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第十二話  天才心理学者兼友人のジョン

 

 ジョンが日本に来て二日目の朝、俺の部屋で寝たジョンだがベッドでしか寝た事が無いんだから俺をベッドで寝かせろ!と騒いで結局寝るまでの時間が一時間も先延ばしになってしまい、面倒になってベッドを譲ったのだが…起きてみると取っ組み合いの喧嘩でも起きたのかという程ベッドの上はぐちゃぐちゃに乱れていた。



 朝の配信をする為に起きたのだから、却ってここで起きられても面倒な事になると今は見逃してやる事にした。


 リビングに行くとちょうどイズミも起きたようで二人で配信までに顔を洗ったり歯を磨いたりと準備を済ませた。


 朝七時、いつも通り配信が始まったのだが寝不足だからだろうか?大我はまだ心ここに非ずというか何かを考えこんでいるようだ。そして「よし!」と声を上げたと思ったらイズミと視聴者に対して提案をする。



「なぁ、俺今日からイズミの部屋で寝ようと思うんだけどどう?」


「ヴェッ!?」


 聞いた事のないイズミの声と表情に言った当人の大我も驚いてしまった。



 視聴者も突然の事に、まだ朝だというのに何を書いているかも分からないほどの速度でコメントが流れている



「いや、ジョンの寝相とか見てるとイライラして精神的によくないかなと思って…まぁ一個のベッドじゃ狭いし無理か」



 兄妹といえど異性として大我を意識しているイズミにも年相応の女性らしい面がある訳で、さっきから大層狼狽えている。嫌じゃないけど、嫌じゃないと告げるのもはしたない…という葛藤の板挟みに悶えるイズミを、今日も今日とて可愛い奴め…と眺める大我に乙女心など分かる訳もないのだ



 身振り手振りを交えながら、喉奥まで出かかっている『喜んで』という言葉をなんとか押し込んだイズミは大我にそこまで嬉しくないというスタンスのまま承諾の意思を告げる



「まぁ…仕方がないでしょう。これで兄さんの心が狭いとか誤解されるのも本意ではないし…私も仕方なくなのだけど…いいんじゃないの? 別に…兄妹なんだから…?」


「あぁそう? じゃあそうしようかな」



 心の中でガッツポーズを決めるイズミの様子を見て、なんだか今日のイズミは楽しそうだと感じる大我はいい兄なのだろうが、いい男とはとても言えない


 イズミにとっては緊張のあまりあっという間の三十分間が過ぎた。夜の為にもう一度歯磨きをしておこうか…と洗面台に向かおうとした所を朝飯だぞと大我に止められた。



 もう朝食も何を食べているのか分からないほどに緊張してしまっている


 愛しあっている年の頃二十を超えた男女が、同じ布団の中で寝れば兄妹のままでいられる訳などないのだ。同じ遺伝子を分け合った男女もその時ばかりは、たった一匹の雄と雌として布団という名の荒野の中で駆け回るのだろう…という所まで妄想していたが、その豊満な胸で味噌汁を受け止めている事に気付いたのは大我が先だった。



「ななななにやってんだイズミぃ!?」


「あっ!? あぁ!! あっつい!」


「早く脱がないと火傷するぞ!」


「に、兄さんっ…!! 大丈夫だから…!///」



 火傷しては大変だと服を脱がそうと手を掛けた大我をイズミは制し、頬を紅潮させたまま自分の部屋へ入っていった。その様子に違和感を感じた大我だったが、あまり考えないようにいそいそとこぼれた味噌汁を片付けた。


 その後はなんだかハッキリとしないイズミと、先ほどのイズミの反応に違和感を覚え続ける大我の間にいつもとは違うもどかしい空気が流れたまま、朝食を終えた。



 そして朝十時を過ぎると何も知らないジョンは目を覚まし、作り置かれた朝食を食べた。

 食器を片付け終え、今日の予定などを考えている大我の隣に座ったジョンは大我に問いかけた



「なぁミュゼー、昨日俺が寝た後か今朝寝てる間に妹となんかあった?」


「はぁ!? なんでぇ!?」


「いやなんでって言われても…心理学的に考えて…」



 デリカシー皆無なジョンの質問にさすがの大我も動揺を隠しきれていない


 ジョンが言うには昨日はあんなに大衆の前でも、兄の友人の前でもどっしりと構えてたミュゼー妹が今日はミュゼーからの見え方を気にしているという。


 心理学的に髪を触る仕草や声のトーンが昨日より高い事から鑑みるにあれは恋をしている人間の特徴だという。



 言われてみれば確かに、昔学んだ【女性の恋愛における感じ方と変化】という講義で聞いた内容を思い出してみる。



「身近な女性が急な態度の変化を見せた時に覚えておくべき事は女性にとっての恋愛とは"感情と誓いの狭間に有るとても複雑な状態"なので突然昨日とは全く違う接し方をされる事があるのです。」


「今日起きた行動の変化は女性側から好意を寄せられている状態なのか?それとも今まで寄せられていた好意が他の誰かに向いてしまったからなのかを判断する事が重要です。なのでまずはその前後にある自分の行動を振り返ってみるといいでしょう」



 当時は眉唾物だと思っていたが、確かに今日のイズミは朝からなにかが違っていた…昨日からの前後関係を考えてみる事にする。


 同じ講義を受けていたジョンもこの話を思い出したらしく、ジョンにカウンセリングを頼み直近の俺とイズミの変化について判断を仰ぐ。



 数日前の神田朝陽誕生会の後は特に何も無かった事は覚えている、自宅に帰る途中はいつもの車内よりも無言の時間が多かったが、あの時二人が感じていた感情は恐らくセンチメンタリズムやノスタルジーなどの類だろう…と俺は考えている。


