第135話 如月兄妹絶体絶命
梅雨の時期を迎え案の定動く事も儘ならない程の爆弾低気圧に体を支配された如月大我は、その傍らに妹のイズミを抱きながらピクリとも動かない。まるで一つの絵画の様に美しい男女が真っ暗な部屋の中を、たった一つの蝋燭の灯だけを頼りに身を寄せ合っていた。
そう、都心は現在"大規模停電"の真っ最中なのである
電車も止まり信号に明かりも灯らず、まるで街中は世界の終りを迎えたかの様に真っ暗で。排気ガスに覆われた重たい雲の間からでは、月は愚かその煌びやかな星々までも顔を覗かす事は無い。深淵の中に飲み込まれたかのような不思議な世界の中を生きているたった二人だけの兄妹。その二人の間に流れていた沈黙を大きな音が遮った
グゥーーーーーー
「兄さんお腹空いたわ」
「んー…芋食べな…」
「レンジ動かないじゃない」
「あー…そっか…」
先日買い溜めた大量の芋も生で食べる事が出来る訳でも無く、電力の供給が断たれてしまった今となってはせっかく教わったレシピも何の役にも立たず…文明の利器など自然の前では無力なのだと教えてくれた。梅雨のイメージと言えばしとしとと篠突く雨が降り続く程度だと思われるが、今回はタイミングが悪く停電も重なってしまい今はただ窓を叩く雨粒の音だけが部屋の中に鳴り続いている
「母さんでも呼んでみましょうか」
「…この暗さじゃ危ないよ」
「可愛い妹が飢え死にするよりかはマシでしょ」
「…お菓子でも食べなよ」
「もう遅いわよ」
既に棚の中には菓子類の姿も無く、空腹に喘ぐイズミの腹を満たしてくれる食材はこの家の中には無かった。余程の偏食でもなければサバの缶詰やシーチキンなんかを食べる手立ても有るのだが、それでも大飯喰らいのイズミからすれば腹の足しにもならなかっただろう。万事休すと言った所か、大我はただただ目を瞑りジッと電力の復旧を待つしかなかった
それから待てど暮らせど電力が復旧する兆しも無く、イズミの腹から食料を催促する音だけが何度も部屋の中にこだまする。どれくらいの時間が経っただろうか?大我の携帯電話に一通の着信が有った。相手は三沢晴香とだけ書かれていたが自分達の安否を確認するための電話かと思い、後程無事であると一報入れるだけに留めようと今は指先一つ動かす労も惜しんだ
すると空腹に耐えかねたイズミが奪い取るようにして大我の懐から携帯電話をつかみ取ると、晴香の応答が有る前に「お腹が空いた。食料を持って来て」とだけ言って乱暴に電話を切った。すでにイズミも限界だったのだろう、大我と同じ様に地面に倒れながらただただ時間が過ぎるのを待っていると、マンションの警備室から如月家宛に着信があった。今日は大我がこんな状況なので仕方なくイズミがそれに応じると、非常勤の警備員大野卓三がほとほと困り果てたような声色で伺いを立ててくる。
「あのぉ…また例の方々がお見えなんですが…通しても良い物なのかと…」
「何か手に持ってるの?」
「なんでしょう…両手に一杯お酒やスナック菓子を持っていますが…」
「急いで通して」
「は、はぁ…」
それからイズミは玄関の前で待機していると遠くから携帯電話のライトが見え、それがいつものおばさん三人衆+大田まさみである事が分かった。急かす様に家の中に招き入れると手に持っていた菓子類をふんだくり漁るとすぐさま口の中に放り込み、今来たばかりの面々をドン引きさせていた
「私らもいつもみたいに飲んでたら急に停電だもんな、家に帰るよりかはこっちの方が近かったから良かったものの…」
「本当だよ、防災意識の低さが如実に表れてるね。携帯式の発電機の一つでも買って置いたらどうなんだね?」
「あー…」
「なんか今年の大我さん去年より酷くないですか?」
「そうかもね」
普段はあんなに鬱陶しいのに困った時には少し頼りになる奴等だ。イズミはそんな事を思いながらも次々に胃を満たす為に菓子類を食べまくっている。どうやら朝陽のスナックでいつもの如く酒宴を開かれていた所今回の停電に見舞われ、急遽閉店となったためママの好意で食料代わりにこれらを譲って貰ったのだという。
学生時代には孤独を味わう要因にもなっていた母の勤め先にも命を救われる事になるとは。なんだかRPGの最期に仲間が集結するみたいな展開に普通なら胸が熱くもなるのだろうが、当のイズミは何の感傷に浸る事も無くただ本能のままに食料を貪っていた。酷い絵面だ
「にしてもこんな蝋燭一本じゃ歩き回るのも危ないわねぇ…」
「ふっふっふ…それじゃあ久しぶりに科学の力をお見せしよう! 必要になるのはこのビニール袋と携帯電話のライトのみ! これで非常時に使える簡易式電灯を作って見せよう!」
「それビニール袋いるか…?」
「黙って見てると良いよ低学歴!」
「ぶち殺すぞクソちびが…」
晴香とカガリの小競り合いを眺めながらも完成品を知らない大田まさみや神田朝陽は、今から何が出来上がるのかと興味津々な眼差しで見ている。すると携帯電話のライトを天井に向けたまま地面に置き、その上からビニール袋を被せると先程まで薄暗かった部屋の中が一気に白い光で包まれた。たったこれだけの事で何故同じ光源でも明るさが変わるのか?皆が疑問に思っていると「待っていました!」とばかりにカガリの弁舌がうなりを上げた。
「これは白いビニールだから起きる現象でね、女優ライトと呼ばれる強烈な光を放つ白いライトを知っているだろ? 光は通るフィルターが白ければ白いほど強さを増すんだ。雪国に美人が多いのは日照時間の問題もあるだろうが、雪に反射した光が余計に美しさを強調しているという説もあるくらい白×光っていうのは相性が良いんだ」
「へー、なんか不思議なもんだな。色で明るさが変わるなんて」
「元々は光に色なんて付いてないからね。我々の脳がそう認識しているだけで、だから白いビニールを通す事で『この光は白色だ』と認識させれば自然とよく見える様になるってだけの簡単な事さ」
「カガリちゃんは本当に科学者さんなのねぇ~」
「こういう有事の際には本当に役立ちますね…」
「へへーん!!」
慣れない賛辞に悦に入ったカガリが腰に手を当て自慢げに鼻を高くしていると、急に部屋の電気がパッとつき冷蔵庫が稼働を再開した音が地面越しに響いて来た。どうやら一時的かもしれないが停電は復旧したそうだ
そうなってしまえばこの簡易式電灯もお役御免。ため息を吐きながらビニールを回収するカガリを宥める朝陽と遠くから嘲り笑う晴香、そしてイズミと大田まさみはと言うと…
「芋…芋…」
「凄い量の芋ですね…これ全部食べるんですか?」
「そうよ、レンジで蒸かし芋が作れるのよ」
「え、なんですかそれ教えてください!」
リビングからはカガリの喚き声、台所からは芋とマヨの大合唱。停電からは復旧したにもかかわらず、未だ如月家は世界の終わりを彷彿とさせる混沌とした雰囲気に包まれていた。そんな声を聞きながらピクリとも動かない大我の事を心配する者は一人として居なかった…
──電力会社の人、頑張ってるなぁ
これを最後に如月大我は意識を手放した




