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第八話  如月兄妹

 

 夢を見ていた。巨大な迷路の中で、四方八方に伸びた道がぐるぐると回転して進む先も帰る道さえも分からなくなりただそこに佇む事しかできなかった。


 遠くから音が聞こえる。何かが割れるような、砕けるような音が。


 どんどん大きくなる音がこちらに近づいてきて、目の前の壁が割れた


 私の言い表せない不安と苛立ちを晴らしてくれたのは、この人だった



「帰るぞ。イズミ」



 声が聞こえてきたのは夢の中だけではなく、私は目を覚ました。いつのまにか寝てしまっていたのか

 午前五時を少し過ぎている。母はまだ隣で寝ていた



「…寝てないのね」


「あぁ、なんだか朝陽さん見てたら飲みたくなってな」



 兄さんが座っている所は昔、私の場所だった

 雑多に広げられたツマミや積み上げられた空き缶の数でずいぶん待たせてしまったのだと反省した。


 あまり居心地の良い場所ではなかったけれど、今では平気で眠ってしまえるんだな


 それとも母と二人で気が緩んでしまったのか。恥ずかしい所を見られてしまった



 そろそろ帰らないと朝の配信に間に合わないだろうと、帰り支度をする事にした。


 リビングも綺麗に片付けられていて、こういう所は流石だなと改めて感心する


 寝起きのぼんやりとした頭の中はこの景色と相まって兄さんが初めて家に来た時の事を思い出す。


 目が合った瞬間にどこかで聞いた事のある声を思い出したんだ


 あれは多分とても小さい頃に聞いていたはずの…父の声だろうか


 漠然とした感覚で、自分には兄妹が居るんだという事も知っていた


 自我が芽生えるかどうかという頃に聞いていた気がしたんだ


 その光景は夢で見たものではないかとも思っていたが、でもどういう訳か頭の中から消えなかった



 空き缶の片づけをしている兄さんを遠目に、私はもう一度あの場所に座ってみる。

 閉じていたドアから光が差し込み誰かが入ってきた。誰でもよかった

 目の前に屈んだだろうか。どうでもよかった

 同情の言葉なんか、聞きたくなかった。心配なんてしてほしくなかった

 ただ私の事を…生きている事を…私の行いを…



 ──お前すごいな



 肯定して欲しかった


 ただ生きているだけで人から襲われてしまうのは私が悪いのだろうか?


 見た目が良い事は武器になると言った母の言葉は嘘だったのだろうか?


 こんなリスクが生きているだけで永遠に続くだなんて。抵抗する事も許されないなんて


 私は生きていてはいけない人間なんじゃないか。


 どうでもよくなった。その言葉だけで。


 久しぶりに他人の顔にピントが合った。無意識に出た言葉


 ──兄さん


 兄さん?私の、数年ぶりに口から出た言葉、それが自分の声なのかすらも忘れている。


 でも確かに私の口から発した言葉だった。


 信じられないかもしれないが、なんだかそんな気がした。目の前に屈んだ人のその目は、とても真っ直ぐに私の事を射抜くように見つめていた。



 * *



「よし、帰るぞイズミ~」



 リビングから聞こえる声をわざと無視してみる。意地の悪い女だろうか



「イズミ~? 寝たか~?」



 もう一度、私の事を迎えに来てくれないだろうか



「俺酒飲んでるから運転できないんだからさー」



 また、あの戸が開いた。あの時と同じ様に



「よいしょ…車まで担いでってやろうか?」



 私の目の前で屈む彼の事を、今度は私も真っ直ぐに見つめ返せる



 ──あぁ、一目惚れだったんだろう



 あんな事の後でも、死にたいとは思っていなかった

 ただ、どうしようもなく生きたくなかった

 これからの人生も、生きたいと思わせてくれた

 あなたの為に、あなたと一緒に



 ──愛してるわ。兄さん







ここまでご覧頂きまして本当にありがとうございます

プロローグから続けてきましたがここで一種の区切りにもなります。

ここからも沢山の方を楽しませる事が出来るように頑張っていきますので、もしよろしければブクマや評価のほどよろしくお願いします


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