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第161話 身バレの危機

 


 俺の家に駆けこんできた見覚えのある二つの顔は、いつもと違った焦燥感に満ちた表情だった事から普段はノータイムで追い返すこの俺も少しだけ話を聞いてやる事にしたのだ。家に通して何が起きたのかと聞いても話がまとまっていないような、曖昧な返事ばかりで呼吸を落ち着けるために数分の間彼女らを宥める事に徹した。



「少しは落ち着いたか?」


「う、うん…すまないね急に来て…」


「それで、なんでそこまで慌ててたんだ? ていうか晴香は来てないみたいだが…」


「まさか晴香が事故にでも遭って…!?」


「あ、ううん! そうじゃないのよ大我ちゃん!」



 俺の家を訪れたのは厳島カガリと神田朝陽の二人だった。普段はのほほんというかマイペースに生きている事でも有名なこの二人が肩で息する程に取り乱すとは、命に関わるほどのやんごとなき事情に違いないと思ったのだがそうではなかった事にまずはホッと胸を撫で下ろす。



 であれば本題は何なのかと聞くとでカガリの方がスマホの画面を俺の前に掲げ、その画面にはSNS上でのやり取りと思われる内容が書かれていた。どうやら身分を明かさず個人で配信しているバーチャルアイドルのアカウントで、厄介勢と呼ばれるネット上での付きまとい被害に遭っているのだと言うが…それくらいで動揺するような人間だったか?と疑問に思ったのでさらに詳しく聞いてみる事に。



「これくらいは芸能人でなくともネットを利用してる女ならありふれた光景にも思えるが」


「そりゃこれで留まるくらいなら相談なんかしに来ないよぉ…!」


「そうなのよ…なんだか住所を特定するとか、職場まで押しかけるとかって…」


「なるほどな、一線を越えてる訳か」



 ゲームやアニメなどに留まらずインターネットを利用する人間には謎の全能感が芽生えるらしく、最近ではこういった匿名での脅迫や誹謗中傷も厳しく取り締まれている時代だ。よく昔も荒れていたなんて言うがその時との絶対数の違いは天と地ほどある訳で、しかも当時ネット環境を家に用意できるのならそれなりの収入も有っただろうから心にはどこか余裕が有ったはず。チキンレースのつもりが逮捕されるなんて話は有ったが、ここまで明確に悪意を持つ者はそれほど多くなかったように感じる。



「とにかく警察に届け出を出さなきゃならんのだが…面倒な事が一点ある」


「面倒な事って…?」


「…お前らがバーチャルアイドルとして脅迫を受けているという事だ」


「キャラクターに対する脅迫だから中身の人間は関係ないって事!?」


「そんなぁ…」


「まぁ落ち着け…俺もそんな判例を知らないだけだ」



 しかし判例は知らないながらも常識的に考えれば彼女らはバーチャルアイドル・カガリン&アサヒの声優兼作者的立ち位置な訳で、それならキャラクターに対する権利は全て所持しているので権利侵害といった方向で訴訟する事も出来るだろうが…



 もしもこいつが「設定で住んでいる場所に対しての発言だった」とか言った場合には脅迫になるのだろうか…?現在も継続している付きまとい行為に関しては訴えれば明確に民事裁判の対象となる。しかし俺が言っているのは"裁かれるべき罪状が一つ減ってしまうんじゃないのか?"という所で…



 カガリと朝陽さんが生身のままで活動しているのであればどう考えても脅迫が成立しているのだが、アカウント名までそのキャラで本人たちの中身も公表している訳でも無いのがかなり厄介だ。もしも声優さんが自分の演じるキャラクターに対する脅迫を受けたとして、それが身の危険を感じる事に繋がるのかと言われればNOだ。しかし朝陽さんとカガリは生身の声優でもあり架空のキャラクターでもある存在なので、一般人が中身の厳島カガリと神田朝陽を認知する事はほぼ不可能。



