第101話 如月前線北上中 -後編-
春先のうららかな陽気の下でそよ風に吹かれながら酒を嗜む、遠方からはるばる来た甲斐があるってもんだ。なんて呑気にイカを食べていると見知った衣服の集団が道路を挟んだ向かい側に見えた気がした。まさか連絡が来たのはつい先ほどだし、こんなに早く居場所が特定されて…あまつさえ片手には缶チューハイを携えて、自分達の愚かさを棚に上げて額に青筋なんか浮かべてこちらに歩いてきたりはしないだろうと俺は見て見ぬフリを決め込んでいたのだが…
「おい、なんでアタシらの事置いてってこんな楽しそうに酒盛りしてんだよ…」
「すいません人違いじゃないですか…」
「我々としてはここでストリップしながら如月ちゃんねるの宣伝をしても良いんだが?」
「わかった…わかったからまずお前らから謝れよ…」
どうしたらこんなに強気で俺の前に仁王立ちなんて出来るんだろうか?本気で聞いてみたいがこんな年増のストリップは俺一人で見る事も憚られるのでとりあえず鍋の周りに座らせ、何をそこまで怒り散らしているのか聞いてみる事に。俺は自分がどちらの部屋にも行きしっかりと声を掛けた旨を説明し、その対応のどこが悪かったのかを聞いてみる。
「そもそも寝るのが悪いんでは?」
「疲れてるんだからしゃーねえだろ」
「昨日勝手に飲みすぎただけですよね?」
「旅行が楽しみすぎて眠れないから、眠くなるまで少しだけって話だったんですよ」
この人達の言い分としては俺が起こしてくれれば起きたし、今朝の騒動だって今日を楽しみにしていた反動なんだから自分達に非は無いとでも言いたげな反応だ。しかしながらそれが通るとするならばよくても小学生までだろう、いい大人が「明日の旅行が楽しみすぎて~」なんて古典的な言い訳を使えるはずも無い。大人だったら朝まで起きて翌日の飛行機の中で寝るって案くらい考え付くはずだろうが
そうして正論を叩きつけているとカガリはまたも衣服を脱ぎだしそうな仕草をしたので急いで羽交い絞めにした。結局のところ世間でも肯定的に思われない"寂しかったから何言ってもセーフ理論"の域を出ていないじゃないか、寂しければ浮気もするし正常な行動を取っている人間を頭ごなしに否定し、被害者面までも出来てしまうんだから女とは恐ろしい。ここで俺が歴史上の男達の様に折れてしまえばまたもこの無敵理論の被害者を産み出し続けるだろう、絶対に俺は容赦しないぞ。
「そもそも何の連絡も無しにここまで来れたって事は、あなた達は俺がここに居て恐らくジンギスカンをしている事が分かっていたんですよね? にもかかわらず手に持っているのは自分達の欲求だけを満たしてくれるアルコールのみ、与える訳でも無いのに自分達だけは与えられ続けたいというその傲慢さが今回俺に見放された最大の要因では?」
「そ、それは…」
先程まで勢いだけで怒りをあらわにしていた晴香は少しずつ冷静になり、自分の言っている事に大きな欠落がある事を理解し始めているんだろう。カガリと大田さんもバツが悪そうにしているし朝陽さんに至っては最初から自分が悪いと理解しているだろうしこれは俺の勝ち。またしても頭の悪い人間達を論破してしまったと悦に入っていると朝陽さんはふらふらとした足取りでどこかへ歩いて行ってしまった。
「あれ、朝陽さんどこに行くんですか? おーい朝陽さん?」
「放って置けば良いじゃないもういい大人なんだから」
イズミはそう言うけれどあの朝陽さんだぞ?他の有象無象ならまだしも、頭の中がピンクなだけで比較的まともな思考の朝陽さんが居なくなっては俺も困ってしまうので、他の人間に鍋とイズミを任せ後を追ってみるとキョロキョロと何かを探している様子だった。すると並び立つ数々のビルを余す事無くチェックしている、どこか店でも探しているんだろうか?にしてもなんで急に…
そうこうしているとお目当ての店を見つける事が出来たのか、嬉しそうに今来た道を引き返し俺と鉢合わせた。俺には気付いていなかったのか驚いていたがそれよりも、と手を引かれて公園まで戻って来た。そこには先程までの負け戦っぷりを感じさせない宴ムードで、肉と海の幸を貪っている醜い女たちとイズミの姿が有った。六道地獄にババア道という場所が有ればこんな景色なんだろう
「ねえ、皆でカラオケに行きましょう?」
「カラオケ?」
朝陽さんからの突飛な提案にはババア道の餓鬼達も流石に手を止めた。何の前触れも無くこの場を後にしたと思ったら再び何の前触れも無くカラオケで遊ぼうなんて言う、奔放という言葉だけでは言い表せられない怖さを時々朝陽さんからは感じる。こちらが意図を聞いても「ダメ?」と可愛らしく聞いて来るので断る訳にもいかない雰囲気が流れ、なんとなくこの場を片付け始めた我々はカラオケでの二次会を余儀なくされた。
