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第163話 眠れない夜には・・・

 


 不覚だ。今日は変な時間についついうたた寝をしてしまったからもう0時を回っているというのに眠れない…



 明日も朝早くから配信だというのに、このままでは眠い目を擦りながら一日の始まりを迎える事になる。そしてまた昼寝をしてしまい生活リズムが狂ってしまうという負のループに陥ってしまうだろう…「どうせ無職同然の生活をしているんだから構わないだろ?」なんて言う人は分かっていない。そんな生活をしていたらイズミと生活リズムがかみ合わなくなり、俺の人生でイズミと共にする時間が減ってしまうのだ!



 どうにかして眠りにつかねば…!



 比較的寝つきが良い方な俺は今までの人生で"どうしても眠らなければならない"というシチュエーションに遭遇する事が無く、ほとほと困り果てていた。ここは藁にも縋る様な思いでたとえ眉唾物だろうが羊を数えるという方法を試してみようと思う。これは脳内で一定のリズムを刻む事と眠る為の集中力を高める事が目的で、前時代的ながらも中々理に適っていると感じる手法だ。



(羊が一匹…羊が二匹…)



 俺の脳内では草原を駆け抜ける羊の群れ。その中から一匹ずつ柵を越えていくイメージを作り上げ、列を成した羊の群れは次々とその柵を乗り越え外の世界へと飛び出していく。しかしそれを人間が許してくれるはずも無く、遠くから羊飼いが使役する犬の遠吠えが響いて来たのだ。



 先程まで自由を勝ち取ったつもりでいた羊達も慌てて柵の中へ逃げ帰る事を余儀なくされ、自分達には自由という物が存在しないのだと身をもって知るのだった。ただこの狭い柵の中で広い外の世界を見る事しか許されない不条理、この広い空がどうしようもなく憎らしく思えた。



 この柵の外には一体何が有るのだろう?あの山にも自分達の様に囲われた羊たちが居るのだろうか?そんな事を頭の中で思い描く事しか出来ない羊たちは今日も人間に毛を刈られる。それだけが生まれてから死ぬまで、変わる事のない現実なのだから…



(可哀想だな羊たち……ッ!?)



 しまった、また俺の悪い癖でついつい羊にストーリー性を持たせてしまっていた…このままでは夜な夜な若い羊が大脱走の計画を立てる場面とか、親羊が脱走の最中に捕まる場面とか妄想し始めて映画一本分くらいの尺になってしまう。リズムが単調ゆえにいくらでもアレンジが利いてしまうのがこの入眠法の弱点かもしれないな…



 もう体感では眠る事に苦戦してから1時間は経過したように思えるが、隣で寝ているイズミを起こしてしまうかもしれないと携帯で時間の確認もする事が出来ない。いっその事このまま布団から抜け出して明日の朝まで動画の編集でもしてた方が良いんじゃないのかと思えて来た。明日だけクソ眠たいかもしれないけど生活リズムを戻す為にはそうでもしないと堂々巡りだ。



 問題は俺の背中に手を回して寝ているイズミを起こさないようにどう動くかだな…



 いつもトイレに起きる時は特に気にする事も無くこのまま布団の中から出て行っていたはずだけど、起こさない様にと気を遣いだすとかなり慎重になって謎の緊張感が漂って来た…どうせ起きないだろうけど、起こしてしまったらそのまま俺も布団の中で朝まで過ごすしか無くなる。別にやましい事がある訳じゃないんだから事情を説明すればいいだけなんだろうけど、特に理由も無くイズミを起こすのは気が引ける。



 という事で少しずつ身をよじり段々とイズミの拘束から抜け出す手法を取る事に



 腕の繋ぎ目を狙ってなるべく掛け布団をずらす事なく、髪を刺激しない様に息も止めて慎重にこのベッドからの脱出を図る。組体操の扇を作るかの様な体制でゆっくりと体を起こす事には成功したが、不幸にも俺のポジションはいつも壁側。ここからイズミの体の上を通過し、音もたてずにこの部屋を後にしなければならないのだ。最後まで気の抜けないまさにミッションインポッシブルである



