第194話 年末商戦に挑む男
今年も年の瀬が迫り世間はクリスマスムードでにわかに盛り上がっているようだが、我々主婦にはサンタも来なければ休みも無いのだ。目の前の現実を直視しクリスマス直前のお得商品を狙ってチラシとにらめっこするのが最近の日課である。さて、近隣のデパートではそろそろチキンが入荷する頃だろう。
「来たな、丸鶏一羽が2000円。しかしグラムあたりに換算すると些か高額に感じる。これなら国産の物でなければ割に合わんぞ……」
「どうせ金持ってるんだから安いのは庶民に譲ってやりなさいよ」
「いかん! 俺は正直どれだけ安く質の良い物を手に出来るかのチキンレースを楽しんでいる節がある!! 今年も世の主婦より豊かな心を手にしてみせるぞ!」
「一般客からしたら迷惑でしかないわね」
なんなら通販サイトで国産の高級地鶏2kg6000円なんか余裕で買える。しかしそれでは満たされない物もある……高い物だけを摂取して生きる事が誰よりも幸福か? 答えは否、幸福指数というのは誰かを蹴落とした時に初めて上がると言っていい。暖かい部屋でぬくぬくしながら通販で届いた高級肉を食って何が幸福か。激化しているデパートで誰よりも安く質の良い物を勝ち取ってこそ俺は幸福の絶頂と言えるのだ!
「!? こっ、これだぁ!!」
【国産地鶏数量限定品 1.5kg 1500円】
「宮崎産の地鶏がこれだけの安さで取り引きされているだぁ!? こんなの法の外でなんかやってなきゃ手に入らんくらいの価格じゃないか!! 急げ急げぇ開店は11時ぞ!!」
時刻は現在 AM9:45 店舗までの移動時間は約40分……これは余裕で間に合うな。後は店内のどこで販売されているのかが分かれば……そうだ! 店舗のHPで店内情報が見られるはず! 俺の名前は如月大我、相手が誰であれ決して手を抜かない事が俺の流儀だ。
「まずは西側の入り口から左に一直線……ちっ、余程目立つところに置いておきたいのかほぼ店舗の真ん中に陳列されてやがる……これじゃあどこの入り口から入ったとて差は無いと思っていいだろう……やられたな」
それはそうか、店側からすると誰が手にしようと値段は変わらず売り上げに何の影響も無いのだから。まさに今の俺みたいに競争欲を煽られた客を店舗に招く戦略か、しかし俺の場合どれだけ欲しているとはいえ店の中を走り回るなんてみっともない事は出来ない。理由としてはこのデパートに訪れる客層を考えての事だ。
例えば俺の様に筋骨隆々の若い男が主婦で溢れかえるデパートの中をしゃにむに走り回ったりなんかしたら、妙齢の女性にぶつかり加齢によって脆くなった肉体を破壊しかねない。そうなった時に賠償請求される額はたかだか鶏一羽に掛けられる物とは比にならず、さらに社会的地位すらも脅かされるのだから、走って向かうのはリスクだけの行動という事になる……歯痒いが最後尾になろうと歩いてチキンの元まで辿り着かねばならないという訳だ。
「となれば今すぐ家を出て最前列付近で並ぶしかない! 出るぞイズミ!」
「え? あぁ……じゃあズボン履くわね」
「急いでくれよイズミ!!」
普段は大荷物でもない限り車は使わないのだが、今日は距離が距離だからやむを得ない。しかし年末のこの時期に渋滞が起きないとも限らない……道路交通情報を見つつ道交法のギリギリを攻めながら安全に素早く……なんか遅いなイズミ、普段からメイクとかしないからズボン履いてコート羽織ってものの一分で家を出れるはずなのに。
「兄さん、こっちとこっちどっちがいい?」
「どっちでもいい早くしてくれ!!」
「……怒ってる?」
「怒ってないから早くしてくれ!」
「ほら怒ってるじゃない。大体兄さんが急に行くなんて言うから……」
「分かってて遊んでるだろ!?」
「はいはい分かったわよ」
こんな時でもイズミのお茶目は可愛い、そんなイズミに美味しい物を食べさせてやりたいという気持ちは一段と増し、今の俺は柄にもなく神に祈りなんて捧げているくらいだ。どうか渋滞が起きていませんように……と。
「今日はやけに混んでるわね」
「あああぁぁぁ!! もう終わりだあああぁぁぁ!!」
「そこまで悲観する事無いじゃない、まだ一時間もあるんだから」
「勝負はもう始まっているんだ! この如月大我が貧民や庶民に負ける事などあっていい筈が無い!」
「とんだ成金野郎ね」
刻々と迫る開店時間とは対照的に目の前の車は一向に動く気配が無い、後どれだけ待てば俺達は店舗に辿り着けるのか? そして辿り着いた時にもしも丸鶏が売り切れていたら……俺達は別に欲しくもない何某かの特売品を手にして背中を丸めたままデパートを後にするだろう。そんな精神状態でクリスマス当日を楽しめるだろうか? 丸鶏の無いクリスマスなんてクリスマスにあらず!! おぉ神よ……もしも見ているのであればこの民草の群れを動かしたまへ!!