こんな時に思い出す話ではないが俺はイズミ以外の人間とカラオケに来た事なんか無かったので、ネットで書き込まれていた"カラオケでやってはいけない行動"という物を思い出しながら慎重に立ち回った。まずは各々でドリンクを頼み、酒を飲まないイズミを中央付近に座らせトイレの度に立たせる手間を減らす。晴香とカガリが曲を選んでいる最中に大田さんはマイクの大きさやハモリなどをセッティングしているが、なにぶん多人数でのカラオケは初めてなので「絶対音感持ってるけどやろうか?」とも言えなかった
一曲目にはカガリの入れた聞いた事も無い歌謡曲が流れる。そうか、これだけ年が離れているとこれからもこんなジェネレーションギャップを感じる事になるんだろう、と身構えたがカガリは本意気で歌う事無く大田さんと目配せしながら調整をしている様子だ。なるほど曲のバランスを測る為に必要なのか、随分と手慣れているがなんか腹立つ顔してるな…アーティストぶっているというか、まぁ気のせいだろうと俺は適当にツマミを注文する。
晴香が歌い出すと少しだけマイクの大きさが気になったが、でもこれくらいが歌いやすいのかとも思いあえて触れずにいると晴香が前に出て来て案の定マイクの音量を少し下げた。いや大田さんの調整なんだったんだよ、本人は曲選んで気にもしてないし。晴香が歌い終えるとドラムロールが流れ次の曲かと思いきや画面にデカデカと映っている全国採点の文字に驚愕した、何を勝手に採点機能を付けているのかと。これは集団カラオケの御法度の一つと聞き及んでいるが…?
しかも他の人達も特に言及する事無く次の曲が表示されカガリはマイクを手に取る。これもそういう物として流しても良いのだろうか…?気にしては負けか。そして部屋の中にはカガリが入れたとは思えないアイドル調の明るめな曲が流れ…あ、左手でリズム取るタイプの人なんだ。そこまで気にはならないがちょっとだけ音程外れてるタイプの人なんだ。とあまり知りたくなかった情報が次々に明かされる…あ、店員入って来ると画面見ながら会釈して声のボリューム落とすタイプの人なんだ。
歌い終えるとまたもや採点が流れ、しかも誰も触れない。誰得なんだよこの時間は
普段は我関せずなイズミも人前で歌う事には抵抗が無いらしく、編集している間に聞く曲なんかを歌う。やっぱりイズミは歌もうまいな、と聴き惚れていると唐突に雑音が混入した。あ、大田さんって人が歌っている時に別に上手くも無いハモり入れるタイプなんだ。すげぇ邪魔だけどなんか得意気にしてるからネタでも無さそうで言い出しづらい…これも御法度の筈では?俺が見た情報も所詮は人とカラオケに行った事の無いエアプの戯言だったんだろうか?少し不安になって来た
音程を全く外す事無く歌いきったイズミは全国ランキングで二位に躍り出た。しかし誰も触れる事は無い、じゃあ何のためのシステムなんだよこれ?研鑽を積むでもなく盛り上がる訳でも無い、この数字を確認するシステムに何の意味があるのか問いただしたくて仕方がない…そして朝陽さんがマイクを持つと聞いた事のあるイントロが流れた、これはCMでも流れている最近流行りの曲じゃないか。まさか朝陽さんが歌えるなんて思いもしなかったが久しぶりに耳馴染みのある歌に安心感を覚えた
くっそ下手糞だな朝陽さん
リズム感も音程もバラバラだし、よくもまぁこれでカラオケに行かない?なんて提案出来たもんだ。しかし上手くなければ来てはいけない場所でも無いし、一生懸命さが伝わって不思議と不快さを感じない。たまには完璧なアーティストだけではなくこういう音を耳に聞かせる事も大切なのかもしれないな、贅沢が過ぎると文句ばかりが増えて良くない。今はただ応援しながら時間が過ぎるのを待つとしよう
あ、一番だけ歌うタイプの人なんだ
二番分からないなら歌わなきゃいいのに…とか言ってはいけないんだろう。一番だけ歌いたい時とか有るもんな、鼻歌で済ませる事は出来ない衝動というか…うん、寛容さが大切なんだろう。どうせ一時間程度でこの人達も飽きるだろうし適当に飲んで歌って帰ろう。と思っていたら伝票に自分の目を疑う時間が記されていた
15時入店 20時退店
五時間…?こんな奴等とこの密室に五時間も軟禁されるのか?そういえばこいつらは頻繁に朝陽さんのスナックに入り浸っている事を思い出した。まさかそこでもこんな風に歌だけを歌っているのか?あの大田さんがプロでもない癖にやたら気取っていたのはカラオケのプロフェッショナル集団だったからなのか…?喉だけは弱くあれよと天を仰いだ俺は、もう逃げられない事を察しマイクを手に取った。こうなればとことんまで付き合ってやると腹を括り北海道旅行の初日を満喫する事にした
余談だが如月大我の選曲はカラオケ御法度行為の一つ『誰も知らない洋楽』だった




