第204話 絶体絶命!厳島カガリ
【前回までのあらすじ】
厳島カガリはその功績によって世界的にも超名門大学で名誉教授として働く事になり、日本から旅立つ前には多くの友から祝福を受け涙を堪え自らの未来へと歩みを進める事となるのだが、実は名簿の確認ミスにより先方から土壇場でのキャンセルを受けてしまう。大手を振るって出てしまったが為にいつもの日常に戻る事を困難と考えたカガリは隠居生活を決断するのだが……
「あれ……あなた確か……」
大田まさみの友人である大野楓に国内逃亡前の姿を見つかってしまうのだった。
~それからしばらくして~
「話の経緯は大体ですが理解しました」
「だったら何も言わずに今日の事は忘れて貰えないだろうか……」
大我達の生活スペースから離れた喫茶店で今までの状況を整理した二人はこれからの事について話し合う事に。カガリとしてはこのまま何も無かったかのように生活していくつもりらしいが、楓から言わせればとても現実的では無いという。何かを隠しながら生活する際のストレスは想像を絶すると自らの体験談を交えて語ってくれたのだ。
「私の家はとても貧乏で小学校の頃から我慢の連続でした。中でも大変だったのが学校の行事で購入しなければならない備品類で、家庭科の授業に使う裁縫セットでした。」
「他の子達はかわいい新品の箱に綺麗な針と糸を使っていたのに対して、私はおばあちゃんのお古のまっ茶色な裁縫箱を使ってて、それが当時の私としてはかなり恥ずかしかったんですよ」
「そんなの誰も気にしないんじゃ……」
「幼い少女のコミュニティーにおいて茶色はタブー、私はランドセルの中に隠しながら針や糸を取り出す様になり裁縫の授業では常に手の生傷が絶えない日々でした」
「このまま自分の状況を恥じ、国内で生きて行くつもりならあなたの心にもあの時の私と同じ様に傷が積み重なる事でしょう」
「そ、そんな事……」
流石にそれは無理矢理なこじつけだろうと口では言っているカガリも心当たりは有った。それはここ数日眠る度に逃亡先で如月大我一行と鉢合わせしてしまう夢を見ていたからだ。これから先どれだけ上辺で誤魔化したとしても深層心理では同じ様な不安が付きまとうだろう、そしてまた同じ夢に苦しめられる人生が心労の絶えない物になる事は火を見るよりも明らかだった。
「私としましては今すぐ誰かとコンタクトを取り、真実を明かして今まで通りの生活に戻るのが賢明かと」
「それが出来たらどれだけ楽な事か……」
本来であれば先方のミスによって起きてしまった問題なのだが、カガリの中では"海外に行くはずだった自分が逃げてしまっている"という事に置き換わっているせいで事態をややこしくしている。既にカガリの思考は自分が悪い事をしている罪の意識に蝕まれ、とてもあんな風に送り出してくれた面々に顔なんて会わせられない状況だった。
こうなってしまえば他者からの説得など聞く耳も持たず、自ら計画した逃亡計画を実行に移して先程楓が言っていたような日々に苦しめられる事になるだろう。現実からは逃げられても今日この時選択した自分の行動からは一生逃げることは出来ないのである。もはやこれまでかと思われたが何の因果か出会ってしまった楓は、こんな状況は父親で何度も経験済みだと言う。
「そりゃ最初は言いたい放題言われるかもしれないですけど、所詮他人の言葉なんて自分の中から湧き出る罪の意識に比べたら屁みたいな物ですよ」
「この年になって言いたい放題言われる惨めさは想像を絶するんだよ……」
「そんなちっぽけなプライドを守る為に背中丸めてコソコソ生きる方が惨めで情けないですよ」
「やってしまった事は仕方ないと次のステップに進まないと待ってるのは破滅だけ。父に連帯保証人を押し付けた人はそうやって死にました」
大野卓三はその人の良さで何件もの詐欺に遭ってはその度自分の非を認め、返せるはずの無い額を稼ぐために日夜汗水たらし働いていた男である。そんな絶望に満ちた彼の人生よりも金を騙し取った人間の方が先に幕を閉じ、バカ正直に働いていた大野卓三には如月大我という救いの手が差し伸べられたのは人生の帳尻合わせと言うんだろうか?