「あ、動いたわね」
「主は来ませり!?」
「なんか事故でもあったのかしらね、一回動くと早いもんだわ」
「ま、間に合う! これなら開店時間には並べるぞ!」
地鶏を求める旅に障害はもうない。ただ俺達はまだ見ぬ未来に向かって進むのみ……さぁ行こう地鶏を求めて────
* * *
「イズミ……これは……」
「なによ誰も並んでないじゃない」
「それどころか車もまばらで……え、なんで? 俺日付け間違ってた?」
入り口には開店と同時に扉を開けるドアマンが二人と、知り合いと思しきご婦人が数名立ち話をしているだけだった。想像していた光景と乖離した視界に俺は困惑し、ついには店員に聞いてしまう程だった。するとやはり今日が丸鶏を販売している日で間違いない事、そして例年通りであれば地鶏はそこまで売れ行きが振るわないという話を聞く事が出来た。
「本当に買えちゃった……しかも数量限定とかないから二羽も」
「もう一個買って今日食っちゃいましょうよ」
「え……でも他に買う人が……」
「そんなやつどこにもいねぇよ」
「……そうだな」
それから帰宅した俺はすぐに丸鶏の仕込みを始めた。この日の為に買い揃えておいたハーブを使った調味液に丸鶏を漬け込み、ハーブチキンを試作してみる事にした。なんとも納得のいかない結末に幸福がどうとかよりも疑問の方が勝り、俺の中でぐるぐるして気もそぞろ。こうなったら視聴層に主婦も多い俺の配信にて丸鶏購入アンケートを取ってみるしかなさそうだ……!
『今年丸鶏を買った?』
【買った】 8%
【買ってない】92%
「こんな事ある!? しかも買ったって言ってるの若い人ばっかじゃん!」
【お正月もあるんだから流石にそこまで出来ない】
【調理はめんどくさいのに食べるのが一瞬だから】
【手持ちチキンのオードブルもあるしそっちの方が食べやすい】
「なるほどなぁ……丸鶏ってパーティー感味わいたい若者くらいしか買わないんだぁ……」
「私は食ってる感増して嬉しいけどね」
自分が幸福である為の条件を考えた時に、自分の下にどれだけ多くの人が居るかという事が重要だと俺は考えていた。しかし俺が競争の相手だと思っていた世のお母さん達は誰かと戦っていたのではなく、どれだけ楽にイベントを乗り切るかという事に重点を置いていたのだと気付いた。
それもその筈、俺がイズミを楽しませたいという行動理念は子供に対する情愛ではなく、愛する女性を喜ばせんとする情欲と呼べる物だったのだ。派手なら派手なだけ良い、東京タワーをライトアップさせちゃうような痛い男そのものではないか……俺の負けだよ。
────完敗だ
ちなみにチキンはクソ美味かった。クリスマスもこれで行こうと決めた所までは良いのだが、今年のクリスマスも二人だけで居られる保証が無い事に気付き、俺は扉にバリケードを作ろうかと本気で悩んでいる所だ……




