第三十七話 ジョン、ついに気付く
閉店後、自分の経営するレストラン『ディ・マーシア』の厨房で今日もジョンは新作料理の試作に励んでいた。今は日本食を中心に学んでいるのだが、どうしても癖の強い味わいになってしまうばかりでどうすれば海外向けに改良できるのか頭を悩ませていた
「はぁ~…まさかこんなに難しいとは思わなかったよ…ミュゼーが凄いのは分かってたけど日本の料理人って皆こんな事してるのか…まぁ日本では改良なんかしなくても普通に食べられてるか」
「息抜きにミュゼーの配信でも見よ。最近見てなかったからなぁ、なんだこれ妹で遊んでるじゃん、仲良さそうで安心したわ。しかもなんか人増えてるし、ははっウケる~」
『お、お兄さん…逃げてください…このままでは…ぐふっ…』
「ん…? この声聞いたことあるな…? 誰だっけ、芸能人…? 凄いなミュゼーは人気者だ」
それから再び試作しては思うようにいかず心も折れてしまいそうになったジョンは久しぶりに大我に電話してアドバイスを貰うことにした
『おう人間もどき、元気にしてたか』
「元気じゃないよぉ…なんか味噌汁がずっと臭いんだよぉ…これ大豆のせいなの?味噌が悪い?」
『いやどんな味噌を使ってるかは分からんけど日本国産じゃなかったらダシ入ってないだろ? 鰹節とかちゃんと使ってるか? 使ってるとしたらダシの引き方が悪いな』
「それくらいはちゃんと調べたし削ってもいるよぉ…でもなんか臭いんだよなぁ…芳醇じゃない発酵した匂いがする」
『なんでそこまで調べてるのに味噌だけ分かんないんだよ…自分で調べろ』
「火を止めた後に入れるとかもやってるんだよぉ…? これ高い味噌だからいいやつだと思うんだけどさぁ…」
『まだ値段至上主義なんかやってんのか!? 鰹に合う味噌とかもあるんだからちゃんと食って選べ! あとは同じ味噌で昆布とか煮干しダシのバージョンも作れ!』
「えぇ~…でも高かった…」
『うるせぇ! 詐欺にあったと思って割り切れバカ!!』
ジョンは昔から無意識に値段で買うものを選んでいる節があり、だからこそ日本で食べ歩きをした時も値段のリーズナブルさに驚いていた。今回の件も悪癖によって少し質の悪い商品を掴まされてしまったみたいだ
最近は従業員と一緒に各国の料理を持ち寄って食べる品評会などを開いて研鑽に励んでいることも大我に伝えた。早くお金を返せるように頑張ってるんだと言うと大我も期待してると笑っていた
そういえば、と配信を見た際に人が増えていたことにも言及してみた。確かに聞いた声だった事から芸能人だろう?と
『あぁ、大田さんはお前と一緒にハイジャックに遭ってたほら、テロリスト投げてた人。言ってなかったっけ? あれイズミの同級生で今は実家の道場再興のために俺の下で働いてるんだ。それとイズミのことも取り合ってるんだ、惚れてるらしくてね。参っちゃうよなぁ~』
「なんかハーレムライトノベルのあらすじみたいでちょっとキモいよ」
『ハーレムやってるのイズミだけどな』
そうだそうだ、あの後空港で話した時に声を聞いて…しかも実家が道場ってやっぱり柔道めちゃくちゃ強かったんだなー。ミュゼー妹と同い年って言われたらちょっと混乱するけど多分彼女のほうが年相応だったんだろ。日本人なんて皆あれ位の身長だもんな
「そういえば俺も最近ようやく受け身出来るようになったよ、ミュゼー出来る?バチーンって」
『投げられた事無いから出来ないわ。この前も大田さんが投げようとしても1ミリも動かなかった』
「ミュゼーのそういう他人と同じ苦労が出来ない所、嫌いだよ…」
『俺もだよ!』
また今度日本に行きたいとは思っているが如何せん仕事が忙しいので当分先になってしまう事や、料理枠で外国人向けの日本食レシピなんか有ったら教えて欲しいと言うと『配信を私物化すると途端につまらなくなる』といって断られた。
俺も気軽に出れたのに何を言ってるんだろうか、きっと面倒なだけなんだろう。昔はあんなに優しかったのに妹と一緒に住むようになってからミュゼーは俺のことなんか後回しにして…いや、包丁とか突きつけられてたし、よく殴られてたから思い出補正だったわ
「それにしてもこの味噌外れだったのかぁ…だから海外の物産展は嫌いなんだよ! しかも売ってるの日本人じゃなかったろあれ、そりゃ高いわけだ!」
プンスカ怒りながらも万が一に備えて他の作り方で味噌汁を作ってみたものの結局この味噌で作ったものはどれもゲロマズだったのであった
家に帰ってから腹は味噌汁でタプタプだし、また味噌を買いに行かなきゃだしでそのままシャワーを浴びて寝ることにした。