借金をこさえ続けた父親のせいで辛い思いをして来た楓が今でもそんな父の下で生活を続けているのは、そんな正直に生きる彼の人生を間近で見て来たからかもしれない。他人を欺き生き恥を晒すくらいなら我武者羅に生きて天命を受け入れる事、これが貧乏生活にて培われた大野楓の覚悟なのかもしれない。
「私も一緒に立ち会いますから会ってみませんか?」
「・・・」
カガリは悩んだ。自分の思い出の中に居る彼等ならいずれ笑って許してくれるかもしれないが、もしそうでなかった場合は大きな傷を心に抱えたまま今のように逃亡を計画するだろうと。だったらそんな傷を抱える前に、綺麗な思い出のまま逃げてしまった方が幾分か心の支えにもなる……そんな逃げる事前提の思考がカガリの脳内を埋め尽くした。
そして……
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「じゃあ開けますね?」
「うっ……あぁ……」
「大丈夫です、私が付いてますよ」
カガリは心の底から震えた、もしも皆に受け入れてもらえなかったら……そんな悪い考えばかりが浮かんでしまうから。しかしカガリは、大して関わりも無い自分をここまで気にかけてくれる自分の半分も生きていない少女の厚意を無下にしない選択をした。彼の父親のようにバカ正直に生きたのならいつか誰かが救いの手を差し伸べてくれるんじゃないかと……
カガリの決心に呼応するかのように如月家のドアは開かれた
「うわぁー-! 本当に楓ちゃんが連れてきちゃいましたよー!」
「マジかよぉー!? こりゃ大穴だぁ!!」
「だから言ったろ? 一番手が有利なルールだって」
「じゃあ私と大我ちゃんが奢って貰えるわねぇ~?」
「……あぅぇ……その……」
「まぁまぁ座って下さいよ」
目の前では何某かに一喜一憂する面々と、隣でははち切れんばかりの満面の笑みを浮かべた楓の姿。カガリは一体何が起きているのか理解する前に座席へと座らされた。そこには豪勢な食事と『名誉教授()厳島カガリ様歓迎会』と書かれた横断幕が用意されていた。これが自分の為に開かれた宴なのだと理解するには少しばかり時間を要したが、頭の中を支配する疑問に解を求めるカガリは震えた声で尋ねた。
「こ、これ、これは、どういう?」
「どうもこうも無いだろ。お前がいつまで経っても日本から出て行かないから立ち消えになったんだろって晴香が言っててな」
「な、なん……なんで知って……」
「そらお前、仮にも小金持ちが住んでた家に監視カメラの一つも無いと思ってたのか?」
「カガリちゃんが出発する日は私と晴香ちゃんで、見納めになるかもねって見てたのよ」
「そ、それじゃあ……」
「それでおかしいと思った晴香さんは私達に連絡を寄越して、開催されたのがこちらです!」
『絶体絶命!厳島カガリを救えるのは誰だ選手権!』
「優勝者には俺から金一封、予想を当てた人間には外した人間から奢って貰えるゲームにしてみました」
「ほぁっ……ヒィィ……!」
厳島カガリは震えた。自分の人生を左右しかねない決断が他者の慰み物になっていたというおぞましさに。
「これ中見て良いですか? いくらですか?」
そして先ほどまで自分を説得しようとしていた女神が、目先の金銭に心を売った醜い売女だったという事実に。
「チィッ!!」
部屋の奥で自分は関係ないという表情で肉を貪っていた少女の大きすぎる舌打ちに。
「逃げるとろくな事にならないっていい教訓になったな?」
まるで自分のおかげだとでも言いたげな人の感情を喰らって生きるバケモノの存在に。
そしてなにより
「おぶええぇぇぇ!! よがっだぁぁぁぁ!!」
いつもの日常に帰って来れたのだという安堵感に
余談だが今回聞かされた楓の体験はすべて事実に基づいて語られていたとの事。父親よりも母親の方が8倍は好きだという事だった。




