番外編 大田まさみ
私は小さい頃からかわいい物が大好きだった。綺麗なお洋服に身を包んだお人形さんや、小さなリボンの付いた靴も履いてみたかった。なのに…なのにどうして私はこんな…
「ズェェェェェェェェイ!!!」
「一本! 大田まさみ!」
「つぇぇ…」「バケモンだ…」「流石"まさ大田"」
──こんなにも強い女の子になってしまったの…?
産まれが道場というだけでも女の子らしくなくて嫌いだった。父ちゃんに道着を着せられている写真も見たくなかった私は、それでも柔道を辞めずに中学までは続けていた
理由は、うちの道場に通ってくる門下生の男の子に恋をしていたからだ。
小さい頃から今までずっと。そう聞くと幼馴染みたいな関係を想像する人もいるかもしれないけどそこまで仲が良かった訳でもなく。それは私が道場の娘で強すぎたからだろう
中学に入る前くらいから、私も自分の体が他の女子と比べてゴツゴツと筋肉質な事を気にし始めるようになった。力任せに男の子を投げているからいけないんだ、これからはもっとおしとやかに、負けてしまってもいい位の力加減で。そうやって体全体で投げるようにしたらもっと強くなって日本一になってしまった。
中学に上がる時には"まさ大田"というこの悪名が轟いているこの地域から逃げ出したくもなったが、道場には自分の思い人が来るのだから二律背反に苦しめられていた。
そんなこんなで結局近場の中学に上がる事に。すると入学式の日に一際目を惹く綺麗な人と出会った。神田和泉さんという人だと周りの人は口々に噂している。
まるで自分の理想とするテレビに出ているみたいで綺麗な顔。スラっと伸びた長い手足…羨ましがるなんてとても恐れ多くなってしまう程の、そう、お人形さんみたいな人だった
そんな人とまさか同じクラスの、それも隣の席になってしまうなんて…私の体の大きさが強調されてしまう気がしていつも首を引っ込めて小さく縮こまっていた。視線を感じるのは私ではなく隣の神田さんだという事は百も承知だったけど…
こんなにも綺麗で人気者なのに、特定のグループに属しているという訳でもなく常に一人で居る神田さん。聞くところによるとお父さんが居ないらしく、学校が終わっても家に帰って夜のお仕事をしているお母さんを起こさなきゃいけないらしい。両親が健在で毎日好き勝手に生きているのに、自分の家に不満を持っていた私は少し申し訳なく思ってしまった
隣の席というだけで特に話をした事もなかった私たちはある日、私が教科書を忘れてしまった事で初めて会話する事になった
「あの…すみません…」
「…いえ、別に。読みづらくない?」
「そ、そんな! 大丈夫です! 見せていただいてるだけでもありがたいのに…」
「体が一つ分遠いのが気になるわ。私が寄るわね」
そう言ってズイッとこちらに体を寄せた神田さんから、もうなんというかお花のような、いったい体のどこからそんな成分が分泌されているのか不思議なほどいい香りがして座りながらも立ち眩みしてしまった。これが俗にいうフェロモンというやつなのかとドキドキしてしまった。
その日は授業なんかとても手につかず、神田さんの余韻に浸っていた。こんな事を言うと気持ち悪がられるかもしれないが、男子たちが神田さんにこぞってアタックしている気持ちが分かった。
指の先まで綺麗な白い肌、私なんかとは違う生き物なんだと感じたけどそれは当然だった。だって他のどんな綺麗な子とも違ったから、私に限った事ではない。あんな人と仲良くなれたら、毎日がどんなに幸せだろうなと妄想を膨らませてしまうくらいには彼女に夢中だった。
次の日、昨日のお礼だと言ってキーホルダーを神田さんにあげた。
家の鍵を常に持ち歩いていて、これがあれば落とす事は無いと思ったから
すると神田さんは驚いていた。その発想は無かったと
実家が道場で施錠の習慣が他の家庭よりも多かった事が幸いして神田さんにお礼を言われてしまった。えへへ…とその日一日も夢心地で、これでは神田さんに恋をしている様だと思う程に
次の日が土曜日だったため神田さんには会えなかったが、本来恋をしている男子と会う事が出来るので年中幸せだと思っていた。すると普段は向こうから話しかけて来ないはずのその男子から珍しく声を掛けられた。
「なぁ大田、お前昨日神田さんと話してたろ? いいなぁ…俺にも紹介してくれよぉ」
その言葉を聞いてショックを受けるよりも前に、様々な事にカチンときた
なぜ自分から声を掛けないのかこの意気地なし、という事や私より弱い男に神田さんとの仲なんか取り持ちたくない、という事。なによりもお前も神田さんの事好きだったのかという事だ。
そして私は今までの愛情を憎しみに変えてその男子に言った。『もし私に勝つ事が出来たら神田さんとの仲を取り持ってあげる』と。その日は全部で10回その男子を投げ飛ばした、今までの柔道人生で一番の投げっぷりだっただろうと自分でも思う。
人生初の失恋をしたその日は枕を涙で濡らし、その翌日も自分の部屋で涙に暮れた。せっかくの休日をただ泣くだけで過ごしてしまった虚無感は計り知れなく、次の日の学校までも休んでしまいたいほどだったが、神田さんに会いたいなと思って目を腫らしながら学校に行った。
登校してきた神田さんは私を一瞥すると不思議そうな顔をして着席した。気味悪がられただろうか、こんなカエルみたいな顔をした体のでかい私みたいな女
それでもいつも通りの声色で神田さんは私に声を掛けてくれた
「…誰に殴られたの? 家庭内暴力?」
