第十五話 イズミ、野菜食うってよ
この日、夕食の献立を決めあぐねていた大我は放送中に視聴者と一緒に決める事にした
大我の中では当然の様に肉料理前提で話していたのだが、ある視聴者の一言から流れが変わった
【イズミちゃんって食べれる野菜とかないの?】
確かにイズミの野菜嫌いは既に視聴者も知っての事だが、先日のピザの件も踏まえるとある条件下であれば食べられる野菜はいくつかあるかもしれない。
大我はイズミの手によってブロックされたその視聴者を救ってやりながら、肉と野菜の混合料理のレパートリーをリストアップし始めた。
青椒肉絲
回鍋肉
八宝菜
酢豚
野菜と肉を同時に摂取する定番と言えばやはり中華だろう、大体はこんなところだろうか?
正直どれも食べられるとは視聴者も大我も思ってはいなかった。
八宝菜なんか漢字を見るだけで無理だと分かるので、イズミに好きな中華を聞いてみる事にした
「中華って言われてもパッとは出てこないわ、肉か肉じゃないかでしか判断してないんだから肉なら鶏でもワニでも食べるわよ」
なんて単細胞な妹なんだ。と思ったが今後の事を考えればこれはチャンスと、大我が名前を挙げた料理の中からイズミが食べられそうな物を選んでもらう事にした。
エビチリは海産物なので好んで食べるようなものではないがまぁ野菜よりかは食べられる
麻婆豆腐はひき肉多めなら嬉しいけど少量のねぎだから食べられる
チャーシュー麺は一人で食べに行かないから中の野菜は俺に食べてもらう
棒棒鶏は下に敷かれてるキュウリを食べなくとも青臭さが移っているので無理
小籠包は全然OK、むしろ好きな部類だというのでじゃあ同じ系統の餃子はどうなのか?と尋ねると
「餃子も大丈夫よ。肉しか入ってないから」
「え? あれ野菜いっぱい入ってるじゃん」
「入ってないわよ。兄さんが言ってるのって中国の本格的なやつでしょ?」
どういう事かとイズミの母である神田朝陽に電話をしてみる事に。昨日から飲み続けていたようでご機嫌に答えてくれたのだが、神田家の餃子は母の朝陽も野菜嫌いだった事から肉だけを包み焼くだけのものだったらしく【焼くものが餃子】【鍋物に入れると水餃子】【蒸したら小籠包】という括りだったらしい。どうして蒸したら急に名前が難しくなるのかは別に気にしなかったそうだ
本場中華で修行した大我でも焼き餃子なら日本の方が美味しいまである、という事でこの日の夕食は決定した。
野菜を食わされると露骨に嫌な顔をするイズミだが、あんな小さな皮の中に入れられる野菜などたかが知れている、という事でついでに小籠包も作るという条件で渋々承諾した。
今回の餃子は日本の家庭でも一般的に作れるものだが、小籠包については蒸し器を使う為作れない家庭もあるかもしれないと断りを入れつつ朝の配信を終えた。
中国では一般的に餃子といえば水餃子の様に茹でて食べるものだが、もちろん焼き餃子や揚げ餃子などの種類も存在し調理の仕方はほぼ一緒である。
ただ、日本の様にラーメンや白米と一緒に食べるおかず的存在ではなく、一品物の主食として扱われているのだ。というのも中国では餃子の皮を家庭で手作りする事が一般的であり、その際に大きくもちもちとした皮を作る為、自然と食べ応えのある物になるからだ
なので日本で初めて餃子を食べた中国の人は皮が薄くて料金も高いとびっくりするそうだ
今回の餃子や小籠包の配信では、一般的な家庭で作られる量を遥かに上回る個数を作るだろうと考慮し今回は放送前にある程度の工程を動画に収め、放送冒頭で視聴者にはその動画を見ていてもらい自分達は裏で餡を包む作業を行う事にした。目安としては総数二百個くらいだろうか?
