ゴリゴリに鍛えているうえに投げられない技術を持っている自分みたいなのは投げられる筈もない



 中学生まではそこまで体格に違いが無かっただろうから男子にも余裕で勝てるだろう。それでも高校まで柔道を続けていたら男子には勝てていただろうか…?いや待てよ、逆に言えば大田さんはそんなレベルで通用する技術しか学べていないんだ。



 それでもテロリストを投げ飛ばせるくらいのポテンシャルを秘めているのだとしたら、ここからでも技術を学べるのであれば或いは…



「そうだ大田さん、俺の事投げたいんだったら俺が投げ方教えてあげるよ」



「敵からの施しは受けませんっ!!」



「動画も撮ろう、仕事だから」



「いくらですか」



「五」



「やります」



 後日、大田家道場にてしっかりと道着を着ての撮影が決まった


 コンプライアンス的な問題もあるので動画内ではイズミを練習相手として、自分よりも大きい相手を投げる方法という動画で指南する



 厳密に言えばこれは柔道というより『柔術』一本を取る為の物ではなくもっと人体の構造や力学を交えた技術なので、これを学んだからといって柔道が強くなるわけではないと注釈をつけておいた



 まず体幹を崩すには重心を揺さぶる事、相手に抵抗させる事によって綻びを生み一気に力を掛けて倒す。組技の絡む格闘技では定石だろう



 では先程の大我の様にただ対格差によって投げきれないという場合はどうするか?正解は組まない事。もちろんトンチを披露して終えるつもりは無いが、競技としての柔道は階級が存在しているので同じレベルの人間と技術で競い合う。



 しかし自分よりも遥かに大きな相手と対するのであればそれは野試合か緊急事態、律儀に組んでやる必要なんか一切無い。であれば武器も当然使えばいいが、今回紹介するのはあいにく持ち合わせの武器が無い場合の話である

 


 まずは足元、それも内ももを狙うといい。内ももには相当数の血管が巡っているため衝撃によって痺れが生じ、踏ん張りが効き辛くなる。そうして組んだ後は腕の力でどうにかしようとするだろうからそこで技術を使う



 試しにイズミがやってみる。大我からの攻め手を搔い潜りながら右足に集中攻撃を加えると、大我が少し足を引き打たれる事を嫌がった。この瞬間をイズミは見逃す事無く大我に襲い掛かる



 組み着こうとするイズミを振り払うように手を出すと、逆に腕を取られ右足側に負荷が掛けるように大我は詰め寄られてしまった



 右足を庇おうと前のめりになった瞬間、その力を利用され綺麗な一本背負いを決められてしまった


 人生初の受け身を体験した大我は畳の感触を確かめるようにゆっくりと立ち上がった



「柔道なら負ける事なんか無いのにな…」



「これは柔道ではないし、野試合だったらもう殺されてるわよ」



「その通りだ」




 この様に力の掛かる方向さえ見極めてしまえばどれだけの体格差でも投げる事は可能なのだ



 車同様、人それぞれ積んでいるエンジンは違うと言われるがハンドルはどの車も等しく曲がる方向が決まっている。こちらがハンドルを握ってしまえば勝手にアクセルを踏んでくれるだろう。



 正面からぶつかる必要なんか無い、賢く生きようと動画を締めた。本番はここからだ



「それじゃあ大田さんもやってみて。手加減はしないからね」


「は、はい!」



 力の使い方、自分では出来てるつもりだったけど確かにお兄さんみたいな強敵と出会うのは初めてだ…私の理解の及ばない次元、それでも神田さんに認めてもらえるならば、鬼でもなんでも相手取ってやりますよ!



 まずは集中的に足を狙い打つ…思った以上のリーチ差に戸惑いながらも、それでも着実に焦ることなくお兄さんの足を攻撃していく。この緊張感、試合の中では感じた事の無い質だ



 対面しているこの人がどれだけの力を持っているかは既に知っている。捕まった瞬間にゲームオーバーという事も、だからこそ文字通り死ぬ気でこの人の手から逃れなければならないと本能が言っている



 一体何発打ち込んだだろうか?小柄で蹴りなんか学んだ事の無い私は自分の足の方が限界に達しているのではないかとすら感じてしまう。しかし確実にお兄さんにもダメージは入っている筈…焦っては仕損じる、これは競技ではなく狩りだと思わなければ



 そして待望の瞬間が訪れた、お兄さんの動きが少し鈍った。ここだ!大きく踏み込んで素早く襟首と袖を捻り上げる、腰を入れ先ほどまで打ち続けていた足の方へ体重を掛ける。明らかにその動きを嫌った事が手に取るように分かった、抵抗する力を推進力に変え私はお兄さんを背負い投げた



 ──まっっっっっったく動かない



 確実に足を刈った、力の向きも間違ってはいない。この肌で感じたあの感覚を計り違える筈なんか無い。それなのに、確かにお兄さんは私の全力を受けてもなお動く事は無かった



 背後からゆっくりと持ち上げられ、床に叩きつけられた。見上げるとそこにはお兄さんが修羅の様な顔をして立っていた



「何回蹴るんだよ!!! 痛ぇなあ!!!」


 ええええーーー…?



「兄さん大丈夫? 赤くなってる」


「あぁ、何考えてるんだこの女…訴えてやろうかな」


 ええええええええ…?



「ったく、動画撮ってたら終わってたぞ!! おら! 今日の分の金だ!!」ぺシーン!!


「もう帰りましょ」


 え、ええ、えええええー…?



「まーちゃん? どうしたの? 今日はまーちゃんの好きなハンバーグなのに…」


「なんだぁ? 父ちゃんが食ってもいいのか?」


「こらあんたぁ!!!」


 えええぇぇぇぇ…?ええ?



「まーちゃんお風呂沸いたわよー入っちゃいなさい」


 ええええええ──かぽーん



『そういえば今日も動画撮って来たんだけどさ、そうそう大田さんも一緒に』


『うん、仲いいよー。今日も撮影終わった後一緒に遊んでたもん』


 え?え?えぇ?



『端から見てても面白かったわ』


『大田さん、またやってくれないかしら』


 ……にっこり



 忘れていた、あの人はしっかり気が狂ってるんだから真に受けた私がバカだったんだ

 それでも神田さんが喜んでくれたみたいで嬉しいなぁ…また頑張ろう


 大田まさみ、前職はCA。しかし如月兄妹と時間を共にするようになってから彼女の心境に確かな変化が訪れている



「あ、今日は神田さん着ていた道着を着て寝よ。う~ん…明日目覚めなくてもいい♡」



 彼女も少しずつ狂いだしているのであった



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