神田さんは時々天然な所がある。家庭内暴力で執拗に目だけを狙う家庭が有るのだろうか。それともいつも通りのこの顔も誰かに殴られたと錯覚するほど、普段から私の顔はむくんでいるのだろうか…と少し悲しくなってしまったが、今まで誰にも相談して来なかった初恋の事を神田さんに吐き出した。少し胸がスッと軽くなった気がしたが、代わりに神田さんの顔が難しくなっていた
「人の事を好きになるってそんなに悩む事…? 理解はできないわ」
「か、神田さんは今まで…その…好きな人とかは居なかった…?」
「母親だけよ。それ以外の人間がどうなろうと別に何も気にはならないわ」
「そ、そうなんだ…モテるのに…凄いなぁ…」
正直少し嫉妬してしまった。自分には持っていない物をたくさん持っているのに、私が欲しい物は何もいらないと言う。私がもっと女の子らしく、人の目を惹くような人だったら…と
すると神田さんから信じられない言葉がもたらされた
「あなたの方がすごいでしょう? 柔道。私も投げてみたいわ人間」
まさか神田さんが自分の事を認識しているとは思っていなかった。ただ隣の席にいる人間、その程度の認識だと思ったのに…有名人から認識されるのがこんなに嬉しいなんて思わなかった。
そんな舞い上がった気持ちで、流石に人を投げ飛ばすなんて物騒なものではないけど神田さんに自分の知っている一番簡単な護身術のようなものを教えた。
もしも後ろから不審者に襲われてしまった場合の対処法で、羽交い絞めにされたりした時の力の加え方とか腕の解き方を実戦形式で。その時も密かに匂いを嗅いでしまったのは授業料だと自分に言い聞かせていた
それから卒業までの間はクラスが変わって話す機会はめっきり減ってしまったけれど、卒業間近に神田さんは学校に来なくなってしまったらしい
いろいろと物騒な話を聞くけどそんな噂信じられなかった。私が自分の目で見た神田さんを、私は信じていればいいのだから
そして高校卒業を機に私は自分の人生で大きな決心をする事に。
女の子らしい、綺麗で誰もが憧れる職業になりたくて、CAという道に進んだのだが…先日は不幸にも日本の航空便では滅多に遭遇しないハイジャックなんかに遭遇してしまった
乗客の方のおかげでなんとか事なきを得たけど、もしかしたらあの時に死んでしまっていたかもしれないのだから、これからの自分の人生をもっと大事に生きようとしていた矢先。またもや自分の人生の中で転機が訪れたのだった
「か、かかか、神田…さん…?」
「…あら、ハイジャックの」
先日の事件で心の整理が必要だろうと休暇を与えられた私が、久しぶりに自炊などしようかと近所のスーパーに訪れた所、まさか神田さんと出会ってしまったのだ。しかもその隣にはとんでもないイケメンさんを連れて
「おぉ、ジョンが言ってた柔道の人か! 今度一緒にやろうよ、死なない程度に」
やっぱりこんなにも綺麗な人だと隣にいる人もそれだけ容姿の整った人になるんだろう…と呆然と立ち尽くしていると神田さんから刺さるような視線が…なんだか私睨まれてない…?
そうか、彼氏さんが話しかけてきたから手を出さないように威嚇しているんだ…それにハイジャックの人って…やっぱり私の事なんか覚えてないよね…トホホ…
「…大田さん、頭にカメムシついてるわよ」
「か、カメムシ!? ひゃあああ!」
「よく気付かないでここまで来れたな…本当に強いのか? この人」
「兄さんからしたら大体の人間は弱いわよ」
私がカメムシと格闘している間に欲しかった情報がドンドンと供給されている
神田さん覚えていてくれたんだ、一人っ子のはずでは? そして私よりも強いの? などなどが気になってしまい、お二人の帰り道にご一緒させていただける事になった
中学を卒業してからの自分の事や、その時の神田さんの事。今はお兄さんと二人でインターネットで活躍されている事。そのどれもが信じ難かった
そして神田さんから言われた一言がなによりも…
「でも助かったわ大田さん。柔道の技って日常でもしっかり使える物ね」
「え…? 私が…なにか…?」
「あぁ、あの羽交い絞めにされたって奴か。柔道っていうより合気とか古武術に近い奴だな」
そうだ、力の使い方、人の体の構造を利用した抜け出し方。中学の頃に私が教えた…
嬉しかった。自分の気まぐれで教えた技が誰かの役に立つという事が。それも自分の憧れだった彼女が一番辛い時に力になれたんだって
二人のチャンネルを教えてもらってから別れ、それから居ても立っても居られずに久々に実家の門戸を叩くと父には驚かれたが決心は変わらなかった
次の日には辞表を出したのだが、あんな事があったのだから…と快く納得してくれた。ただ今回の決断はそんな理由ではなかった。
綺麗な自分に憧れて入った職場で、それでも楽しさややりがいは見出せなかったように思える。自分の為にという人生は向いていなかったのかもしれない。誰かの為に、誰かの力になる為に。
そして私は指導者として柔道の世界に帰ってきた
小さな画面の中で、記憶の中よりも何倍も楽しそうにする神田さんの力になれて、今までの人生で一番嬉しかったから。この気持ちを忘れずに私はこれからも誰かの力になれるように。今もなお私の前で輝いている彼女の事を応援し続けよう
如月イズミとして生きる憧れの彼女の事を
ここまで読んでいただきありがとうございました!
とりあえずはここで一区切りとさせていただきます!
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