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第二十六話 きっかけ

 

 今日の配信は少し荒れている。視聴者もいい加減我慢の限界だという

 イズミも呆れた様子で大我の方を見ようとしない、そして渦中の大我だけが不機嫌な様子で配信画面を眺めていた。



【いい加減健康診断行けよ、肝臓ボロボロだろ】


「うるせぇ! 行かねぇよ病院なんか!!」



 そう、大我は病院が大嫌いだった。以前イズミが熱を出した時も病院に行かせる事なく自前の知識をフルに活用し快方に向かった。実は大我は優秀が故に自分の体を誰かに触られる事が我慢ならなかった。もしも麻酔で眠らされている間に脳を切開され優秀な遺伝子のみを抽出されてしまった場合、後の世に自分の遺伝子を移植された戦争兵器が…とか本気で思っているらしい。ほぼ病気である



 とはいえ世界各国の戦争における歴史や空想科学などを学んで来た大我が言うのだからあながち間違いではない。



 よくワープ技術が発明されると宇宙の旅が~などという題材でテレビで特番が組まれていたりもするが、そんな平和な事のみを気にしているのは日本人の悪い所だと大我は思っていた。 もしも生物の構造を量子化し何光年先までもワープさせる技術なんかが実証されたとするならば、まず気にしなくてはならないのが戦争に利用された場合の影響だ。



 今まで戦闘機で運ばれていた兵器は一瞬で何もない場所から現れ有人飛行機を使うリスクも必要としない、今の人類が全員仲良く二十二世紀宇宙の旅を楽しむはずが無いと大我は考えている。 資源不足だから外宇宙に移住?バカな、資源が足りないなら人類を減らしてしまえばいい。減った人類を補う技術を手に入れた時、それが開戦の狼煙となるだろうと大我は言う



【訳分かんねー事言ってないで病院行けよ】


「なんで分かんねーんだよ! 俺の細胞が戦争の兵器に利用される事が一ミリたりともないって言えるのかって話だろうが!!」



 正直たかだか健康診断で麻酔なんか使う訳が無いと大我も分かってはいるが、もはやこうなってしまっては歯医者に行きたがらない子供と同じでいかに行かないで済む理由を見つけるかに頭をフル回転させるのだ。


 そもそも健康の事を考えればいつも野菜を摂取せず肉ばかりの食生活をしているイズミだって内臓に負担がかかっていそうなのだが、イズミすらも連れて行きたくないのだという。それはまた別の理由で…イズミの体に誰かが手を触れる事を極端に嫌がっている。それが女性だろうと、だ


 この世界に自分たち以外の人間が干渉してくる事を本能的に拒んでいるのだろうか?もう二人の友人に医者でもいなければテコでも動かなそうだ


 その姿勢にイズミも別に異議を申し立てるでもなく、視聴者と不毛なケンカをしている事に呆れている。



「別に行かないなら行かないでいいじゃない…明日にでも寿命が分かる訳でもないんだから」


【でも明らかに飲みすぎだとは思うよ】


「だから飲みすぎだなって基準はお前らだろ?俺は普通の基準に納まってないんだから大丈夫だって! イズミもそう! 健康体だから!」



 意地でも健康診断は受けたくない、イズミに触れさせたくない大我と体調に気を付けて欲しい視聴者との間で本当に誰も得しない言い合いが繰り広げられている。であれば興味の無いイズミの他に公正に判断してくれる人間を議論に参加させることにした。



