第十六話 ジョン帰国
今日はついにジョンが日本から帰るとの事で空港まで見送りに来た
事の発端は従業員が売り上げ金を根こそぎ持ち逃げしたという災難極まりない物だったが本人的にはいい経験が出来たと満足気な様子だ
「いやぁごめんねミュゼー、こんなにお金借りちゃって…絶対返すから」
「当たり前だろ。一円でも足りなかったら地の底まで追いかけるからな」
働く時間を奪ってしまった従業員への手土産にと大我が見繕った品々を持たせ、ジョンは名残惜しそうに空港の中へと歩いて行った。これでまた数年の間会う事は無いだろうが、今生の別れという訳ではないだろうと大我もすぐにイズミの待つ車へと踵を返した。
それでも飛行機の出る時間になると空港の方角を気にする素振りをしたのは一生涯の友であると認識しているジョンへの挨拶だろうか
イズミは終始、結局あれ誰だったんだろうという顔でジョンの事を見ていたがそれは今気にする事ではない。
* *
一方その頃ジョンの乗った飛行機はハイジャックされていた
「我々の祖国が戦争によって失った同胞たちの弔いだ! 直ちに着陸のルートを変更しろ!」
覆面を被った外国人がCAに銃を突きつけながら叫ぶ。機内の乗組員たちは皆脅えてしまっている
ある一名を除いては
「うぅ~ん…もうお金ないよぉ…」
日本ですっかりパチンコにはまってしまったのかよくない夢を見ている様だ
しかし今回に限っては現実の方が悪夢だと言えるだろう
おかしな動きをしていないか機内を見回っていたテロリストの一人がそんな間の抜けた乗客を見逃すはずもなく
「お、おい! 貴様なにをしている! 起きろ! おい! 隣のやつ! 貴様が起こせ!」
「ひっ…! は、はい!」
ジョンの隣に座ってしまった不運な外国人は銃を突きつけられ何度もジョンを揺さぶり起こした
「んぉ…なにぃ~…? もう着いたの?」
「お、起きてください! でないと僕が殺されて…」
「なんだよミュゼー…また一般人に手出してるのぉ…?」
この騒動が血気盛んな友人が引き起こしている物だと勘違いしたジョンは眠たい目を擦りながら辺りを見渡す。すると謎の覆面から拳銃を突きつけられているうえに、大我の姿はどこにもなかった
この状況から察するにハイジャックだろう。瞬時に理解したジョンは人質の状態や犯人の人数を理解する事に務めた
これは…テロリストと言っても初めての犯行ではないな。安全装置が外されているのに指はしっかり引き金から避けられている。銃の扱いに慣れている証拠だ。となると国際的テログループの犯行か?最近の情勢を考えるにあの宗教か?言語や発音の訛りさえ聞けてしまえば特定は出来そうか
「おい! 貴様、手を頭の上に置いてこっちに来い!」
流暢に喋ってはいるが多少訛りがある。英国圏である事は確定だし…そうだな、ここは少しだけイラつかせておこう。こんな席の後ろまで見回りに来るという事はこの男が単独犯ではないという事と、グループの中でも下っ端という事だ。まずは誰がリーダー格なのか見極めなければ
「え…俺が…? どうして? ただ寝てただけで銃を突きつけられて…訳が分からないよ」
「うるっせぇ! さっさとしねぇとぶっ殺すぞ!」
ジョンの思惑通りに激高したテロリスト。その声に反応して先頭の方から大柄で肌にはびっしりとタトゥーの入れられた男が出てきた
「おい何を騒いでやがる。まだ一人も殺すんじゃねーぞ…?」
(なるほど、あのタトゥー…間違いないな。)
ジョンはリーダー格と思われる男を視認すると大人しく男の指示に従った
このまま無事に乗客全員が目的地に到着するためにはこの男たちをなんとかしなければいけない
その作戦を考える為に少しでも多く時間を稼がなければならない。ジョンはなるべく怯えた表情を作り男たちに現在の状況を教えて欲しいと懇願した
「あの…あぁ、何てことだ…ようやく頭がハッキリと…あぁ…そうか…僕は今から殺されてしまうんですね…そうなんですね…?」
「そうだな、政府に対する見せしめとして殺すなら真っ先に貴様を殺してやる」
先程ジョンが挑発した男はまだ怒りが収まらない様子でジョンのこめかみに銃を突きつけながらそう言った
しかしリーダー格の男がそれを制すとジョンの顔を見て言った
「おい貴様。肌の色から見るに白人ではないな。両親の国籍と宗教は?」
ジョンは頭の中でしめた!と諸手を挙げて喜んだ。顔には出さないように慎重に彼らの情報を頭の中で整理した。彼らは現在政治的テロを行っている犯行グループであり、一種の宗教を信仰している。
それは唯一神信仰だというがどの国にも類似点は無く自分たちの都合の良い様に作られた偶像だ
無神教で無差別主義のジョンにとってはどうでもいい事だが、彼らにとってその情報は一人の人なんか容易く殺してしまえるものらしい
昔テロリズムを学んだ時に知った彼らに都合の良い情報をさも自分の思想かのように、自分も彼らと同じ宗教である事や、敵視している国には自分も不満があるという事を告げ、そして自分の家族も彼らと同じ様に戦争の被害者であるとまで言った。
これは事実である。父は昔こいつらの起こしたテロを鎮圧をする側だった
だからこそ父が死ぬ原因を作った、このテログループの起こした暴動の事はよく知っている。くだらない理由で駄々っ子の様に武器を持った大人が暴れているみっともない物だった
