第九話 ジョンが来た
「おはよーごぜーまーす」
いつもより幾分か気だるそうな大我とその隣でいつもの様に手を振るイズミ
今日は以前放送でも触れられた旧友のジョンが日本にやってくる日だ。
初の来日と言うジョンは前日からかなりテンション高めに準備をしていたらしく、必要な物のリストを大我にも確認させようと何度も何度も連絡を寄越してきたのだ
久しぶりにジョンと会えるかと少しばかり楽しみにしていた大我も、顔を合わせる前にジョンがどれだけ鬱陶しい人間だったかを思い出し、なんだか面倒くさくなってしまった様子だ。
そもそも、ただ金を借りに来るのだから二、三日で帰るだろうと思っていたのだが、どうやらたっぷり一週間も滞在するらしい
先日のアルバイト売り上げ持ち逃げ騒動後、人件費の代わりに従業員には店内の使いようの無い食材を持ち帰らせ、自分が必ずどうにかする。と深刻な顔をしながら長期休暇を取ってきたのだという
とんでもない話だがジョンとは昔からそういう人間である。自分が楽しむ為には平気で噓を言うし、誰に遠慮する訳でもない汚泥の底で地面を舐め飢えをしのぐだけの畜生である
今日は一緒に配信すると視聴者に言ってしまった手前、面白いエピソードの上澄みだけを聞いていた視聴者たちは、今日はさぞ面白い配信になるだろうと目を輝かせている
どうにかジョンと配信しない手は無いかと考える大我は、いっそ飛行機事故で死んだ事にしようかとも考えていた。
当のジョンもなんだかノリノリで、最近ハマってるゲームを持って行くよと言っていた。午前の便で着くと言っていたのでこの放送が終わったらすぐに空港へ向かわねばならない。今日から数日はジョンというストレスと付き合っていかねばならないのかと大我は頭を抱えた
午前11時、空港の立ち食いそば屋で天ぷらそばを貪り食うイズミを眺めながらジョンの到着を待つ。
思えば日本に帰ってきてからはイズミと二人きりの時間に何の不自由も退屈も感じなかった。どれだけ恵まれた環境に身を置いているのか再認識した所で短い着信音と共にジョンからのメッセージが届いた
『着いたよBrother^^』
もう既に鬱陶しい。
空港の中では日本とはいえ、背の高い外国人は比較的多く見られる
その中からジョンを見つけ出すのは
居たわ
ニコニコ顔でキャリーバッグを引きずってこちらに向かってくる馬鹿はすぐに見つかった。
目の前に来てもただニコニコとこちらの一声を待つように棒立ちしている
これが金を借りに来た人間の態度だろうか
「ぶち殺すぞ」
「おぉ~ん!! 久しぶりだねミュゼ~! 少し大きくなったんじゃないのかぁ~!?」
熱烈な抱擁を要求するジョンの手を振り払い、頭を数発叩いて彼なりに再会を喜んだ
そして大我の後ろにいる油で口がてかてかのイズミを見てどうも…と会釈する
話に聞いていた妹を前にさすがのジョンにも緊張が走った。
あの自分以外の人間はゴミだと言い放つ異常人のミュゼーが、自分の人生を曲げる程の人間だ
何を考えているのか伺えない表情と、ミュゼーの妹という事実がそんな異常人と数年の間共に暮らしていたジョンに恐怖を感じさせた。
「な、なぁミュゼー…あれお前の妹…? 急に刺して来たりしないよな…?」
「お前の事なんか視界に入ってないよ」
大我の隣にはイズミが歩き、後ろからはイズミに怯えるジョンがついてくる
夜の配信まではこの面々で日本を観光するつもりなのだが、大丈夫なのだろうか?
