第113話 神田朝陽生誕祭
どうすれば自分の生まれた記念すべき日にこんな陰鬱な空気を醸し出せるのだろうか?目の前では当人の朝陽さんのみならず、同年代のおばさん二人も自分の年齢を数え俯きがちだ。これくらいの年齢になると俺達の様にバリバリフレッシュな二十代には分からない苦労が日頃から絶えないのだろう。今日はそんな部分までも労うために神田朝陽○○歳の誕生日を執り行う事になった
「朝陽さんは何か食べたい物とか有りますか? 今日は誕生日だから好きな物…」
「ううん、いいのよ大我ちゃん…"おばさん"なんでもいいから…」
「そんな卑屈にならないでも…」
普段からこのメンバーで酒を飲んでいる大田さんも、おばさん達のあまりの効きっぷりに引いている。そもそも年齢を重ねるなんて事は生き物からしたら当然の摂理な訳で、木だって樹齢に応じて幹は太く年輪を刻んでいくでは無いか。生きるとはそういう事で自分達にも若く美しい時期が有ったじゃないか!と言いたくもなるが、今日は祝いの会合というよりも接待に近い雰囲気なので迂闊な事は言わない様にしよう。
「兄さん、もう私の方がお腹空いて来たわ。適当に肉でも食いましょうよ」
「あ、あぁ…じゃあちょっと作って来るわ…」
「ハァ~…"肉"…ね」
大きなため息を吐きながら顔を見合わせる三人は、何か思う所がありそうな表情で大田さんやイズミの体をまさぐる様にして触っていた。その姿はまるで六道地獄に引きずり落とさんとする餓鬼の様相を呈している…なんとおぞましい。その餓鬼どもは張り艶のある若い女子の肌を撫でると一層息を消沈してしまった。
「昔は私も二の腕の肉が気になってたんだけど…最近ではたるんでる皮の方がね…」
「衰えるってこういう事を言うんだろうな…肌の質感が死んでいくっていうか…」
「私なんかせっかくここまで伸ばした自慢の黒髪がトリートメントをしても軋んでね…」
「はぁ~…」
「なんだこの地獄は…」
そこそこ世界を知っていると自負する俺も、流石に老いに関しては実感しないと分からない事だらけで…やれ膝が痛いだの肩が上がらないだの、原理は知っていてもどのくらい辛いかを共有してあげる事は出来ないので「あいたたた…」とか立ち上がる時に言われてもなんとも思わない訳で…
まぁこんな風に言っている人達も酒に酔ってしまえば辛い事も忘れるだろう。若い頃はテンションを上げるために飲んでいたアルコールも、歳を重ねるごとに何かを忘れる為に飲み始めるのか…憐みの視線を送りながらも、とりあえずはイズミの食事と数品のつまみが出来上がった。
「大田ちゃんはいいねぇ…おつまみにベーコンとほうれん草のバター炒め…か」
「な、なんですか…? 食べたかったらご自由に…」
「それがなぁ…若い頃は嬉々として食っていたバターがよぉ…」
「"重い"のよねぇ…」
どんな方向から雰囲気を変えようとも、また老いぼれ自虐が始まる。これに付き合わされる大田さんも大変だ…と今は他人事だが、調理を終えてしまえば俺もあの輪の中に放り込まれてしまうのだろうと考えたら今から憂鬱で仕方ない。イズミはそんな怨嗟の渦でよくも平然とソースカツ丼なんて重さという点においては最上級の飯を食えるものだ、その胆力は流石の一言だな…それに比べて足取りの重い俺はマグロの酒盗とクリームチーズを持ってイズミの隣に腰かけた
「そんなに悲観しなくても、朝陽さんだって去年の今日はから揚げとか食べてたじゃないですか…」
「そうね…だからこそ今年は食べられない事に絶望しているのよ…」
「大我の考える一年とアタシ達の過ごす一年が同じ時間だと思うなよな」
「本当だよ…デリカシーが無いねまったく…」
身勝手な言い草には腹が立つ事この上ないが、酒盗をつまみに背を丸めて日本酒を飲むその姿を見ると強くは言い返せない。こうして人は死に向かって行くのかと思うと、俺は彼女らの心拍数を出来るだけ上げない様に配慮する事を優先させたのだ。隣で同じ様に酒盗をつまんでいる大田さんはクリームチーズも一緒に食べているのに、目の前のこの人達はどうだ?味がばらけるともう認識できないのか酒盗だけを狂ったように食べ続けている…なんと哀愁の漂う光景か
「そういえば朝陽さんはプレゼントとか良かったんですか?」
「うん、もういいの…あの人と同じお墓に入れればそれだけで…」
「縁起でもない事言わないで下さいよー! まだ若々しい内は大丈夫ですって!」
必死に大田さんは取り繕おうとしているが、本人も自覚しているんだろう…もう自分の体が若くない事を。イズミと大田さんを足してようやく朝陽さんと同級生くらいなんだから、その人生の重みたるや俺の想像の域をはるかに逸脱している。大学の教授には朝陽さんの父親でもおかしくない年齢の人なんか平気でいたが、世界最高峰の頭脳を持つ集団に講義を受けさせるのだからやはりどこか気品を感じる年の重ね方をしていた。それに比べてこの人達はどうだ?
