第九十三話 誕生日プレゼント
あれから小一時間イズミに対して説教をしていると、放送を見て面白そうだと駆け付けたカガリから誕生日プレゼントを受け取った。新年度を迎えた事で持ち会社の契約回りで忙しいと晴香が来れなかったのは残念だが、ありがたい事にプレゼントは買っておいてくれたらしい
久しぶりに母らしさを見た俺は先程まで悪さを働いていた愛しい妹より、ほんの少しだけカガリへの感謝の量が上回っている事に驚いた。本来連れて行くつもりは無かった花見の予定なんかも相談するくらいには人からの優しさが嬉しかったんだろう、二つ返事で了承したカガリは話もそこそこに家を後にした
なんでもこれから魔訶研で久しぶりの仕事に着手するらしく忙しいのだと。そういえばカガリも一応仕事はしていたんだなと思い出し、いつもの三バカはそこそこ社会との関わりを保っている事に気付いてさらに驚いた。だとしたら普通はもっと落ち着いたりするんじゃないか…なんて思ったり
俺がカガリから受け取ったプレゼントの中身が気になるのかイズミは俺の持つ袋に視線が釘付けだ。あれだけ大仕掛けな用意をしていたのにイズミからは何一つ受け取っていない事はもう忘れよう、考えるだけであのムカつくポーズを思い出し疲れるだけだからな
受け取った包みの中には手のひらほどの大きさをした小さな木の箱が入っており、箱の表面には丁寧に【如月大我様へ】なんて彫ってある。これは相当高価な品だと思われるが如何せん中身の想像が全くできない…頭の中ではこのサイズ感から象牙の印鑑を一番に連想するが、今時印鑑なんかを贈り物にするだろうか?想像は尽きないがとにかく開けてみる事に
中にはへその緒が入っていた
最初に見た時は乾いたスルメイカかとも思ったがこの捻じれ具合や色素は昔医学の教科書で見た事のあるへその緒と呼ばれる部位、出産と共に母親の体内から出て来た子供らは等しくこれで繋がれていて、切り離されると同時にこの世に生を受けた証とされるある種記念品ではあるが…
まさかこれを誕生日に送られるとは…というか晴香が持っていたのかカガリが持って来たのか…?それすらも不透明なまま、それでもなんだかちょっぴり"粋"だと感じてしまった自分が居る。確かに俺が生まれた日に渡されるなら筋も通っているし、生を実感するともいえるな。
普段はそこまで物を大切にする方ではないが、今回ばかりは慎重に箱の中へ戻し大切に懐へとしまった。そしてカガリから貰った包みの中にはもう一つこれと同じくらいの大きさをした木の箱が入っている事に気付いた。どちらが贈ったにせよ嬉しいプレゼントだったともう一つの箱も開けてみる
すると中にはカピカピに乾いたスルメイカが入っていた
これは…カガリが入れる順番を間違えたのか?それとも俺が開ける順番を間違えたのか…?いや待てよ、もしかしたら「こっちには本物のスルメなんかーい!!」と俺がずっこける所まで想定しての事だったのか?昭和の価値観で育った彼女らはこれで大爆笑間違いなしだと思ったのかもしれないが、時代は令和も三年になるというのに…年寄りのセンスはアップロードされないのだろうか?とボクは訝しんだ
うっかり自分の部屋でスルメを大事に保存してしまわない様にこの場でスルメを食べておかなければ。ムシャムシャと無心で噛んでもなんの感慨も無く、別段高級な気配すらもしないただのスルメ一本をよくもまあ息子に贈れたもんだと逆に感心してしまう。どんな神経してたらこんな悪魔の発想を思いつくのか?まぁ目の前には四半世紀前に母親と繋がっていた神経がある訳だけども、やかましいわ
「兄さん、なにそれ」
「イズミには教えてあげない。どうせイタズラするんだから」
「もうしないわよ」
興味津々で俺の懐にしまわれた木箱をどうにか手に入れようと悪戦苦闘しているが、もしも今日のイズミに手渡してしまえば何をしたって嘘って事にされて紛失しかねないのだから俺も必死だ。なんだって今日のイズミはこんなにもしつこいんだろうか?イズミの誕生日を忘れていた去年ならまだしも、今年はしっかりと祝い二人とも幸せの絶頂を満喫中だというのになにか不満な事でも出来たのか?口で伝える事が得意ではないイズミはどうにか態度で俺に示そうとしているのかもしれない
ひとしきり攻防を繰り広げた所でイズミは諦めたのかキッチンの方へ消えて行った。不貞腐れてやけ食いでもするつもりか?それとも先程までの自分を顧みて俺に何か作ってくれるつもりだろうか?いいやそんな事をするほど聞き分けの良い妹でない事は俺が一番よく知っている。もしかしたら今日の晩御飯にしようとしていたホッケを投げつけられるかもしれないと身構えていた。