スーパーでも大量の材料を買うと予想されたので今回は車で向かう事にした
案の定、白菜やニラに加え豚ひき肉などを分量通りに買ったものの、とても歩いて持って帰れる量ではなかったので今回は車で来て正解だった。野菜を一つ一つカゴに入れるたびこちらの様子を窺ってくるイズミが小動物の様で可愛らしかった
白菜
ニラ
豚ひき肉
鶏がらスープの素
にんにく、生姜チューブ
ごま油
塩胡椒
醤油
これだけあればどこの家庭でも美味しい餃子が作れるだろう
まずは餃子と小籠包どちらにも使う豚ひき肉の下処理から始める。豚肉のみの段階で粘り気が出るまで捏ねておき片栗粉を入れれば繋がりが良くなるのでおススメだ
また、餡に使う野菜の種類は異なるので、この段階で小籠包で使う分のひき肉は取り分けて冷蔵庫に入れておいた方がいい。
白菜は食感の残らない程度みじん切りにしてから塩を振り水気が無くなるまで力強く絞り切ると、餡がべちゃっとならず味も薄くならないのでこの処理を欠かしてはならない
ニラもみじん切りにしてすべての食材と豚ひき肉と合わせる。ここで餡に下味をつけておく事を忘れてはならない
どうせ後で調味料に付けて食べるんだから…と思ってこのまま包んでしまうと食べてみれば調味料味の皮の中から無味のパサパサが出て来るだけになってしまうので注意したい。
塩胡椒や生姜、にんにくチューブを入れて醤油を入れる。ここで鶏ガラスープの素とごま油を少しだけ加えておくと中から出て来る肉汁まで美味しくなるのでオススメだ
小籠包に使う具材は上記の物からニラと白菜を抜いてネギや玉ねぎを入れて作ると良いだろう。
餃子よりも正しい調理法で伝来したからか、おかずというよりも単品料理として親しまれる小籠包にはガツンとしたニラの風味や白菜の甘さは少し不要に感じる。
肝心のスープは一度鶏ガラスープを作ってしまって、ゼラチンを入れ冷やし固めてから餡に混ぜるだけで簡単に出来る。そしてそれだけの方が美味しい
その後、調味料全体に馴染むように捏ね上げれば餡の完成だ。
ここから先はそれぞれ皮に包んで焼くなり蒸すなりというだけなので特に言う事は無いだろう
餃子の羽根に関してはまた調理の際に付け加えるとして…動画にするのはこんなところだろうか?
そしてこれから自分達はというと、店で使うくらいかなり大きめのボウルいっぱいに作られた餡を皮に包む作業をただひたすら繰り返す…考えただけでも気が遠くなる量だ
現在時刻は午後二時を少し過ぎた頃だが今から放送開始までの時間にどれだけ包み切れるかが勝負の分かれ目だろう。焼きや蒸しの工程にそれぞれ七~八分はかかる事からここはなるべくスムーズに終わらせたいところだ
幸い餃子の方はホットプレートを使ってしまえば一度に焼く量を大幅に増やす事が出来るので気が楽だが、問題は小籠包にある。
今回はサボってしまったため皮は市販の餃子の皮を使っているのだが、あまり大量に蒸し器の中に詰め込みすぎると、取り出すタイミングでうっかり皮が破けて中のスープを無駄にしてしまいかねない。なので三段式の蒸し器を使ったとして二十四個しか作れないのだ
普通そこまで大量に食べるものではないが余所は余所、うちはうち。仕方ない事である
少し包み方に癖のある小籠包は大我が、小さい頃に包んだ事があるというのでイズミは餃子を担当する事になった
いつもなら野菜を除ける事で摂取を回避するイズミだが、今回の様にしっかり混ぜ合わされていれば流石にそういう訳にもいかず、黙々と作業を進めている
次々と並べられていく餃子たちと共に刻々と時間は過ぎていく。配信開始のアラームが鳴った時点で残っている餡は三分の一程度だろうか?なんとか間に合いそうだとホッと胸をなでおろす
配信が始まり今回の経緯を説明すると画面は先程の録画に切り替わり、大我とイズミは再び元の作業へと戻った。それでも録画を見ている視聴者の反応が気になるのは職業病とでも言うのだろうか
放送上の動画が終わった午後五時には調理の準備も整っていた
まるでパーティーでも開かれるかのような巨大な皿にてんこ盛りの餃子たちを前にして二人は少しへとへとな様子だったが、大我はここからもうひと踏ん張り必要だ
食事用のテーブルにホットプレートを用意しその上に餃子を並べていく。一度に五十個は作れるだろうか?今回は羽根つき餃子にするので初めはサラダ油で焼き色を付けて、その後水で溶いた小麦粉とごま油を投入する予定だ。
小籠包の方も同時進行の為、都度都度キッチンとの往復になると予想される
まずは中火で二分ほど焼き色を付けたら、しっかりと水に溶けた小麦粉を餃子が半分浸かるかどうか位の量入れ、その上からごま油をかけていく。そして蓋をして水気が飛ぶまで放置で良い