だらけきった服装に疲れ切った目尻、たるんでいるのはその脂肪だけではなく人生その物のようにも見える。だからこそ年齢以上の劣化を感じさせるのかもしれない…もっとハツラツと何かに希望を見出しながら生きる事で、若返るなんて無理だろうけど老化を抑える事は十分出来ると思っている。どれだけ老いさらばえようとも心まで老人になってはいけないんじゃないだろうか?
「朝陽さんだけじゃなくてもっと趣味を持ったらどうなのかと俺は思うけどね」
「この年になって新しい事に挑戦するのってかなりのリスクだぜ大我クン…」
「そうそう…なんか疲れちゃって長続きしないんだわ…」
「歳を言い訳にみすみす衰えを受け入れているのはお前らじゃないか!!」
「ハッ…!?」
皆がそこまで渇望する若さとはなんだ?酒の席で半ば愚痴っぽく若者に警告する中年の話を聞くに、それはきっと"恐れない事"だ。まだ取り返しがつくうちにもっと挑戦を…が不特定多数の中年が使う合言葉かの様に全国各地で繰り返されるのだから、あの時にもっと勇気が有れば…と後悔している人達が多いのかと思う。それを可能にするのが若さゆえの無鉄砲さ、勢いだったのだろうが…ある程度の年齢になるとやり直しも利かずにある程度の地位も出来てしまって、安定という名の牢獄に捕らわれるのだろう
それは若い頃からしっかりと働いてきた人の言い分で、今俺の目の前に居る人達はまだまだ挑戦する事が可能なように思える。他の人達と同じ様に自分は老いてしまっているから…そんな言葉を言い訳にして挑戦する事から逃げているだけに過ぎないのだ!もっと心の中に若さを持っていれば、何歳になろうと遅すぎるなんて事は無い。活動的な人が年齢以上に若く見えるのはメンタル面でも差が生まれるからじゃないのか!?俺は力の限り熱弁して元気づけようとした。すると先程までは俯き気味だった朝陽さんの内面から、燃える様な物が滾って来た事を第三者視点から見ても感じられた
「うぅぅ…! そうね! 私なんだか諦めていたのかもしれない!」
「そう! 朝陽さんはまだ若い! 元気が有れば何でもできる!」
「ありがとう大我ちゃん! 大田ちゃん! 私やってみる!」
「まだアイドル頑張ってみる!!」
「ん?」
いやいや朝陽さん…wそのぉ…なんだかバカにしているみたいで印象は悪いかもしれませんがぁ…アイドルはちょっと難しいんじゃないですかね?そりゃ年齢を聞かされるまでは驚くほどに若く見えますけど、言われてみれば目元のしわとか膝の感じとかが完全に年相応に見えるので…流石にキツイかと…そんな風に思っているとなんだかカガリの方もヒートアップしてしまい、朝陽さんの肩を抱いて大言壮語を謳っている
「そうだそうだ! 私達はきっと武道館にだって立てるんだ!」
「いやそのぉ…なにもそこまで突飛な事は…」
「そうよね! "カガリン!"」
「あっちゃ~…その手が有ったか…」
時代はなんと余計な産物を作り出してしまったのか…バーチャル世界であれば容姿がどんなものだろうと、年齢がどのくらいだろうとも誰しも平等にチャンスを得られるシステム。そういえば聞こえはいいが、目の前にいる女性たちの様に『諦める選択肢を取り上げてしまう』呪いの装備だとこの時ばかりは感じてしまった。噂によれば朝陽さん達くらいの年齢で本当にアイドルを演じている人も居るらしいので夢物語では無いんだろうが…しかしそれはしっかりとした企業所属という基盤の下に実現できる例外なので、彼女たちには少し夢物語の様に感じてしまうが…
それでも先程までの陰鬱とした雰囲気に比べれば幾分かはマシなので、今だけは夢幻の中で生きていて貰おうと諦めてしまった。皆さんはもしも同じような立場になったとしたら素直に応援できるだろうか?それとも厳しい現実を突きつけて彼女達の人生から再び熱量を奪ってしまう覚悟があるだろうか?
「名前は"加齢・ド・スター"にでもすればいいじゃない」
「あぁ!?」
くれぐれも俺の妹の様にならない事を如月大我は祈っております…




