第103話 酒盛り至上主義 -中編-
目の前に広がる光景を見てここが北海道だと実感する。本来であれば日本酒が注がれるはずの升の中には…いや、これは適切ではないな…升の外までこぼれるいくらの山。まだ陽が昇っている午前中からこんな贅沢をしてしまっても良いのだろうか?そんな常識に捕らわれた一般人からの問いを意に介する者はこの場に存在しなかった。
「お前ら一軒目なんだからくれぐれも飲みすぎ食いすぎには…」
「じゃあこれあと三つくらい頼んどくか?」
「いやいや、まずは殻付きウニを焼きと生用にだね…」
「ザンギとから揚げ。三つずつ。」
俺からの忠告も空しくこの店で高い物を片っ端から注文し贅の極みを尽くそうとする女達、店員からは金の有り余った富豪が昼間から女遊びをしている様に見えるだろうが一人を除いて全員が親族なんです。その事情を聞けば俺の事を憐れんでくれるだろうか?まだ素面の一軒目から国盗りでもしたのかと思う程に豪快な酒盛りを見せられ、今日という日を安全に乗り切るのは容易な事では無いとこの時思い知らされた…
「すいません刺身の船盛ください、特上で!」
「おい! だから加減して頼めって言ってんだろ! どう考えても一人で食える量じゃ…」
「え、でも朝陽さんも食べるって…」
「…朝陽さん?」
「あ、あのね大我ちゃんこれは違うのよ…///」
たまの贅沢と旅行気分のせいか?いつもは正常な判断をしてくれるはずの朝陽さんが昨日からおかしい、まぁあんな下手くそな歌を歌う人が正常だと思っていたことが間違いかもしれないけども…あの全部が間違っている違和感は"中国語のバリトンボイスでミスチルを聞かされてる"みたいだった。脳が処理しきれないとはああいう時に使うんだろう、下手なお化け屋敷よりもよっぽど恐怖体験だわ
豪華絢爛海の幸を前に目を輝かせて写真を撮る朝陽さんと、次から次へと箸を扱い口の中に詰め込む晴香。自分のテリトリーに料理を囲い入れ干渉を阻むようにしているカガリなど食事というのは人それぞれ性格が出るな…大田さんなんか一つの料理を食べ始めるとそればかり、船盛から他の物に移行出来ていないみたいだ。そう考えるとイズミの食べ方は豪快なだけで一般的な食事風景なのかもしれないな、今も美味しそうに揚げ物を頬張っている。
肝心な俺はと言うとこういう時にテーブルを汚したり空いた皿が残っていると気になってしまう質で…先程からあくせくと掃除に奔走している。店員に態度が悪いなんてのは論外だが余計な手間をかけたり粗相をするというのも耐えられない性格上、迷惑にならない範囲で楽しませて貰おうと半店員の様な立ち回りに注力して一口も料理を味わえていない…
これだけ高い料理を頼んでいるんだから文句は言われないだろう、とかではなく「あの金持ちの客態度悪かったよね…」とか「ね~、めっちゃうるさかったし…」とか後々言われるんじゃないかと想像すると居てもたってもいられず…小心者というか心の奥の方ではこの過剰なまでにサービスの行き届いた店員さんすらも信用しきれていないのかもしれない。どうせ人間なんてそんな物だと思い込んでいるのかもな
どうせ店員さんそこまで気にしてないよ?と言われれば実際そうなんだろうし、迷惑を掛けようが割り切って客として居てくれた方が楽なのかもしれないけど…これが癖付いてしまった弊害だろう、自分では制御しきれない所まで来てしまっている。分かりやすく言えばテレビで見る大食い番組の給仕さんみたいな、もう皿が空く事を待っている節すらある。隙を見てはビールを飲み甲斐甲斐しく世話をする、俺が女ならかなりの良妻賢母だったろう
「はぁ…もう今日一日ここで良いかもしんねえな…」
「確かに」
「それな」
「ね~」
