第165話 如月兄妹のありふれた日常
「最近のハンバーガー高くね…?」
テレビで流れていた期間限定ハンバーガーのCMを見て俺がポツリと呟くと、後ろで飲み物を飲んでいたイズミが困惑した表情で一言苦言を呈した。
「年間何億も収入のある人間が、たかだか数百円の商品に文句を言うのね」
イズミは出会った瞬間から金持ちだった俺の事を『一代で財を成した』くらいに考えているかもしれないが、俺の持っている資産や収入源の土地だって義理の両親が蓄えていた金で手に入れた物だし、なんなら俺の幼い頃に必要以上の贅沢をさせなかった証でもある訳だ。
幼少期には婆さんが作った煮物に文句を言いながら「金あるんだったら毎日すき焼き食わせろ」と言ったりもしたが、人間の味覚とは幼い頃に成長が止まると言われている。当時の食育のおかげで今これだけ多くの食事を楽しめているのかもしれないと考えると、幼い頃からの贅沢が良い事だとは限らないのだろう。
「つまり俺が言いたいのは、いくら金を持っても舌と金銭感覚だけは豊かにならないって事だ」
「にしては思い出したかのように散財をするじゃない」
「経済を回していると言ってくれ」
大人になって分かった事は税金が高い事。税金が理不尽な事。金さえあれば何でもできるという三つの事だ。そもそも低所得者たちは『国は高給取りを優遇している!』とか糾弾しているが年間どれだけの税金が俺の懐から零れ落ちているか想像できるのだろうか?
サラリーマンの生涯年収が理不尽にも持って行かれる感覚。あの瞬間だけは何年経っても慣れないな…逆にこれだけ額が大きければ現実感が無くて助かるとも言えるが、こちとら月見バーガーが去年より60円も値上げされている事を嘆いているんだぞ?そろそろ税金は自己申告の寄付制にするべきじゃないのか?普段寝てる議員からだけ詐取してくれよ本当に。
「それにしても最近の値上がりラッシュは酷くないか? 去年の秋刀魚もビックリしたわ」
「魚に関しては毎年言ってるじゃない。だから黙って肉だけ食ってればいいのよ」
「最近外国人が魚の美味さに気付き始めてるらしいからな…今年はどれくらい高騰するのか今からでも恐ろしいよ…」
値上がりの要因が国内の税金だけとは限らず、漁業に関しては海外の船団による漁獲量の超過などで国際問題にも発展している。これまで日本が摂取してきた量に比べれば…なんて言われたりしているが、もしもこのままのペースで漁を続ければ数年の間に種が絶滅しかねないのだからそんな言い訳聞いている暇はないのだ。
儲けになると分かった時の人間は本当にタガが外れるというか、今までもそれでどれだけの種類の動物を絶滅に追いやって来たのか。文明だけが進化していく中で人の価値観とはどうしても変わらないのだろうと少し悲しくなる。しかしだからこそ養殖の技術も進歩するというジレンマもあり、最近は養殖の方が天然物よりも美味しいとさえ言われるから驚きを禁じ得ない。
「イズミだって他人事じゃないんだぞ? これから資源が減って牧畜が出来なくなれば大好きな肉が食えなくなるかもしれないんだから」
「その時はその時でしょ。人間でも食ってみるわ」
「兄さんは冗談だと信じているぞ」
これに関してもまったくの机上の空論とも言えず、本当に家畜を飼えなくなる時代が来るのだと海外にいた頃は耳にタコが出来るほど聞いた。そもそもヴィーガンと聞くだけで嫌悪感を露わにする人も多いが、本来のヴィーガンの目的とは資源不足が起こるかもしれないので可能な限り食肉は抑えましょうね?という政策であったのだが、いつの間にか『動物さんが可哀想!』とか『ニンゲンのあるべき姿は!』とかの宗教的な話にすげ変わって居たのだ。
俺も大学の頃に出会ったヴィーガンの教授から『どれだけ成績が良かろうともこの思想に同意が出来ないのなら君も所詮は畜生だ』と言われ、あまりの事に怒りすら湧かなかった覚えがある。何故なら自然を愛し動物の命を大切にする彼はその後、自然を破壊し動物を追い出したコンクリートの地面を、有毒ガスを巻き散らすガソリン車で悠々と帰って行ったからだ。あまりの説得力の無さに気でも狂ったのかと心配までした始末。彼は今もそびえ立つビル群に囲まれ講釈を垂れているのだろうか?
「じゃあ仮に肉と同じ食感、同じ味のサプリメントが出たとしてイズミはそれで満足できると思う?」
「量はどうするのよ」
「満腹中枢を少量で満たせる秘薬とする」
それからしばらく考えていた様子のイズミだったが、結果としては『肉との二択であれば迷う事無く肉を食う』と答えた。なんとも肉を食っている満足感だけはサプリメントで補える物では無いと考えているようで、更に返す刀で『どれだけ多くのアルコールを摂取しても酔い潰れる事が無かったのに、どうしてノンアルコールビールで満足できないの?』と言われ確かにと頭を悩ませる。
しかしそれはやはり本物に勝る満足感を得られないからだろうと結論が出た。イズミもただバカみたいに肉を食っているのではなく、しっかりと命を食べているという意識が有ったのだろう。考えても見ればあの反抗的な態度で有名なイズミも、食事前の"いただきます"と食後の"ごちそうさま"を欠かした所は見た事が無い。なんだか少し自分の妹を誇らしく感じる
「そうだな、やっぱ食えるうちに食うのが人間らしくは有るな」
「どうせ金もあるし、体内には肉食って繁殖した先祖の血が流れてるんだからどうしようもないでしょ」
「まぁ極論かもしれんけどな?」
今まで人間が殺して来た動物の数は星の数ほど。それを俺達は営みだと呼んでいるが、それを良しとしない人間が居る事も理解はできる。しかしこれからの人生で動物を殺さずに生きようとした時、きっと俺は真っ先に自らの死を選ぶ事だろう。それほど今の地球人が誰も傷つけずに生きるという事は困難を極めるのだ…これからの世界は俺の想像もはるかに超えて発展していくのかもしれないが、人類以外の生物の行く末は淘汰と詐取に溢れた世になる事が予測される。
「なんだか今日は徳の高い話をしていた気がするな」
「話が飛びすぎて何を言いたいのかはさっぱりだったわよ」
「そういや最初は何の話だったか…」
『期間限定の月見バーガーが新しくなって登場ー!!』
「お前かぁー---!!!」
そうして無駄に頭を使った俺達はCMに乗せられまんまとハンバーガーを買いに行ってしまったのだが、クーポンを使えば従来の値段で月見バーガーを楽しめると気付いた時には思わず頭を抱えてしまった。
まんまと企業側の"店舗に足を運ばせる"という企みにハマってしまったのだと気付いたのだから。しかし味に関しては二人共大満足だったので素直に賛辞を贈る事にしよう。今日も何気ない日常に一色の彩が加わり満足のいく時間となった。
「兄さんこれレタス抜けて無いわよ」
「もう我慢して食べなさい! 食糧危機が来た時には…」
「年寄りみたいに同じ話を何度も何度も」
世界の事は分からんが、これが俺達なりの幸せである事に変わりはないのだから。