『もしもし? ミュゼーどうしたの?』


「おいジョン、お前健康診断とかやる?」


『え? いや、健康保険適用されないからやってないよ』


「ほれ見ろ」



 海外では日本ほど医療態勢が整った国は珍しく、風邪なんかで通院するにも多額のお金がかかる事が多い。なので滅多な事にならない限りジョンも病院に行く事は無いという。


 しかしそんな事を言っても日本に住んでいるのだから、その点もジョンに留意してもらって話を進めなければ公平とは限らない。



『え? 日本に居たらそりゃ健康診断くらいするでしょう? だって俺もそろそろ30になるんだからさぁ…』


「まぁお前は俺の三つ上だからな?」


『でもミュゼーも酒飲みすぎだよ、健康診断くらい行けば? メスでも使う訳じゃあるまいし』



 一人目の有識者は大我にも健康を気遣うように言ったが、妹のイズミについてはお前の方がよく知っているだろう。と判断を任せるといった


 そして二人目、今まさに健康に気遣わなくてはならない人に連絡してみる



『えぇ~? 健康診断~? お仕事柄半年に一回は行ってるけど、もう歳でしょう~? 色んな所にガタが来ちゃってぇ~…お酒も控える訳にはいかないからせめて他の所くらいは健康でいなきゃね~…』


「朝陽さんはその、肝臓とかはどうなんですか? 俺も不健康だとするならそこくらいなので」


『肝臓はねぇ~…衰えては来てるけどぉ、なんとかウコンとか他の部分でカバー出来なくもないからねぇ…好きで飲んでるし体壊しても辞められそうに無いっていうのもあるわねぇ…』


「そうですか…それでイズミの事なんですけど…」


『あぁ~、イズミの事は大我ちゃんに任せるわぁ~! 親とはいえ毎日体調なんか確認できる訳でもないし。それよりも大我ちゃんが健康害した時の方がイズミも気に病むんじゃないかって心配だわぁ…』


「……」



 朝陽さんは年長者という目線で見るに健康に関してはまだ大丈夫だろうけど、今後大きな病気をしないっていう保証もないのだから、その心配事を払拭するために行ってみてはどうか?という事らしい。現代の医学であれば大きな病気だとしても早期発見で完治する場合も多いのでもっともな意見だ


 そして最後にイズミ寄りの意見になるであろう大田さんに連絡をしてみる事に。



『はい、そうですねぇ…家族で健康診断に行ってたりはしないですけど、確かに心配ではありますね。神田さ…あっ妹さんの事もありますし。』


「まぁでも同年代で酒飲みという事もあるけど、別に体調の変化とかもないでしょう?」


『まぁ…そうですけど、お二人は運動しなさすぎというか…職業柄仕方ないですけど。一応筋トレはされてるみたいですが、日光に当たる事もデトックスの一種ですよ』


「そうは言ってもねぇ…別に現代社会で外に出ない事なんか珍しくもないんじゃない?」


『先ほどまでの配信も見させていただいてたんですけど、ご自分の事は普通の基準に納めないのに現代社会の例を持ち出すのはどうかと思いますよ。ただ病院に通いたくないという言い訳でしょうが、それなら妹さんの健康を第一に考えて付き添いくらいは行ってもいいのでは?』



「ん…んん…」



『大体、肝臓に負担の掛かる生活や内臓に負担の掛かるような極端な食生活を管理しているのはお兄さんなんですから。少し自分が気を付けるだけで病院にも行かなくて良くなって、妹さんの健康も管理出来るのでは無いでしょうか? 好き勝手に生きるにはそれなりのリスクが伴うのは当然の事ですのでそれでもいいのなら、お二人の人生ですので部外者が口を出す事でもないのかなと』



「はい…どーもでした…」



 完膚なきまでの正論にさっきまで言い争っていた視聴者も【そうだね】と同調するしかなくなっていた。翌日、すぐに健康診断の日取りを決めると大田さんも連れ三人で一緒に向かった


 三人とも大きな体調の変化や異常などは見受けられず、大我とイズミはやや視力が落ちた程度だった。至って健康だという事でホッと胸をなでおろしたが、大田さんは未だに額に冷や汗を滲ませていた。



 どうやらイズミが女医の方に聴診器を当てられている最中もとんでもない眼光で医師を睨みつけていたのだという。自分ではそこまで分かりやすく態度に出ているとは思っていなかったので少し反省した。しかしハイジャック犯を投げ飛ばすくらいの胆力を持った人間が冷や汗をかく程とは自分でもその過保護っぷりには引いてしまう…


 付き添って貰ったお礼に大田さんと一緒に食事でも食べて帰ろうかとも思ったが、思いの外バリウムの後味が気持ち悪く、とりあえずイズミの胸に顔を埋めさせるとすごく満足そうな顔で帰っていった