バカみたいに目の前に出された料理を咀嚼するだけのこいつらはそう言うだろうが、この後はイズミの希望通りジンギスカンを食べに行かなくてはならないし、その為ならこんな事を言う奴等を未会計のまま置き去りにする事だって厭わない。しかし当初の予定通り動こうという気は一応あるのか、それともイズミに気を遣っての事かは分からないが「じゃあもう出ますか…」みたいな雰囲気は漂って来ている。俺の気がかりはまだ目の前に大量の料理が残されてる事だ…
「え、もう食べないの? かなり残ってるじゃん…」
「じゃあ大我も食べていいぞ、ずっと食えてなかったろ?」
「そうそう、私達は大我クンにも楽しんで貰いたいからね」
「そうでもなきゃこんなにたくさん頼まないですよ~」
ふふっ…なんだかんだ言いながらもこいつら、しっかり俺の事まで考えてくれてたんだな…目の前に残されたおよそ三人前くらいの料理を残してたまるかと必死に胃の中へ詰め込みイズミ以外の頭を引っ叩いた。計画性の無いバカとの旅行がこうも疲れるとは思いもしなかったがまずは一軒目を無事に終えられた事を喜ぼう。この店から徒歩五分の範囲に例のジンギスカン専門店があるので店を出た我々は意気揚々と目的地を目指し歩いた。
そして到着したと共に以前訪れた店が潰れてる事を知る
どういう事だ…?あれだけ上質な肉を出し値段もお手頃だった店が半年もせずに潰れる事なんか有るだろうか?もしや食中毒や事件か、俺達はとりあえずイズミの腹を満たす為にチェーン店の焼肉屋に入り昼食を始めた。必死になって調べてみるとSNSの公式アカウントから先月アナウンスがあったらしく、実家の家業を継ぐために閉店を余儀なくされたのだという。札幌ほどの都会ではあまり縁のない物だと思っていたが、北海道という土地柄かご実家は代々農家を営んでいたらしい。
あの行者ニンニクは実家で栽培されていた物らしく通販も始める様だ。そうか…店を閉める時っていうのは何も悲しい事ばかりではないのか…と残念さ半分、安心した気持ち半分で肉を焼き始めた。もちろんその通販サイトで本州では珍しい行者ニンニクを注文しておいた、あれさえ用意出来てしまえば自宅でもジンギスカンを味わう事は容易だろう。ついでに良い羊の肉も注文し東京に帰ってからイズミの欲求を満たす事にして、今は次の店を決める事に頭を使うべきだと考えた
時刻は午後二時、海鮮と肉の欲求を満たしたのだからここからはスローペースで飲める店を探すとしよう。幸い何かしら食べながらなのでまだそれほど酒も回っていないらしく、二日酔いだった筈の酒飲み集団の足取りも正常なままだ。目安はここから七時まで飲んでこいつらが酔い潰れる事を期待しているのだが…行けるだろうか?俺は一抹の不安を残しながらも次の店舗に掘り炬燵スタイルの居酒屋をチョイスした。実はこれには体内のアルコールを循環させる目的がある
血中のアルコールは運動などをする度に体内を廻り酔いを回す、今の様に移動する事も重要だが座敷に座っている時よりも掘り炬燵スタイルの場合、足元で血液が滞る事も無くトイレに立つ際にも稼働させる体の部位が多く酔わせるにはもってこいのシチュエーションだ。こんなおばさん酔わせてどうするつもりか?そう言いたくなる気持ちも分からんでもないが、決して自分の親を売りに出す訳でもいただいてしまう訳でも無く…
せっかく北海道に来たんだから旅行に乗じてイズミとイチャイチャしたい!!
前回はまだまだ同じベッドで眠る事に何の抵抗も無かった俺達だが、あれから二人の関係は進展し一線を越えているにもかかわらず隣の部屋には同行者が居るという事で、なんだかそういう雰囲気にはならず俺は今朝もバッキバキのまま朝を迎えたのだ。こんなままで帰れるか!と今日の目標は同行者たちの意識も記憶も飛ばすくらいに酔い潰し、翌日のベッドメイキングが頬を赤らめるくらいにはイズミを抱きに抱きまくるつもりだ
その為にはなんとしてもこのお邪魔虫どもを夜までに酔い潰さなくては…俺の孤独な戦いは今この時を以って幕を開けたのだった。