すると俺の予想とは異なりカガリに勧められて買ったオーブンの動く音がした。全方面から熱を加えて温める事でムラなく均一に熱を…ってそんな事を説明している間に部屋中を香ばしい匂いが満たした。この匂いはコンビニで買えるホットスナック…今日のおやつ代わりに買って来たのは知っていたがなぜこのタイミングで…?と思案している俺に近づいて来たイズミは素手で荒々しくそれを鷲掴みにして食べ始めた
俺の顔を見ながら「どうだ羨ましいだろう」と見せびらかしているつもりだろうか?正直言ってしまえばそこまでお腹もすいていないし、さっき想像したホッケのせいで今ではすっかり魚の口になってしまい何も響かない。これではせっかく対抗策として持ち出して来たイズミも骨折り損だな…と内心ほくそ笑んでいたら、この妹はおおよそ人類が想像しうる最悪の攻撃で俺の事を攻め立てて来たのだ
油まみれの衣を鷲掴みにしていたその手で俺の顔面を満遍なく愛撫し、汗をかいた訳でもないのに俺の顔はテッカテカに光を放っている。最悪だ…食事を伴わない油がどれほど臭く不快なのか、頻繁に揚げ物調理をする俺はよく知っている。それが俺の目の前というか、顔面全体から感じられるのは大変なストレスで…
「イズミ、兄さんの顔よく見ろ。これ兄さんか揚げ物かどっちか分かるか?」
「兄さん」
「そうだな、でも今となっては油まみれで"限りなく揚げ物に近い兄さん"になってるんだよ。イズミの手によってな」
もう洗顔フォームを使うしかこの不快感から逃れる術は無いと気付くも、うかつに隙でも見せようものなら胸元から俺の大切なへその緒をかすめ取り、イズミが馬鹿な事もありスルメと勘違いして食べてしまうという最悪なシナリオまで脳内に出来上がっている。ここは我慢すべき所だろう…俺は自分の油臭さに耐え、抗った
どれだけ我慢しようがイズミが後をついてきて、今か今かと目を光らせながら俺の動向を逐一チェックしている。こんな状態ではトイレに行く事もままならず、ついには自分の部屋に引き籠り鍵をかけてしまった。せめて今日一日だけでも耐え忍べば、明日からはエイプリルフールなどというくだらない風習に流されこんな無茶はしなくなるだろう。そこで改めて見せてやればいいだけだ
何時間経ったか、この油臭い顔面で部屋の中から何かに怯えながら生活する様はまるで犯罪者みたいだなと苦笑した。物音がする度にこの扉をぶち破らんと画策するイズミが、物騒な手段で今にも乗り込んでくるのではないかと身体を跳ねさせて脅えていた…すると唐突に俺の携帯電話からメッセージを知らせる着信音がポンと鳴った。
『兄さん、もう出て来ても大丈夫よ』
それだけ書かれていた文面から、俺は全てを察して外に出た。案の定というか…そこには朝陽さんや晴香ら母親たちに大田さんまでもを含めたいつもの面々が部屋を装飾して待ち構えていた。通りで今日のイズミはいつもとは違いしつこすぎるほど俺に嫌がらせをしてくると思ったんだ…聞けばやはり(今日のイズミは何をするか分からない)と思わせる事が重要だったらしく、それでまんまと術中にハマった俺は自主的に部屋へと監禁されていたのだ。
「あと大我くんが大事にしてるそれ、へその緒に見えるけどそれもスルメだからね?」
「は?」
「私が息子にへその緒なんか渡す訳ねーだろ? ちょっと考えれば分かるだろ」
そういう物か…?てっきりこういうプレゼントの仕方もある物だと勘違いしていたが、朝陽さんに聞いてみても親が大事に持っておくための記念品というか…そういう物らしい。図らずも俺の世間知らずが今回の作戦を後押しする形になってしまったのが悔しくも、やはり嬉しい
誰かに祝われるというか、こういった催し事を喜べる自分になれている事実が俺の成長を感じさせてくれて…もう産まれた段階で完成品だと思っていた自分にも、まだまだ知らない成長の余地が残されているんだなと思えばこれからの長い人生だって楽しむ事が増えると思ったからだ。
とにもかくにもこの場を開いてもらった事に礼をし、これから開催するつもりだった花見の話も少しした所でしょうもないネタバラシというか…晴香は会社の仕事なんかしてないし、カガリも魔訶研での仕事なんかしばらくしていないとの事。あの食べてしまったスルメは大田さんからのプレゼントで、朝陽さんに至ってはエイプリルフールを忘れていたそうだ
呆れ果てた俺は胸元から取り出した『へその緒という名のスルメ』を食いながら用意してくれた酒を嗜んだ。さぁここで問題、カガリと晴香は俺の事を見ながら顔面蒼白といった様子だが…俺の食べた物は"本当にスルメだったのでしょうか?"それとも…
何度も繰り返された噓によって平衡感覚を失い、どれが真実かも分からないまま四月一日という忌むべき日は過ぎ去った。どれが真実かを見抜く力を身に着けなければ、あなたもいずれは俺の様に…
なんてね