この時に入れすぎではないのか?これでは水分が飛ぶまでに底が丸焦げになってしまうのでは…?と思うくらい入れても案外大丈夫なので安心して欲しい
そしてこの段階で小籠包を蒸し始める。こっちの方は用心しなければ皮がふやけて破れ、中のスープをすべて逃がしてしまう恐れもあるので、五分ほど経ってから中の様子を見てスープが透明になっている事が確認出来れば火の通っている証拠だ。中の敷き紙ごと慎重にせいろに移せばいい。
出来上がった小籠包を取り出すと、第二陣を即座に投入しテーブルへ。餃子の方はもう少しの様なので小籠包を食べて出来上がりを待つ事に
どんな料理も出来たてで食べるに限るが、特に中華は格別だ。熱々のまま汗をかきながら食べてこそだろう、大我も一つ味見用に食べてみる。
用意したレンゲにちょうど収まるサイズの小籠包の皮を箸で破り、湯気と共に溢れ出てきたスープを一口すするとごま油の風味と鶏ガラスープのパンチが一気に押し寄せてきた
特別な材料なんか使っていないにもかかわらず、一般家庭でこの上品さが出るのは肉や野菜の旨味を皮の中で凝縮させる"蒸す"という調理法のおかげだろう
小籠包に関しては主張の強い野菜が入っていないので問題なくイズミも食べられている様だ。これに関しては正直想像通りだが問題は次の餃子だ
野菜の中でもトップクラスに香りの強いニラを使った餃子は、包んでいる時に既にイズミは嫌そうな顔をしていた為少し不安だ。
調味料に付けてから恐る恐る口に運んだイズミに感想を尋ねると、少し顔をしかめた
「くっさ…なにこれ…」
しまった…流石にニラはやりすぎたか。野菜初心者に食べさせる物ではなかったかと反省し、残りは俺とジョンで食べるよ。と言ったがそれでもイズミは健気に何個か餃子を口に運んでいる。
作った人の気持ちを汲んでくれるなんて、優しい子に育って嬉しいよ…と小籠包の監視に戻るとテーブルの方からサクサク、ぱりぱりと羽根が割れる音が鳴りやまないので気になりながらも小籠包からも目が離せずにやきもきしていた。
そして第二陣が蒸しあがった段階で、次の小籠包を入れる事も忘れてイズミの元へ向かった。するとそこには白飯片手に餃子をもりもりと食べるイズミの姿があった
「い、イズミ…? そんな無理して食べなくても…」
「…? 別に無理してないわよ。うわくっさ…」
「ほら、野菜の匂い苦手なんだからトラウマになる前にやめなさい」
「え、これにんにくの匂いでしょ? くっさい」
なにを言ってるんだこの子は…にんにくも野菜だろうけど今はニラの話を…もしかして分かってない…?この子ニラとにんにくの違いが分かってないのか?
そりゃ確かに野菜の青臭さとは違ったニラ臭さと形容される事もあるくらい独特な匂いだけど、流石に普段食べてるにんにくとの違い位は分かるだろ…ていうか普段からにんにく食べてるんだったらニラくらい食えるか。俺がバカだったわ
くさいくさい言いながらバクバク食べるイズミに呆れて小籠包をテーブルに置くと再び小籠包たちを育て始める。にんにくとニラの違いも分からない妹に飯を配給するだけの給仕生活に逆戻りだ
満腹まで食べたイズミがダラダラとしている横で餃子を食べる。ちゃんと美味しいじゃないかと嬉しくなると共にニラとにんにくは流石に分かると再確認する
イズミに野菜が入っていた事の感想を聞いてみるとそこまで野菜が主張してこなかったから全然普通に食べられたと言っている。明日から石でも食わせておこうかとも思ってしまう
なんとか仕返しする事が出来ないかと思案する器の小さい俺はとてもいい仕返しを思いついてしまった。
「それにしてもイズミがいっぱい食べてくれて嬉しいよ~! 美味しかった?」
「えぇ、美味しかったわよ」
とイズミが言った瞬間大きく息を吸った。イズミの顔を真正面に据えてその呼気を少したりとも逃さないように
初めはなにか喋りだすかとこちらの様子を窺っていたイズミだったが、こちらの意図に気付いたの
か顔を赤くし、すぐさま洗面所に向かおうとする。しかしそれを許す筈もなく、すぐさま捕まえて自分の膝の上にイズミを抱きかかえる。
「美味しかった~?どんなところが?ニラは?ニラとにんにくどういう風に違ったか教えて~?」
「んーーー!! ん! んー!!///」
「ちゃんと喋ってくれないと分かんないよイズミちゃ~ん! ほら兄さんに聞かせてごらん? さぁ!」
なんとか口を塞ぎながらも兄の手から逃れようとするイズミだがなかなか離してくれず恥ずかしくて死んでしまいそうだった。デリカシー皆無の大我の行いを咎める女性視聴者と、イズミの匂いを嗅ぎたい変態視聴者でその日のコメント欄は大いに盛り上がっていた。
放送終了後、今日一緒に寝る?と尋ねた大我の頬を平手で叩いたイズミは「明日で良い!」と怒っていたという。