 今回の健康診断では一つ収穫があった。俺とイズミには意外な共通点があり、今までの人生で虫歯になった事が一度もないのだとか


 実は赤ん坊の頃に子供の口の中に虫歯菌は存在せず、これは幼少期に親からキスなどされていた場合、親の口内の虫歯菌が子供の口の中で繁殖してしまうという仕組みなのだ。他にも虫歯菌所持者と同じ食器を使ったりもNGである、と医師から豆知識を教えてもらった



 つまり二人とも物心がつくまで誰かとキスをした事が無い可能性が非常に高いのだ

 物心がついた後も大我には経験は無く、イズミも覚えている範囲ではないという



「まぁ、事実がどうだったとして普段から歯磨きしてる訳だからそのうち虫歯になる可能性もあるわな」



「今からでもキスしたら虫歯になる可能性が有るのかしらね?」



「……まぁしなくてもなる可能性はあるし」



「まだ医療が発展していない時期に虫歯になった人間は自殺まで考える程の苦痛を味わったそうよ。そのリスクを取ったとしてたかが粘膜的接触をするメリットがあると思う?」



「あぁ…確かに」



 少しの沈黙、ただ言われてみればその通りだ。たかだか粘膜的接触。家族ならば平気で出来てしまう行為に我々は何を遠慮しているのか。



「…してみるか?」



 不意に口をついた。やましい気持ちなんか一切なく、本当にただ不意に…


 立ち止まったイズミの方を振り向くと、驚いた顔をしていた。


 まさか俺の口からそんな積極的なセリフが出て来るとは思っていなかったんだろう


 まぁたまにはいいだろう、とイズミに歩み寄ると夕日でオレンジに染まった頬に手を添えた


 少しずつ、イズミの目に吸い込まれるように顔が近づく。意外なほどに冷静だった


 こんなものなんだろう、と瞳を閉じると寸での所で顔と顔の間に手が差し込まれた



「きょっ…今日は…まだいい…」



 この時の太陽は先程の夕日よりも赤く染まっていただろうか。気付けば自分の頬も熱を持っている事に気付く


 少しだけいつもより近めの距離で家に帰った二人は、至って健康だった事を配信でしっかり報告し、自分はこれからも酒を飲むしイズミも肉ばっかり食う事を宣言した。好き勝手生きる方が却ってストレスなく生活できるだろうし、これからも年に一回くらいは健康診断に通う事を決めた。



 そして大我は心の中でもう一つ、決めた事があり…



「あれ、今日そっちで寝る?」



「え、えぇ…暖かくなってきたから…兄さんも暑いでしょう?」



「そっか」



 風呂上がりでまだ乾ききっていなかったか。少し濡れた髪をバスタオルで拭いてやり、そのまま頭を撫でる。手櫛で髪を整えてやると手を握り、そのまま唇を重ねた



「おやすみ」



 恥ずかしさのあまり顔を見る事なんか出来なかったが、きっとイズミも俺と同じ表情をしていただろう。にやけて締まりのない表情で…恥ずかしいやら嬉しいやら…顔は発火しそうなほど熱い


 この日が特別な日でもなく、ただただ健康診断をしただけだと聞いたら皆は笑うだろうな


 それでも毎日が特別な日である俺にとっては、なにかのきっかけが必要だった俺には最良の日だったと思う。のぼせてしまったかのような感覚がこの日の俺を中々眠らせてくれなかった


 そして同じことを思っていたのだろう、部屋の扉が開きイズミが布団の中に飛び込んできた



「やっぱり……一緒に寝る……///」



 目は合わなかったが、正直助かった。とても見せられるような顔じゃない


 そのまま顔を隠すように二人で抱き合って眠った。あんなにも恥ずかしくて情けない事の後でもやっぱり心の底から落ち着くんだろう。余計な事を考えずにすぐに眠りに落ちた


 ただ、日常的にこんな恥ずかしい事が出来るようになるとはとても思えなかったが…



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