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第190話 大野楓のアルバイト日誌

 


 今現在働いているここのカフェ以外でも、いくつかバイトを掛け持ちしている大学生の大野楓と言います。最近バイトとして入った大田まさみという女性は何故だか私に馴れ馴れしく、同性だとしても許されない範囲のハラスメントとも言える接触の仕方をしてきているので、店長に言ってシフトを変えて貰うかこのバイト自体をやめようかと最近思い悩んでいます。



「あの、大野さんこれ7番卓お願いします!」


「大野さんお会計お願いします! お客さん待ってますので!」


「ありがとうございましたー! 大野さんオーダーお願いしまーす!」



 いや私より仕事できんのかーい



 そりゃ確かに社会人経験が有るとか言ってたけど……にしてもここまで順応が早い事ってあるんだろうか? もしかして実家が道場だった事にも何か関係が有るのか? あの効率の良さは重たい物を運び慣れていて、一度に運べる食器の数が私の倍はあるからだろう。それに体幹がしっかりしているから周囲を見渡していても一切手元がブレずに事故を起こしづらい……新人としては申し分のない働きっぷりではあるんですが……



「大野さんすみませーん! オーダー!」


「あっ……た、ただいま!」



 ~就労後~



 なんだか最近調子が狂うというか……どう考えてもやる気のない人間が入るより、仕事の効率は上がり私も楽出来てお給料も上がる。と分かってはいるんですが……それに原因はきっとこの人で間違いないかと思われます。



「お、大野さ~ん……今日のインナー可愛いですねぇ……へっ、へへ……」


「……」



 一度仕事が終わればこの気持ち悪い人間に逆戻りしてしまうのです。仕事が終わってからもあれくらいテキパキ動いて声を出していればこれほどの不快感は感じなかった筈、正直最近仕事に身が入らないのはこの時間が耐えがたいほどのストレスになっているからなんじゃないかと本気で思っています。いつまでもこんな事が続くのならここいらでキッパリと拒絶の意思を示しておいた方が良いでしょう。



「あのですね大田さん、最近あなたの……」


「あっ、すみません別のバイト先の人から電話が……もしもし大我さんですか?」


「……」


「はい今バイト終わりましたけど、はい。えっ!? い、いや……その……友達といますけど?」


「えっ」


「そうですよ! こ、これから一緒にお買い物に行くんです! ねっ楓ちゃん!」


「いや行きませ……」


「じゃあ失礼します!!」



 乱暴に電話を切った大田さんは着替えるでもなくこちらに顔を向ける事も無く、ただ私達の間には沈黙と気まずい空気だけが流れていた。そもそも大我さんと言うのはお父さんが働いているマンションの管理者では? 私も一度だけ会った事があるしどんな理由で私の名前を使ったのか。バイト先と言っているしサボりの理由に自分の名前を使われるのは気持ちの良い物では無い。



 やっぱりバイト先は別の所にするとしますか



「ではお疲れさまでした。失礼します」


「あ、あのっ!」


「なんですか」


「その……さっきは勝手な事言ってしまってすいませんでした……」


「別にあなたに良識があるとは思っていませんので」


「それでその……罪滅ぼしと言っては何なんですけど……」


「それにもうここのバイト辞めようと思ってましたし」


「……え?」



 帰ろうとした矢先にまだ会話が続きそうだったのでついつい辞める算段まで話してしまうとは……これはさっき以上に長々と引き留められる展開になりそうですね。別に私の肌に合わなかっただけでこの人も完全なる悪とも言えないので、それとなく理由をでっちあげてこのバイト先で長く勤めて貰うように仕向けなきゃいけませんね。急に辞める事になる私から店長へのせめてもの気遣いって事で……



「そう……ですか……」


「はい」


「あの、私……私本当はもっと……もっとぉ……」


「え?」


「うぅ……! えうっ……!」


「いやなにも泣くほどの事でも無いでしょう!?」


「だって……だっでぇ!!」



 引き留められるよりも面倒な事になってしまった……いい歳した大人がたかだか数週間一緒に仕事しただけの人間相手にここまで泣けますかね? どこのバイト先でも教育係に指名された人間は面倒くさそうに義務的に仕事を教えるものだから、もし辞めたとしてもなんの感慨も無かったけれど……まぁこれも私が真摯に仕事を教えていたという事の証左でしょうか。少し誇らしくもありますね



「まだ……一緒にご飯行ってないぃぃぃ……!」


「は?」


「ふっ……服もぉ! 買って……なぁいぃ!!」


「いやそりゃそうでしょう……なんだってそんな事……」


「楓ちゃんとぉ!! とぼだぢになりだがっだぁ!!」


「いや嘘つけよ」



 何を言っているんだこの人……いやこいつは。あれだけ人のストレスになる様な事をしておいて、まさか好かれる為の努力をしていたつもりだったんだろうか? それはそれで怖すぎるでしょ……あんな薄ら寒いネチャついた笑みを浮かべながら逐一身体的特徴ばかりを褒めて来る。あれがセクハラでなくて何がセクハラなのかと疑いたくなるほど満点の嫌がらせだったではないか。



「ゔゔっ!! 辞めても!! 友達でいてください!!」


「いや友達じゃないって……」


「友達になって下さいぃぃ!!」


「いやですよこんな奇人相手に……失礼します」


「あっ!! 楓ちゃあああ!!」


(なんでいつの間にか下の名前で呼ばれているんだ……)



 ~大野家~



「あ、お帰りお父さん」


「いやぁ~見てくれよ楓~! これ今日如月さんに貰ったんだよ!!」


「へぇそうなんだ。珍しいね? わっ凄い数の干物」


「なんだか今日は機嫌が良かったみたいで、貧乏人には日持ちのするこれでもくれてやる~ってこんなにくれたんだよ!」


「お父さんもそろそろ馬鹿にされてる事に気付こうよ」



 でもこれ、全部かなり身厚のホッケだし……店で買うにしてもこんなに一度にパック詰めするだろうか? 普通なら何枚一セットで小分けにされている筈なのに……まぁ気のせいか。それに如月という苗字を聞いてまたあの人の事を思い出してしまった……明日は私が休みで彼女だけのはず。もし今日のショックで仕事をバックレでもしたら……かなり面倒な事になってしまう。



 仕方がない、リスクは最小限に抑えておかないと。



「ねぇお父さん、私明日どこのバイトも休みなんだけど」


「珍しいじゃないか、一カ月ぶりくらいじゃないのか?」


「二カ月ね。それでさ……お父さんの職場の──」



 つづく




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