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西班牙3

 約束した話し合いの場は、なかなか設けられないでいた。

 私が単純に忙しかったのもあるが、どうも多田侑芽クリスティアナに避けられているようなのだ。

 覚醒した子どもたちは、園の敷地内に一歩足を踏み入れた途端、前世の支配を受ける。裏を返せば、門を一歩出てしまえば、クリスティアナの記憶も霧散してしまうということだ。

 つまり、逃げるが勝ち。

 もちろん、私だっていつまでも逃してあげるわけにもいかない。


「多田さん! お帰りの前に事務所へ寄っていただけますか? 園長が先日の書類で聞きたいことがあるそうで。ーーユメちゃんは先生と待っていよう」


 

 門まであと三メートル、というところで、ようやく多田親子を呼び止めることができた。

 何か不備があったかしら、と事務所へ向かう多田母の背を見送りながら、傍らの侑芽へ声をかける。


「やっぱり確信犯ですね。いつもいつもタイミングが良すぎるなとは思ってましたけど」


 日中、私の手が空いた時には、必ず面倒・・な子どものそばにいる。のこのこと私が近づけば、侑芽に声をかける前に面倒な子どもが騒ぎ出すことは必至だ。そして降園時は保護者の迎えを待って帰りの挨拶はするものの、他の親子に紛れてそそくさと姿を消す。


「……」

 

 濁りのない瞳が無言で見上げてくるが、眉間は曇っている。明らかに私が話しかけたことが迷惑そうだ。


「私も仕事なんで、あんまりあからさまだとちょっと傷つくんですけど……彼と話す前に私と話しませんか。お母さんの方はきっかり四十分、園長が引き止めてくれることになっていますので」


 ぱちり、ぱちり、と二度瞬きしてから、ゆっくりと侑芽は頷いた。


ーーーーー


「かんぱーい! お疲れぇ」


 とりあえず、で運ばれてきた冷菜を前に、ガツガツとジョッキをぶつけ合う。


「もうさー! 聞いてよ、うちの園長の話!」

 

 サワーのしゅわしゅわが喉を通るか通らないか、というタイミングで九条恵里奈が口火を切る。

 恵里奈は同じ短大で保育士と幼稚園免許を取得し、現在は大手法人の運営する子ども園で保育士をしている。なかなか癖のある園長らしく、こうして会うと半分以上が園長の愚痴になる。


「壁面のゾウが服着て二足歩行してるってケチつけるのよ! 子どもに嘘を教えるつもりかって!!」


 ほのさと保育園には決まりはないが、季節ごとの壁面制作が定められている園は多い。厳しいところだと深夜まで泣きながらファンシーな動物やキャラクターを切り貼りし、先輩保育士からダメ出しを何度も食らう、なんてこともあるそうだ。

 フリマサイトで壁面制作を売る人が出るのも頷ける。


「そんなこと言ったら、結構な数の絵本もだめだよねぇ」


 すべて、とは言わないけれど、この業界、服を着て二本足で立つ動物はごく一般的だと思うのだ。たしか大手教育社のトラのキャラクターも赤いシャツを着た二足歩行だった。しゃべってるし。

 薄くスライスして、小口切りのネギと大根おろしをまぶした砂肝を口に入れる。こりこりの食感と、ポン酢の冷たい酸味が美味しい。


「そうなの! しかも口を開けば保護者対応が甘いって! どうしたらって聞いたらイチイチ俺に聞くな、聞かずにやったら報告不足! さらに新人教育までやらされて、どーしろっつーの!」


 ごん、とテーブルに置かれたジョッキはもうほとんどカラだ。

 注文用のタブレットを渡してやりながら、今日は長くなりそうだなと内心苦笑する。


「いいよね! 亜実んとこは。同僚は強烈だけど、園長はイケメンでデキる人なんでしょ」

「んー。そうだね。好きにやっていい、責任は取るからっていつも言われるかな」


 今日の侑芽のことも、仄里の協力なしにはできなかった。多田母の足止めは必要か、と何でもないことのように聞いてくれることが、いかに得難いことなのか、恵里奈の話を聞いているとしみじみわかる。


 なにそれ! 珍獣! と恵里奈の指がタブレットを叩く。まだ時間も早く客が少ないせいか、あっという間にハイボールと料理が運ばれてきた。


「まあ……園児が独特なのと、守秘義務がヨソより厳しいのが大変かな」


 うちの園児はみんな前世持ちなんです、園の敷地を出たらケロッとしてますけど、中は結構カオスですよー、なんて言っても誰も信じないだろうけど。


 ほのさと保育園の独特さを守るため、働く私たちにはかなり厳しく緘口令がしかれているし、外部から入れる人間は厳選されている。

 入園希望者には仄里の面談を受けてもらい、前世持ちと判断された園児のみを入園させている。

 保護者が園内に立ち入るルートや時間帯はそれとは悟られないよう決められているし、実習生は関係者の親類縁者のみ受け入れ。業者も関係者のみで構成する徹底ぶりだ。


 その徹底ぶりがあってこそ、子どもたちは人目を気にせず前世と向き合うことができるし、私たちもケアに集中できる。

 チームとして動く難しさ、面白さ。一員として労われ大切にされている実感。


「……園長のカフェオレ、おいしいんだよね」

「リア充かよ! うちの園長の淹れた茶なんて飲めるか!」


 だし巻き卵を頬張りながら、恵里奈がふと真顔に戻る。


「まあでも、良かったよね。すごいブラックだったし、前のとこ」


 あー、そうだね。と相槌を打ちながら、嫌な音を立てた胸をそっと押さえる。

 先輩保育士に恵まれなかった、と言ってしまえばそれだけだ。

 短大をでたばかりなのに、身の程を知らない私が悪かった。自分には無限の可能性があって、がむしゃらに頑張れば大体のことはできると思っていたあの頃に、合わない環境だった。ただそれだけ。


「病んでるところを本屋でナンパされたんだっけ? もう付き合っちゃえよ!」

「つ、付き合うって」


 ぐふ、と長芋のグラタンが引っかかる。

 付き合う、ということばとともに仄里のあれやこれやが浮かんできて息が整わず、一向に咳が止まらない。


「いいなーいいなー。甘酸っぱ! 公務員組に頼んで消防士合コン行こうかな」


 短大の同学年には公務員試験を通り、公立の保育園で働いている友達もいる。保育士をしていると職場での出会いはほぼないので、自然と同じ公務員の男ばかりの部署と合コン……という流れになるそうで。


「いいね、消防士。有事の際に守ってほしい」

「だよね。もやしよりがっちりよ、やっぱり」


 そういえば仄里も結構がっちりしてるけど、何かスポーツやってたのかな、と考えてしまってから、慌ててサワーを飲み込んだ。

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