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第122話 完全記憶能力者の日常

 


「そういえば兄さん、爪切りの場所が分からないのだけど」


「先週の夜に自分の部屋で使ってたろ? 風呂に入る前にさ」


「そう、助かるわ」



 俺の名前は如月大我、今までの人生に見聞きした物を全て記憶している完全記憶能力の持ち主だ。十一年前の今日見ていた掲示板のスレッド名も全て記憶しているほどに正確なのである


 ・へそのごまを集め続けてごま塩にして食べる【566】


 ・次の移住先探すスレ【31】


 ・おすすめの動画のURLとあらすじだけ貼って去るスレ【118】



 こんなどうでもいいスレタイも思い出す事は簡単なのでその正確性は信用して貰えるだろうが、よく誤解されがちな部分だけ訂正させていただきたい。"完全記憶"というのは人間だれしも持っている能力で、何も俺だけ特別な機能が備わっているとかでもないのだ。夢を見るのは記憶の整理をしているからというのは有名な話だが、あくまでも整理しているだけで余分な記憶を削除したりしてはいない。



 でもそんなに情報をため込んだら脳の記憶をつかさどる"海馬"がパンクしてしまうんじゃないのか?と心配する人も多いが、そこは人体の素晴らしさが存分に伝わるように解説させていただこう。まず人間の体内には常に微弱な電流が流れており、その電流を感知した脳が体に向けて信号を発生させ、それを受け取った時に体が反応する機械の様なものだと仮定していただきたい。この理論もあながち間違いではないのだが、完璧に解明される前に断定してしまうと後々になってから面倒なのでご容赦ください。



 それと同じ様に"思い出す"という行為も【脳内で発生した電気信号をもう一度味わう】という理屈なのだ。その電流によってその時の記憶を脳に想起させる事で人はそれを"記憶"として認識する訳だ。一番思い出に直結するのが"匂い"なのもこれに起因している。どれだけ時間が経とうとも同じレシピと材料で作るのなら脳内に流れる電気信号の種類は同じなのだから、いつでもどこでも子供の頃を思い出す事が出来るって訳だ。



 これで大体の記憶というものについて理解して貰えたと思うので、俺の記憶能力についてまとめてみよう。つまりは俺の脳構造が異常なのではなく、体内に流れている電流の質がとんでも無く上質なのだ。「あの時の電気信号をもう一度打ち直して」と命じれば寸分の狂いも無く同じリズムと同じ量を味わわせてくれる。この如月大我という人間が他の分野でも軒並み一般人の常識を遥かに超える活躍が出来るのも頷けるはずで、そもそも積んでいるエンジンがミニカーとタンカーくらい違うのだから。



 この"電気信号"のメカニズムを知ってしまえばこれから様々な創作のジャンルを見ても、電気系のキャラが出て来た時に一目置いて見てしまう事だろう。初めのうちは俺もそうだったが期待したほど目立った活躍を見せてくれるキャラはそう居ない訳で、フィクションにおいて日常生活でも目にする"電気"という属性はちょっと扱いづらいのかもしれない…非常に残念だ



「兄さん、昨日まで編集してたファイルってどれだっけ」


「上から22個めの15分22秒から」


「そう、助かるわ」



 妹のイズミはこの能力を余す事無く活用してくれるのだが、家での俺の立場が最近流行りの会話できるAI程度の扱いなんじゃないのか?と邪推してしまう。流石の彼だって家のどこに何が置かれているかまでは分からないだろうし、より高性能の物を手にしているイズミは幸せ者だろうと自分に言い聞かせている。ただ機械じゃない俺は心で泣いてるかもしれないよ



 しかしそう考えてみると人間の構造とは合理的だ。もしも俺と同じ様な人間が標準的だったとするならば物忘れの無い世界で文献なんかは大幅に減っていた事だろう。後世には口頭で語り継ぐだけで十分になってしまい、ちょっとしたミスで一つの分野が滅亡してしまってもおかしくなかったのだから。なんでもかんでも便利すぎると慢心が生まれて怠慢に繋がるのだ。俺が言うんだから間違いない



「ところで明日って何曜日かしら?」


「パソコンに書いてあるだろ」


「言われてみればそうね」



 この様に簡単な事すら出来ない人間を生み出すきっかけになるのは俺の様な全能の存在だ。コンピューターが生まれて予測変換機能に甘える事が増えた昨今、漢字の書き取りが出来ない若者が膨大な数になっている事は皆さんも知っての事だと思う。それはパソコンや携帯に甘えた結果の怠慢な訳で、更にはSNSを利用しているとどんな情報でも落ちて来るのだから、自分で調べる事無く口を開けているだけで知識を得た気になってしまう。これも便利化による弊害だろう、俺達兄妹は小さくなったネット社会の変遷そのものだ



「少しは自分で調べる事を覚えなさい。兄さんがなんでも答えてくれると思ったら大間違いだぞ」


「別に兄さんがそれでいいなら普通に調べるわよ」


「・・・」



 そう、どれだけ高性能なコンピューターといえども誰にも使われなくなってしまえばただのガラクタに成り下がってしまうのだ…俺がイズミの役に立てないのであれば俺という存在が生きている価値は無く、そこに残るのは如月大我という名の器のみ。こんな悲しみを背負うのであれば生まれてこなければよかった…なんて題材で映画の一本でも作れてしまいそうだが、もちろん俺にとってイズミが居れば丸儲けなので生まれてきてよかった!これからもイズミの情報バンクとしての人生を謳歌しよう!さ、風呂だ風呂!



「兄さんは不便じゃないの? その忘れられないヤツ」


「まぁ、母親の水着姿とかは今も思い出して吐き気に襲われる事もあるよ」


「相当な不便を強いられているじゃない」


「でもイズミとの思い出を失うリスクが無いのはかなり大きいよ。火事になろうが携帯が壊れようが、データバンクがハッキングされようとも消える事は無いんだから」


「それは素直に羨ましいわね」



 もちろん過去に見た嫌な光景の方が強烈に脳に刻み込まれているのか、ちょっとした拍子に苦い思い出として想起してしまうが…そんな時には決まってイズミとの事を思い出す努力をしているので、まぁプラスマイナスでプラスと言えるだろう。まとめサイトになんとしてでも割り込もうとしてくる広告と、その広告が流れて来る前にクリックしようとする構図によく似ているな



 そんな俺でも唯一懸念している事があるのだが…



「ところでその…結局カガリには教えたのか…?」


「えぇ、同じシャンプーを買ってみるとは言ってたわ」


「はぁぁぁ……しばらくは会わないようにしないとな」



 毎日嗅いでいるイズミの匂いが、カガリにも紐づけられてしまう事だ…


「別にいいじゃない好きな物を使わせてあげれば」


「だってもしかしたら俺達の夜が──」



「別に行為の最中に他の女の事思い出して萎えたりする訳でも無いでしょ…?」


「う…うん…」



 なんて圧だ…きっと俺は今、人生でも有数の危機に瀕しているに違いない……



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