 まるで夜這いでもするかのような体勢でイズミの上を通過するとつま先立ちのまま忍び足で部屋を後にした。ゆっくりと扉を閉め終えるとそこでようやく息をしていない事を思い出し、二度三度と深く深呼吸をした。なんとか脱出は成功したがこれからの事についてはまだノープランだ



 とりあえずまだ未編集の動画を確認して朝までの数時間で終えられそうな物はささっと編集してしまおう。どうせ明日の昼間は眠気で作業も手につかないだろうから、元気の前借りだと思って早速PCの前に座り気合を一つ注入した。



 のだが…



(少し小腹が空いた気がする…さっきのドタバタで必要以上にカロリーを消費してしまったのか、それとも深夜という時間帯が俺を惑わせているのか…?)



 昔は深夜アニメの為にこの時間もネットサーフィンをしていたものだ。その際には冷蔵庫の中を物色する事が日課と呼べるほど習慣化しており、数分で調理の済む軽食を覚えたのもこの時期だっただろう。十数年前の記憶を呼び起こすかのように、俺はあの頃より何倍も小綺麗になった最新式の冷蔵庫の中をあの頃の様に物色していた。



 そうそう、今日は酒を飲んだ後の〆に食おうと思ってスーパーで鯛の刺身を買って来てたんだった。これを鯛茶漬けにして食ってから寝ようと思ってたのに、それを忘れていたから今小腹が空いているんだな。ちなみに金持ちのくせにスーパーの刺身かよ…と思うかもしれないがこれにはしっかり理由が有る。



 鯛は自分で捌いてもそこから何日か寝かせないと少し身の食感が物足りなく感じる魚で、いざ自分で一尾丸々捌いたとして翌々日にはそこまで食べたくもない…という気分になっている事がしばしば。となると大野さんにお裾分けするか晴香とカガリを呼んで食わすかの二択になるので、ただ俺が損するだけというバカみたいな状況になってしまうのだ。そんなのは御免なので安っぽく繊維質な事でそれなりの歯応えを持っているスーパーの鯛を買ってくる事にしたって訳だ。



 これでも出汁パックから抽出した熱々のかつお出汁を掛けてやれば一気に上等な料理にまで格上げされるのだから、何もスーパーの安物だからと悲観的になる事も無いんだと俺は全国民に言ってやりたいね。それとこの出汁パックメチャクチャ便利だぞ!とも言ってやりたい。ただのおすすめだ



「さ、いただきま…」


「なにしてるの兄さん」



 ……気付くと眠そうな顔をしたイズミが立っていた



「起きちゃったのか…?」


「トイレに行ったのかと思ったら全然帰ってこないから見に来たのよ」


「起きてたのか…」



 完璧に抜け出したつもりでいたが流石に隣からこれだけ大柄な男が居なくなれば気付くか…と観念して眠れない事を話すと、イズミは俺の前に座って出来たての鯛茶漬けを見つめている。これは魚だからイズミは食べられないと伝えると何やら不満気だ、寝起きから食欲が湧いているのは流石イズミと言った所だが…これは俺に何か作れと言ってるのだろうか?



 仕方がないので明日の親子丼に使おうとしていた鶏肉を冷蔵庫から取り出し、ごま油で炒めるとコンソメと鶏ガラで作ったスープを冷や飯と鶏肉の上から掛けてやる。中華風鶏茶漬けの出来上がりだ



「深夜に食う汁物はなんでこうも美味く感じるのだろうか…」


「染みるわね」



 深夜2時20分、如月兄妹のお部屋には電気が灯りこれから朝まで編集作業を二人で済ます事にした。翌日の午後1時にはまとわりつく様な暖かい空気と、落ちてくる瞼に必死に抗っているとも知らずに…



 今にも寝入ってしまいそうな頭の中で、二人は確かに秋の訪れを感じていた事だろう。





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