「ちょっと割高になるけどミュゼー経由で送ってもらおうかなぁ…でも仕入れの度にお願いしてたら絶対怒られるし…ネットショッピングはもっと高いよ~なんだこの配送料。味噌の何倍だよ!」
あれこれと味噌の商品ページを見ているとフリーズドライ加工の味噌汁を見つけた
日本ではかなりポピュラーだし話には聞いていたけど飲んだことは無かった。いい機会だし手を出すならここだろうな…と思ってしつこいだろうがミュゼーにおすすめの味噌汁を聞いたら『あさげ』とだけ返ってきた。
なんだあさげって…ふざけた名前だな。そう思って商品を注文してその日は眠った、それから数日間悪夢のような味噌汁漬けの日々が続くも…
「オーナー、なんか荷物来てるっすけど?」
彼はエド、うちの店で働くチーフだ。厨房の指揮はほとんど彼に任せるくらい有能な男で普段の素行や人間関係も問題なくもちろん料理の腕はピカイチだ
「あぁありがとう、君も一緒にどうだい? 味噌スープ、ご馳走するよ?」
「勘弁してくださいよ…もうオーナーの作ったやつで懲りたんっすから…」
「そんな事言うなよ~これはメイド・イン・ジャパンだからきっと美味しいって」
「うへ~サイアク…バケツ用意しとこ…」
調理方法はお湯を沸かして器に入っているこの味噌にかけるだけ、こんな事で美味しい物が出来てしまったら今までの自分の努力を全否定される気がするが
まぁ万に一つもないだろうとジョンは高を括っていた。そして出来上がった味噌汁の香りを嗅ぐ、味噌が使われていることも分かるしダシの香りが主張してこないのは外国人向けで高評価だ、そして一口飲んでみる
ジョンは膝から崩れ落ちた
「お、オーナー!? だから辞めておけって言ったのに! もうこれ全部処分しちゃいますからね!」
「待ってくれ!!!」
「これ……美味すぎるんだ……」
今まで自分の作ってきた味噌汁もどきに比べると完成度が高すぎた。喉元を過ぎてから鼻の方に抜けていく味噌の香りは嫌な後味を一切残さずに次の一口も新鮮なままで楽しめた
そして何よりこの具材『あさげ』なるものがいい、味噌汁を吸ってしっかりと味がありほんのりと油も感じるだろうか…?もう一口、もう一口と飲み進めていくとあっという間にお椀は空になってしまった
「エド! 君も飲んでみたまえ! これを飲まずして味噌汁は語れん!」
「え、えぇ~…? そんな大げさな…」
あまりにも推してくるので適当に感想だけ伝えて業務に戻ろうとしていたエドが一口飲んだ後に目の前に現れた光景は戦国時代の日本だった。世はまさに動乱の時代、己の腕一本で農民が大名にまでのし上がれる時代がこの戦国時代である
次々とエドの横を通り過ぎる諸国大名、ピッツァ、フォアグラ、ステーキ。どの大名も自信に満ち溢れた様相でこちらには見向きもせず、どこか一箇所を目指して歩いていく。そしてそれら大名達が跪いた先に居たのは
──"太閤味噌スープだった"
そんな…あれほど名だたる料理達が跪くほどの物なのか…?確かに美味くはあった、だが俺は他の料理の方が…そうか!!ここに居る料理たちはすでに完成された一品の料理たち、しかしそれらを食べている最中に一口でも味噌スープを飲んでしまえば…もうそれは味噌スープ!全ての料理が日本食になってしまう!
決して他の料理たちに負けることのない香りの強さ、味噌の塩辛さによって味のインパクトも申し分ない。具材など関係なく自らの腕っぷし一本だけで全てを自分色に染めていく、その様はまさに
『 戦 国 』
「エド! どっ、どうした!?」
「ハッ!? お、オーナー…? これは凄い…とんでもないスープですよ…」
「分かってくれるか、よし! それじゃあ早速これをコースメニューのスープに…」
「あっ、それは辞めたほうがいいです。あまりにも他の料理に会わないんで、日本食以外で出さない方がいいっすよこれ」
「そ…そう…?」
こうして単品メニューとしてインスタント味噌汁は採用されたが他にろくな日本食が無かったことで大して売れず、結局従業員たちで飲んでしまい大変好評で個人的に注文した人も居たくらいだという。『リストランテ ディ・マーシア』が有名な日本食レストランとなるのはまだ先の話である
一方日本では
「イズミの味噌汁本当に美味いなぁ~…プロ級だよ」
「学校から帰って起こした母さんが味噌汁味噌汁ってうるさかったからこれだけはずっと作ってたのよ」
「へぇ~、朝陽さんに感謝だぁ。毎日作ってよ」
「あら、随分古い口説き文句ね」
ジョン達とは違いラブコメの波動に溢れていた




