第157話 自宅で過ごす夏祭り
8月末日、まだ暑い日々を過ごす如月家では涼しげな風鈴の音がこだましているのですが…
「流石にこの時期は夏祭りだとか花火大会の話題で一色だな」
「まさか行こうだなんて言うんじゃないわよね」
「そんな訳ないだろ? 俺だってイズミと同じで人混みが嫌いなんだから」
ただまぁ…窓も開けていない家の中で風鈴を鳴らしているくらいには夏の気配を求めているのもまた事実。なんだかんだ今年も夏らしい事をせずに季節は過ぎ去ろうとしているのだから、どうにかして今年もこの季節を生きた証が欲しい所だ。
となればまた大田さんの家に…なんて考えも頭をよぎるが、去年までの俺達であればそれでも良かったのだろう。ただ今年の俺達はどう考えてもイチャイチャが足りていない様に感じるのだ!もっと直接的な表現をしてしまえば、アイツらを甘やかしすぎている気がする。本来の我々ならば二人だけの空間に他者の干渉を受けるなんて言語道断だったはずなのに…
どうやら俺達の気付かぬうちに、欠落していた人間性を植え付けられてしまっている様だ
「今年はなんとしても二人だけで夏の終わりを満喫しよう!」
「そんな事言ってるからまた母さんから連絡が来たわよ」
「自分のフラグ建築能力が恐ろしいよ」
【昨日大田ちゃんがインフルエンザになっちゃって、いつも一緒に居た私達も自宅療養だって言われちゃった…今年の夏は皆でお祭り行けないと思うの…楽しみにしていただろうにごめんなさいね…(泣)】
「ん…? これはもしや初めての追い風では…?」
「珍しい事もあるモノね」
俺達の予想を裏切る形で大田さんと共に母親連中を封じ込める事に成功してしまった。何が危ないって朝陽さんの口ぶりからすると、俺達も夏祭りに同行する勘定の中に入れられていた訳で…となると大田さんさえ健康であれば、今日の夕方頃には例のごとく我が家の門戸を叩いていたに違いない。想像するだけで身も凍る思いだ…神様ウイルス様本当にありがとう
という事は、だ
「よし、じゃあ仕方なく俺達だけで夏を満喫するとしますか!」
「随分と嬉しそうね」
今日は文字通り"祭り"としようか
* * * * *
陽もすっかり沈もうかという頃に如月兄妹の二人は大荷物を持って帰宅した。今日は家の中で夏祭りを完全再現しようと、様々な食材や機材を昼間の内に買い込んできたようだ。
「え~、かき氷機にチョコレートフォンデュセット…あとはわたあめ機が売り切れてなければなぁ…」
「買った所で来年は使わなそうだから良かったじゃない」
「まぁわたあめだけ食べたい時とか無いけど…鉄板だからなぁ~…」
今日の買い出しで手に入れた品々を紹介すると、かき氷機とそれにちょうど収まる氷が作れる製氷機。チョコバナナを作る為のフォンデュセットと鉄板焼きの雰囲気を出す為にソースを塗る刷毛も買って来た。これで焼きトウモロコシやお好み焼きにタレを塗りたくればそれっぽく見えるだろうと考えたのだが、なにも屋台に並んでいるメニューをそのまま再現する必要もない訳で。
今日の"如月家夏祭り"ではイズミが大喜びの特別な出店をしてやろうと思っている
「じゃあまずは焼きそばからパパっと作っちゃおうか。普段はイズミが嫌いな野菜もふんだんに使われていて、魚の小骨を除けるみたいにちまちまと野菜を取り除いていた訳ですが…なんと今日の焼きそばは肉オンリーで作りましょう!」
「もう楽しいわね」
雰囲気が出る様にイズミには浴衣を着て貰っているのだが、普段とは違い髪をまとめてお団子にしているイズミが見れただけで俺も嬉しい限りだ。ちなみにこの浴衣は以前コスプレ衣装を大量に買った時のラインナップに入っていた物だが、よもやこんな所で役立とうとは…感無量である
「豚バラ肉を入れて、これだけだと味気ないから牛筋とかのホルモン系を入れてしまおう。関西風のピリ辛ソースで炒めるからこれもよく合うはずだ」