 こうなってくると厄介なのが一般人の目線から見たらこの厄介オタクは『キャラクターに対して本気になっている精神疾患を持った人間なのか?』それとも『中身の人間に執着し、住所や職場を特定しようとしている犯罪者なのか?』これが非常にわかり辛い。もちろん迷惑行為には違いないので警察も動いてくれるだろうが、それ以降の対応にはあまり期待できない。



 別に朝陽さんもカガリもこれが本職な訳でもどこかの事務所に雇われ、所属している訳でも無いので「身の危険を感じるようでしたらこの趣味をやめた方が良いですよ」こんな風に言われるに違いない。そりゃ警察からしたら別の犯罪も発生する中で『趣味でネット活動をしていたら脅迫された』なんて事で年に何度も通報が有ったりしたらたまったもんじゃないだろう。



「まぁこれに関しては俺もネットで活動してる訳だから何とも言えないわ…」


「じゃあ泣き寝入りしろって事か!?」


「泣き寝入りっても脅迫以外の事だったら対応はしてくれるって…何なら俺が訴えてやってもいいし」


「そう…結構楽しかったのにねぇ…」


「納得いかないんだが!? じゃあこのまま我慢し続けるか辞めるかの二択って事かい!?」


「それか最大限自衛してから被害の継続性を訴えるか、だな」



 声色による怒りの種類だったり表情の伝わらないネットにおいて、その凶悪性を物語るのはどれだけ粘着され続けているかという事だ。配信においての連投であったり事実とは異なる、または事実であったとしても当人の評判を貶めようとしている情報の拡散。それが何カ月も続けば警察としても対応せざるを得なくなる。しかしそれだけの期間を我慢したとしてようやく一人捕まえるだけなのだから、まだまだネットに関する法整備は甘い様に感じるな…



「だからSNSではブロックを徹底して、配信で連投なんかが有った場合にはコメントを削除してくれる人を雇え」


「その費用は…?」


「今は自腹だが裁判にでもなれば返済を命じると良いだろう」


「その裁判の費用は…?」


「もちろん自腹だな」


「納得いかないー-!!」


「仕方ないだろ法律で定められてるんだから!!」



 カガリが言う事ももっともだが、ネットを趣味で利用する人口はここ数年で跳ね上がったばかりでようやっと著作権や違法なDLが取り締まられているのだから…利用する人口と金の流れが大きい方を優先するのは当然だし、配信者を守る為の法律が出来るのは何年後の話になるかは分からないが、それまでは今回の様に自衛して待つしかないのだろうな。



「もう頭きた!! こうなったら顔出し配信してそいつの事犯罪者にしてやる!!」


「おい落ち着けって!! お前はもう顔割れてるんだから悲惨な事に…」


「知るかぁ! やられたまま黙ってられるほどこちとら優しくないんでね!!」


「俺の母親がバーチャルアイドルやってたなんて知られたら俺まで迷惑なんだよぉ!!」




「イズミも母さんがアイドルやってたら迷惑ぅ…?」


「知らないわよ。勝手にやりなさい」




 今回の件は大我のアドバイスによる徹底した自衛によって、なんとか収まりそうなのだが…これから人気になる事があればこれの何倍、何十倍もの人の悪意に曝される事になる。大我は「肯定的な声にだけ耳を傾けていればさほど気にならない」なんて言っていたが…それが出来る人間は多くない。



 昔は掲示板荒らしのネット暴走族だった大我でさえも、日常的にこれだけネットが荒れているのはどこかおかしいと言う程だ。まだ数年は今のような状況が続くだろうから、大人しくしていると良い。とだけ言って二人を帰した




「まったくもってやれやれだな」


「アカウント特定出来たわよ」


「よし、面倒だ。そのまま個人情報特定して掲示板にバラまいてやれ」



 どうやらネット暴走族は表に出ないネットヤクザに進化していただけだったようだ。





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