そしてまずは日本に来た際にやってみたかった食べ歩きの為に商店街をブラブラしてみる事に
ここでの撮影は許可を取りつつになるので動画用として記録に残しておく。
端が見えないほどの長い一本道の両脇に様々な店が並び、その前を人が行き交っている
その壮観な景色を写真に収めているジョンを今度はイズミが動画に収める、という新鮮な景色を大我は眺めていた。
欧米の方でもホットドックやハンバーガーを道端で売っている景色をよく見るが、商店街の様にほぼ同系統の軽食を販売しているにも関わらず、客層を食い合う事なくそれぞれの店舗が経営できている事を不思議に思っているようだ。
確かに観光地でもない場末の商店街は今ではシャッター商店街と呼ばれるように閉店が相次いでいるが、それは昔ながらの個人経営の店よりも便利な店がその地域に増えている事が原因だろう。
一概にそれが悪い事ではなく消費者も便利な店が増える事を喜んでいるからこそ、そういった店の経営が苦しくなっているのだという背景を告げると、経営者の顔になっているジョンはメモとペンを手に取った。
背の高さを活かし、人ごみの上から店頭に並ぶ商品を品定めしているジョンは、気になる物を見つける
真っ黒な液体の中にドーナツの様な肉と丸く切られた大根が入っている
多くの総菜の中に紛れた一品だが、材料や味付けが何なのか正体が掴めない様子だ
これはイカと大根の煮物だと教えてやると、日本の煮物を食べた事のないジョンは少し興奮した様子だ。
イカを食べる習慣のない国では見た目のグロテスクさから敬遠されがちだが、パスタやマリネなどで目にする機会の多い料理人からはメジャーな食材として知られている。
ただこのどす黒い液体の中に入っていたのでは食材の正体が掴めないのは無理もないだろう
香りを確かめ、イカを一口食べると箸を器用に使い大根も口に運んだ。
「醤油を煮詰めた刺々しい塩味と海藻を使った出汁が受け付けない人が海外には多いだろうね。磯臭さを感じるけどこれはイカから出ている物なのかな?」
「イカの内臓だろうね、日本ではよく使われるよ」
「内臓か、原材料を伝えたら嫌われるだろうな…それに見た目もよくない。なんの知識もない人はビーフシチューのような味を想像するだろうけど、口に入れると磯の香りと共に塩辛さを感じる。これは人を選ぶぞ」
日本において海産物はかなりメジャーに食べられているが、アメリカなんか見てもらえると分かるように、海に面している部分がアメリカ全土の面積に比べて極端に少ない。
衛生管理という点で世界各地から称賛される日本でも、生ものの輸送は苦労しているのだから日本数個分の距離を運搬するコストや食中毒のリスクなんかを考えると、なぜ海外では海産物がこうも珍しがられているのかが分かるだろう。
真剣な顔で何件も回り、気に入った料理をリストアップするジョン。
なかでも気に入ったのが串カツ、肉巻きおにぎり、そして肉じゃがだ
カツは一緒に住んでいる時に何度も作ってやったが、日本ではとんかつ用の肉やソースが有る事にも驚いていた。手を汚す事もなく食べやすい大きさであることからサイドメニューとして検討してみると言っている。
肉巻きおにぎりに関しては今、おにぎりは日本のホットドックだとされ海外でも流行の兆しがある。
中でもしっかりした味付けの肉が巻かれている事で軽食よりも満足度の高い肉巻きおにぎりは期間限定としてキャンペーンを打つ事も一考の価値ありと言っている
そして驚いたのは肉じゃがだった。先程の煮物の時とは打って変わって何度もうなずき美味しいと言っていた。
シンプルな食材だと出汁の香りが際立ってしまい、それが刺々しさすら感じられるのだが
一緒に煮込まれている野菜や肉の旨味などがポトフを連想させると評価は高いようだ。
今では肉じゃがとして親しまれているこの料理も、元はビーフシチューを作ろうとして日本用の味付けで作ってみた所なんか美味しいものが出来上がった。くらいの物なので少しだけ味付けを見直せば確かに海外受けはしそうだ。ただそれはもうビーフシチューなのではないかとも思う
中でもジョンは糸こんにゃくに疑問を持ち、これはもうよくわからん。材料聞いても分からんわ。といって不思議がっていた。実はそれは日本人でもよく分からん物だとだけ言っておいた
商店街を渡り切ったジョンは既に体が満腹感を感じている事に驚いていた
試食を勧められる事や、店先に立つ販売員の明るさにも満足し
「生活できなくなったら日本に来て、この近くに住めば何年でも生きられそうだ!」
と大興奮の様子だった。持ち帰り用に大量に買ってしまい、食べきれるかと心配していたのだが既に半分ほどイズミが食べてしまっている事にジョンはまだ気付いていない。
日本を感じるには中々いいスタートを切れたのではないかと鼻息を荒くするジョンであった