焼きそばを炒めて肉に火が入る前に、巨大ホットプレートのもう片面ではお好み焼きの準備も始めている。今回は一つの大きなホットプレートで調理できるのだから、関西風お好み焼きではなく広島焼きで行こうと考えたわけだ。関西風のソースが香る広島風お好み焼きとは…これは粉物界の歴史的和解と言っても過言では無いだろう
「はい焼きそばお待ち! 今お好み焼きも出来るから待っててね!」
「マヨネーズかけて良い?」
「好きなだけかけなさい」
如月家夏祭りはどこまでも自由なのだから
その後も屋台のお兄さんと化した俺は腹ペコモンスターイズミの胃を満足させる為に、あれやこれやと様々な調理をしていく事になるのだが…この時今までなんとなくで見ていた屋台のシステムにとんでもない利点がある事に気付いたのだ。
「はいたこ焼きのタコ抜き肉団子入りね。それとフランクフルトと焼き鳥はもう焼けてるから、そっちの炉端焼き器から勝手に取って。今おかわりの焼きそば出来るからそれまで揚げたてのから揚げ串食べてて良いよ!」
「こんだけ食っても間が空かないのね。これ毎日やりましょう」
「それは兄さんが死んじゃうかもしれない」
そう、このメニューの並びだと一切調理器具の休まる時間が無いのだ。本来ならイズミの底なし胃袋を満足させるために一度の調理で大量の焼きそばを…となる所だが、ホットプレート以外にも炉端焼き機で串を焼き、携帯コンロでは揚げ物、レンジの中には蒸かした芋が。たこ焼き機のもどかしい待ち時間ですらも一瞬に感じるほどのサイクルにコックの俺でさえ驚いている。
なんなら今は冷凍庫でカキ氷用の氷を作り、冷蔵庫ではチョコバナナと俺用のキュウリの一本漬けも待機している状態だ。一度にどれだけの調理が出来ると言うのか…しかも本物の屋台では作り置きまで出来るのだから、たった数個の屋台ながらそりゃあれだけの人数を捌ける訳だと納得の結果だった。
「串焼き、もう満足したら兄さんのイカとトウモロコシ焼きたいんだけど…」
「芋食ってるから良いわよ」
「ようやっと俺の腹も満たされそうだな…」
今目の前で調理されている品を見ればさぞ大勢の来客が有ったのだろうと人は思うだろう。しかし我が家ではこれが一人の人間の胃で消化されるというのだから…江戸の時代であれば妖怪の類だと疑われても仕方がないほどの食欲だ。いや、現代でも疑われるかもしれないけども…
「チョコバナナもう固まってるかしら」
「そうだな、まだだったら冷凍庫に入れておけばいいだろ」
「はい、これ兄さんのでしょ」
「お、キュウリも頃合いかもな」
クーラーの効いた部屋の中でも、これだけの調理器具をいっぺんに使えば部屋の温度は外と変わりない程度に感じてしまった。それならば風も吹いている外で一服しようと缶ビールを片手にベランダに出た。いつもは缶のまま飲むのに今日は祭りの雰囲気が味わえるようにとプラスチックのコップに中身を注いでいく。350㎖一本で満たされたこのコップ一杯を500円という法外な値段で取引している場所がこの日本にはあるそうだ…それもこの時期は全国的に。
ドーンという大きな音に続いてパラパラと火の粉の弾ける音が聞こえて来たのはそんな事を考えている時だった。どうやら近所の河原で花火大会が行われている様だが、俺達が住んでいるマンションからでは見ることは出来なさそうだ。少しだけ残念に思うが仕事終わりのこの一杯を飲んでしまうと、もう家から出るのが億劫になってしまう。「どうせ花火もネットで見れるし…」こうして昨今の日本ではインドア派が急増したのだろうな
「く~っ…! ほとんど水なはずのキュウリが美味すぎる…」
「兄さんこれ使い方が分からないんだけど」
「さっきまで芋食ってたと思ったらもうかき氷ですか…」
ゴリゴリと氷の削れる音を聞きながら焦げた醤油ダレで化粧をしたイカ焼きを食べる。意外な事にこれだけの屋台メニューを取り揃えたのに屋内ではそれほど夏を感じることは出来なかったな。やはりロケーションこそが季節を感じるのに最重要な条件なのだろうとまた新たな学びを得た俺ではあったのだが…
「頭が……」
「流石のイズミでもかき氷には勝てなかったか」
今の俺は確かな幸せを感じられているのでよし。




