第152話 如月大我と豚丼
人は金を持ってしまえば人生を楽しむ選択肢が増えるのだろうか?高級レストランでの夕食に舌鼓を打ち、その資産に群がる風体だけは良い女を抱いて一生のうちに得られる幸せは増す。そんな甘言に騙された後続の成金たちは、貴重な自らの人生を他人の敷かれたレールに乗って消費していくのだろう。
膨らんだ懐に詰まっているのは金と虚栄心だけの『成功者』たちは今日も高層マンションのガラス窓から夜の街を我が物顔で眺めているだろうか?
────────
──────
────
「くぅ~…! どうした物か…!」
「いいから早くしなさいよ、腹減ったって言ってるでしょ」
「待ってくれ! 牛丼屋に来たにもかかわらず豚丼を注文するにはまだ勇気が…」
「だったら牛丼頼めばいいじゃない。もうボタン押すわよ」
「そんな殺生な…」
如月兄妹はその膨大な資産を持ちながら、今日の昼飯はチェーン店の牛丼を選んだらしい。豊かな人生とは資産の多さではなく、どれだけこの世界に存在する娯楽を楽しめるのかだというのが大我の持論であり、幼い頃から揺らぐ事のないポリシーだ。
食という物は常に新たなコンテンツが産まれ続ける無限DLC対応のゲームでもある。そんな事を言っている大我は期間限定で販売が開始された【炭火焼豚丼】を注文するかどうかでかれこれ3分は悩んでいる。牛丼屋とは安定したクオリティの牛丼が安価で食べられる事が魅力なのだが、季節に合わせてこの様な新メニューを試験的に導入する事が最近では定番となっている。
「冷静になって考えても見ろよ、これで俺が豚丼頼んだら豚汁セットにした場合に『アイツ牛丼屋に豚肉食いに来てらw』って店員から笑われるかもしれないだろ?」
「誰も兄さんに興味無いわよ」
「豚男ってあだ名つくかもしれないだろ」
「もっと豚男っぽい客が年中来てるでしょ」
「なんて失礼な事を言うんだこの子は」
実際なにがそこまで死活問題かと言うと、牛丼は年中食べに来る事が出来るが豚丼はそうも行かず…「そうだ今日豚丼を食べよう!」と思うコンディションの日はそこまで多くは無い。本格的に調理され地元の名物になっている様な場所ならいざ知らず、どこでも食べれるような安価な豚丼はどうしても豚特有の臭みが目立ってしまう事が多いのだ。
油臭さというか、それを打ち消すために甘辛いタレでこれでもかと調理された豚丼はもはや劣化うな重。うなぎもタレが美味しいと言われる部類の食品だが、淡白な身のおかげでその濃い目のタレはご飯にまで掛けても丁度いいくらいだ。しかしこと豚丼に関しては肉の部分と同程度の脂身で構成され、既にこってりもったりとしたフォルムなのが足を引っ張るのだろう。
そこまで批判的ならばもう答えは出ている様に思えるが、如月大我は案外ミーハーだった。
「もしここで食べられなかったら来年まで持ち越しになるかもしれないだろ? それに期間限定で出すメニューなんだからある程度コストをかけて品質のいい肉を使ってるかもしれないし…何より炭火だろ…?」
ピンポーン!
「…なんで押したの?」
「腹減ったって言ってるでしょうが。その場で決めなさいよ」
「ええい! これだからお持ち帰りにしようって言ったんだ!」
イズミが痺れを切らして店員を呼んだ。そりゃ空腹時にここまでグダグダと御託を並べて結論を先延ばしにされれば空腹のイライラとの相乗効果で手まで出してしまいかねない。逆によくここまで我慢したものだと賛辞を送られても良いだろう。
「えっと…牛丼特盛と、すき焼き御膳と…あ、ご飯大盛りで。あとハンバーグカレー大盛りからあげトッピングと…」
次々とイズミの注文を済ませる大我の脳裏には未だに豚丼の影がちらつく。もしも次回訪れた際に豚丼が無ければそれは後悔する事だろう。しかし次回訪れる時とは?一体いつ頃で、もしかしたら次の季節になっているかもしれないのだ。その間に自分で豚丼を調理したりするかもしれない、そうなればとてもチェーン店の豚丼なんかでは満足できる訳も無かろう。
如月大我の口は自然と「キムチ牛丼大盛りで」と動いていた────
「あれだけ悩んで結局豚丼じゃないのね」
「だって…土壇場になって白髪ネギに騙されてるだけじゃね? って気付いちゃって…」
「なによそれ」
「野菜好きあるあるなんだよ!」
肉料理における白髪ネギ、魚料理における大根おろしはメインの料理を何倍にも美味しそうに見せるいわばチートアイテム。実際に食べてみれば味変になる大根おろしに比べ、白髪ネギの何とも頼りない事よ…味を変えるにしても乗っている量は数本。紅しょうがの大量に置かれている牛丼屋ではあまりにも貧弱すぎる味変要員だ。
「それに俺気づいたんだ。自分で牛丼作っても家だったらキムチと一緒に食わないって」
「この店で楽しめる最良の選択肢はこのキムチ牛丼しか無いってな?」
「キムチ豚丼もあるのに何でそれ頼まなかったの?」
「えっ!?」
大我が見ていたのは期間限定商品のペラ紙1枚だったが、イズミの持っているメニューの冊子には"追加料金を払えば牛丼と同じ様なトッピングが出来る"と記されていた。キムチが持つ香り上書き能力の高さであれば、どれだけ安上がりの油臭い豚肉だろうと美味しくマッチする事だろう。こってりとした豚肉を口の中に放り込み、追いかけるようにして米とキムチを…
「ガッデム…!」
「今から頼めばいいじゃない」
「キムチ系二品は…流石に飽きる…」
「めんどくさい女みたいね」
失意の中キムチ牛丼を食べた大我は「まぁ、結果オーライ」とダメージは少なそうに見えたが、会計の際にもお持ち帰りを注文しようかと思案している様子だった。しかし流石にジャンク飯の欲は満たされてしまっていたために今回は泣く泣く見送る事に。
「機会が有ればまたどこかで会おう」
店頭に出されているのぼりにそう呟いた大我は自宅への帰路についたのだった。(3000円やそこらでこれだけ人生楽しめたらそりゃ金も溜まる一方だ)とイズミは呆れた表情で大我の背中を見ながら思ったそうな。