自分達だけが優遇されるべき、それを許しているのは我々の神である。とくだらない理由で何百人の人が死んだ。自分の父も、そして直接の原因ではないにしろ母だって
だからと言って彼らに恨みがある訳でもない。今の人生はそれなりに楽しいからだ。こいつらが居なければそれよりももっと…というだけで。
あまりにもリアルな質感を持った先程の話を信じたのか、銃を下ろしこちらに来るようにとジョンを呼ぶ刺青の男。ジョンは言われるままにその男の元へと向かった、先ほどまでこちらに銃を突きつけていた手下の男を抱きかかえながら、猛スピードで
再び銃を構えた時には190㎝の大男の突進をもろに食らって、抱えていた男諸共大きく吹き飛んでいた
拳銃を後方まで蹴り飛ばし、吹き飛ばした男を二度三度殴ると一人の男がCAを人質に声を上げた
「貴様! とっとと離れろ! この女がどうなってもいいのか!」
「…二人だけじゃなかったか」
人質のCAは喉元をがっしりと抑え込まれ女性の力ではとても逃げられそうにはない。こうなってしまっては選択肢は二つ。彼女を犠牲にこの飛行機を救うか…それとも自分が死んで彼らの目的が果たされるか。
いや、彼らの目的が果たされるという事は彼女もただでは済まないだろう…誰かを簡単に見捨てられるような大我の様な人間であれば悩む事なく彼に飛び掛かっていただろうに。正義感の強い父と同じ遺伝子を持つというのもいい事ばかりではないな。とジョンは諦め男の上から身を引いた
その時、CAを捕まえていた男の体が宙に浮きジョンが跨っていた男の上に一回転して叩きつけられていた。
ジョンも何が起きたか分からないままに武器を取り上げ無我夢中で男達の体を拘束した
着陸までの間、乗客の中で大柄な男達を集めて現代の飛行機で最も頑丈な扉があるコックピットの前で監視する事十五分、乗客に怪我人を一人も出す事無く無事に目的地の空港に到着した。
犯人たちは機長から通報を受けた現地の警察に身柄を引き渡された。それを見送ったジョンは先程のCAを探す
ドタバタの中、機内で言葉を交わすことは出来なかったがあの時捕まっていたのが彼女でなければ、自分たち含めこの飛行機は無事ではなかっただろう。一言礼がしたいと彼女を探していると遠くの方でそれらしき姿を見つけた。
彼女の元に駆け足で向かうとその背格好はとても武装組織の男を投げ飛ばせるようには見えなかった。腰が抜けてすくんだ足元や表情は格闘技をやっているとは思えないほど内気そうだ
「あの、さっきは怖い思いをさせてしまってすみません。」
「あ、いえ…そんな…私の方こそ体が勝手に…」
「あの、柔道…ですか…? さっきの」
「は、はい…一応師範代なんです…」
柔道とはすごいな。ミュゼーも出来るとは言ってたけど俺も習ってみようかなとジョンは思った
それから警察の取り調べやテレビの取材などで自分の家に着くまでかなりの時間を要した。久しぶりの我が家に帰ってくると、慣れない日本に滞在していた分の疲れもどっと押し寄せてきてその日は死んだように眠ってしまった
翌日従業員たちに対して店の営業が再開できる旨と時間が空いてしまったと謝罪の連絡をした。それが落ち着くと昨日の彼女が言っていた柔道の師範代とはどれくらいの期間でなる事が出来るのか調べてみた。
「えーっと…師範代は…あれ? 自分で道場を開く事が出来る…? めっちゃ偉いじゃん…」
「じゃああの子も先生やってたのかな? でもCAさんだったし…もったいない…」
それから日本の柔道家一覧を見ていると、日本では誰もが知っているであろう伝説の柔道家の欄にクマ殺しという異名を見つけた。クマ殺し…なんてかっこいい響きなんだろう。流石にフィクションだろうけどいつかは俺もそれくらいの大物になってやるぞ!
そう心に決めそれ以降休みの日には海外の道場に足繁く通うようになったのだった。
* *
一方この事件は日本でも大々的に報道され、日本人の乗客やジョンの姿もテレビに映っていた
大我や先日の放送でジョンの事を知っている視聴者たちも大騒ぎだった
「いやぁ、びっくりしたなぁまさか俺が生きている間にハイジャックなんて見る事になるとは…ゾッとするよな、もしジョンが死んでたら俺の金が帰って来ないままだったんだろ…信じられないよな」
頭を抱えながら話す大我と隣でニュースに目を向けているイズミ。するとイズミが珍しくニュースに興味を示している様だった。どうしたのかと聞いてみた所おそらく同級生ではないかという女性がテレビに出ているというのだ。
『あ…あのぅ…とても怖かったです…はい…』
「この人? 大田まさみ…ありふれた名前だから勘違いじゃないのか?」
「そうかしら…そうね。きっと勘違いだわ」
確かにイズミの頭の中に浮かんだ同級生は小、中と男子に混ざって柔道をしていた少女だった。
それもかなりの強さだった事から"まさ大田"と呼ばれ全国の柔道少年から恐れられていた。きっとあの少女が自分の知っているその人であるならCAではなく柔道家としていくつものメダルを手にしている筈だからと。
その後、大我からジョンに連絡した際に野次馬根性から機内の様子を聞くとあの女性が男一人を投げ飛ばしたと聞き、イズミはやっぱりと納得のいった顔をしていた。
ジョンは自分も柔道を始めたから黒帯になって"ミュゼー殺し"になるよ!と意気込んでいたが、大我は一言「あの時死ねばよかったのに」と冷たく言い放った