 とすると昨日作った食事が何か関係しているのか?いや、いつも通りのメニューだった…


 今朝イズミの様子がおかしかったのは今日起きたことが原因なのか?もう一度整理してみよう



「じゃあ今朝ミュゼーが起きてからの行動と妹の反応を教えてくれ。どんな些細な事も漏れが無いようにな」



「あぁ、お前に腹が立って部屋を出るとイズミがいつも通りに起きてきたから、イズミはいつも通りに朝を迎えているのに俺はなんであんな下劣な人間の寝姿を目に焼き付けてからイズミの姿を視界に捉えなくちゃならないんだと少し不機嫌になった…」



「ごめんな、ミュゼー。君の感情と俺の事はいいんだよ。妹の事を細かに教えてくれ」



「そんなイライラからか配信を始めてすぐに今日はイズミと寝る事を提案したんだ…」



「随分早い事尻尾を出したなオイ。それだろそれ」



「えぇ…? だって俺達二人で風呂に入った事もあるんだから今更そんな事で…」



 ふぅ…とため息をついたジョンが心理学とは何たるかを一から教えるように言った



「いいか? 男女の間に生まれる【愛情】【友情】の違いとは何かという命題については何度も語られているし、それぞれに基準もあるんだろうが大まかなものはそこに性的接触または欲求が有るかどうかだ。だからこそ日本でも肉体関係について暗に"男女の仲"と呼称するんだろう。分かるな?」



「性的接触が行われるのは裸の時かもしれないが、性的欲求が生まれるのは裸の状態とは限らない。そうだろう? つまり異性として意識する度合いが各々の中にはあるんだよ。一緒に風呂に入るという事は混浴と言い換える事が出来ても、一つの布団で寝るという行為はより性を連想させる。プライベートな空間に他者が存在するという意味でも意識の差はあるだろうな」



 言われてみればそんな気さえしてくるジョンの真に迫る物言いに、普段は自分の信じる物以外は鼻で笑い飛ばす大我も更に相談をしてみたくなってしまう



「とはいっても急にそんな意識が芽生える事なんか有るか…? ジョンが来るまでは別にいつも通りの生活を一年近く続けてきたんだぞ…?」



 もうほとほとあきれ果てたと言わんばかりの表情でそんな大我の相談にも事も無げに答える今日のジョンはいつもより数倍も頼もしかった。



「あのなぁ…現に今君は誰に相談しているんだ? 四年間衣食住すべてを共にしてきた頼りない、何をするにも君の方が覚える速さも成績も上だった出来の悪いジョンに、たかだか一年にも満たない時間を共にしてきた妹に頭を悩ませ相談しているんだろう? 女が男に恋愛感情を抱くくらいの事をどうして信じられない?」



 そう力強く言ってのけたジョンは別に大我に対してコンプレックスを抱えているという訳ではないのだが、雲の中から雷と雨が落ちてくる事に疑問を持たないように、世の中の摂理や常識から考えて、如月大我という男がジョンに悩み事の相談をするという事態の異常さを説いてくれているようだ。



 それでもにわかには信じられない大我はまだもごもごと言い訳がましく自分の中の考えをまとめようとしている。



 正直この兄妹が今後どういった関係になろうが知ったこっちゃないジョンだが、優秀な姿しか見せた事のない友人がこんなにも簡単な問題を前にして答えあぐねているのだ。まるで自分の子供に餌の捕り方を教える野生の動物の様に、段階を踏んでゆっくりしっかりと恋愛感情というものを教えてやる必要があると考えた。



「ミュゼー、俺にとって君はかけがえのない友人だよ。他の誰とも比べられないほどに。愛していると言っても差し支えないほどに、日本に来ると決まってからも君の事を考えなかった日は無いくらいに、頭の中は君で溢れていたよ。ただ僕は今この瞬間、君と二人きりで誰もいないどこか静かな場所へ駆け出したいとは思わないだろうね。なぜならどれだけ多くの人がこの場に居ようと気にもならないくらい、君との空間は楽しいものになるからだよ。これが友情だ」



「ただ、これが恋愛となるとどうだ? ミュゼー以外の声が聞こえる事に僕はストレスを感じるようになるだろうね。大事な口説き文句も周りの喧騒で聞こえなくなるかもしれない! どうして邪魔をするんだ! せっかくの二人きりの時間なのに! ってね。他の誰にもこの世界の登場人物になって欲しくないと思うだろうね。友人か恋人かなんてこんな些細な違いの積み重ねだよ。きっとそれが家族だとしても、ね」



 まだ釈然としない顔の大我を見てジョンは少し微笑むと、肩をポンッと叩きゆっくりでいいさ。とだけ言って大我の部屋に戻ると荷造りを始めた。まだ泊っていけばいい、と言っても今は二人きりの時間が必要だろうと、別で宿を取ると言って聞かず、午後には一人で日本を観光するのもいい経験になるだろうと、家を出て行ってしまった。




 大我は一日のうちにこれほど感情の置き場に困る事なんか無かったものだから、少し頭が熱っぽく感じる程だ。


 せっかく日本に来たジョンともう少し話す時間があってもよかっただろうとか、イズミの事だとか諸々がすべて上手く嚙み合わないもどかしさから、大我は午後の料理配信でも魂が抜けたような表情で視聴者からも心配される始末で




 自分の事を他者に興味の無い人間だと思っていた


 ただそれは誤りで、どうやら自分にすら興味が無かったのだと今になって思い知らされた




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