西班牙2
園舎の北側。のんのんの木と呼ばれる楠の下に、加古 峻平と多田 侑芽がいた。
二人とも顔のつくりの整ったかわいらしい子なので、あら微笑ましいデート? と言いたくなるような取り合わせだが、そんな冗談は繰り出せない。
峻平は随分興奮した様子で、眉を吊り上げ頬を怒りに染めている。対して侑芽は顔色を失い、強く唇を噛み締めていた。
「お二人とも、どうなさいましたか」
「僕は今、彼女と話している。関係者以外は来ないでくれ」
峻平の小さな口から、刺さるようなセリフが飛び出した。ほのさと保育園に来たばかりの半年前の私であれば、茶化して笑い飛ばしていたであろう。誰かのマネ? シュンくん大人みたいね、とか。
「おことばですが、お二人とも冷静に話ができる状態ではないと思いますよ。一度仕切り直しをされる方がよろしいかと」
なるべく丁寧に、でも毅然とした態度を心がけながら言えば、峻平は忌々しげに顔を歪めた。
「君に指図される謂れはない」
「申し訳ありませんが、このほのさと保育園の敷地内では私の指図従っていただくことになっています。ご理解とご協力を」
あえて指図、を強調したのは嫌味だ。峻平に笑いかけながら、侑芽の背を軽く押し、教室へ向かうように指示をする。
「話し合いの場は私が責任を持って設けます。今はこちらへ。……従っていただけない場合は、然るべきところへご連絡差し上げる他ないのですが」
いうこと聞かないと親に電話するぞ、と付け加えると、わかりやすく峻平がカッとなった。
私に脅されたのが嫌だったのか、はたまた養育保護される己の身の上に憤ったのかはわからないけど。
仄里がぱんだ組を預かってくれているとはいえ、いつまでも時間があるわけではないのだ。降園時間に担任不在で園長が部屋にいれば、不審に思う保護者も出てくる。子どもの口から峻平と侑芽の話が伝わってしまえば、面倒ごとはどんどん燃え広がる。
よって、私は全力で畳み掛ける。
「そういった行為は信頼関係を損いますので、私としても不本意です。ですから、どうぞこちらへ」
再度促せば、険しい顔の四歳児は、渋々歩きだした。
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「それで、多田さんーー、クリスティアナさんと何を話しておられたのですか?」
手元の手帳を確認しながら、聞く。自慢じゃないが私は忘れっぽいし、世界史や保育士試験で散々泣いた苦い記憶もたっぷりあって、カタカナは苦手だ。ちゃんと書いておかないと他のケースと混ざる。
峻平はアドルフォだっけ。名前の並びからするとスペインぽいけど、スペインではないようだ。西班牙と書いておくのは、自分の記憶のためと、園児にメモをうっかり盗み見られても、読めないようにという配慮だ。
「カロリーナのことを聞こうと問い質せば、そのようですね、といけしゃあしゃあと! ひとがーー幼馴染として育ってきたごく近しい人を死に追いやっておいて、なぜあのような人ごとのように!」
小さな拳がテーブルの上で強く握られる。手の甲のえくぼこそないが、柔らかそうなつるりとした幼い手だ。
担任と二人、空き教室で向かい合っても萎縮した様子は全くないのは、今峻平は峻平ではなくーーアドルフォなんちゃらとかいう、二十歳の青年だからだろう。
二十歳、といっても現代の感覚とはだいぶ違うようだから、精神年齢でいえば、二十四の私よりももしかしたら大人なのかもしれない。
「えーと、確認ですが、あなたとカロリーナさんは恋人同士で、クリスティアナさんは二人の幼馴染でしたっけね?」
アドルフォは田舎領主の息子、カロリーナは領内の鍛冶屋の娘。クリスティアナは同じく領内の商家の娘。年も近く、幼い頃は共に遊び、同じ学び舎で肩を並べたそうだ。長じてからは会う機会こそ減ったものの、アドルフォとカロリーナは恋を温めていった。
「カロリーナさん亡き後、アドルフォさんはクリスティアナさんと結婚された……ということは、クリスティアナさんが横恋慕してきたということですか?」
横恋慕なんて、二十年以上生きてきて初めて口に出したわ、となんだか気恥ずかしく思いながら言うと、峻平は眉間に皺を寄せた。
「結果だけを見ればそういうことなのだろうが……クリスティアナは、ただの幼馴染でしかなかった。父やクリスティアナの父の思惑はあったかもしれないが、僕には詳細が全くわからない」
峻平がたどるアドルフォの記憶では、二十歳の社交シーズン、いよいよカロリーナとの婚約を領主である父に認めさせるーーというときに、事態が急変した。
王都に滞在していたアドルフォと日を空けずやりとりしていたカロリーナの手紙がぱたりとなくなった。何かあったのかと領地の人間に尋ねても曖昧な返事ばかり。
慌てて社交を終えて領地に戻ったアドルフォを迎えたのは、すでに埋葬が済んだカロリーナの墓碑だった。
訳を尋ねようにも、鍛冶屋の主人は門扉を閉し、顔も見せてくれない。アドルフォの屋敷の使用人もカロリーナの家の近所の人間も、アドルフォの顔を見て痛ましそうに目を伏せるだけで何も語らない。
領内のあちこちを聞き回り、ようやく得られたのが、ここ最近カロリーナがクリスティアナと頻回に会っていたという話。
『それで、わたくしがカロリーナに何かしたと?』
商家と言いながら、領主のものと負けず劣らず絢爛な応接室に現れたクリスティアナは、服喪をあらわす漆黒のドレスを身にまとっていた。控えめな化粧だけを施し、装飾品は何も身に付けていない彼女は、思わず背筋が伸びるような凄絶な美しさだった。
美しいのに、恐ろしい。娘らしい溌剌とした生はそこにはなく、からっぽの容れ物を前にしているような感覚をアドルフォは覚える。
『アドルフォ、あなたこそ心当たりがあるのではなくて? カロリーナが手紙に書けなかった苦悩が、あなたに全くわからなかったとは思えないわ』
『何が言いたい? カロリーナとはもうすぐ婚約も結べる運びだった。苦悩などとは……』
くっ、とクリスティアナの喉が鳴る。堪え切れないというような笑い声だった。
『男やもめに育てられた鍛冶屋の娘が、領主の妻に? 社交といえば水汲みついでの世間話や買い物の値切りなのに? 天真爛漫と無知蒙昧の違いも、嫌味と賛辞の違いもわからない彼女が?』
『カロリーナを侮辱するな! 彼女は僕の唯一で……!』
『ーー侮辱、ね。本当にそう思っていて今があるのなら、あなたも救いようがないわね。あなたのお父様が何をお考えになって、どう動いてきたか全くご存知ないのね』
凍てつくような視線に思わず黙ると、クリスティアナはちりりと手元の鈴を鳴らす。
『アドルフォ様がお帰りよ。お送りしてちょうだい』
訳がわからないまま廊下へと出されたアドルフォの背に小さなつぶやきが落ちる。
『誰が殺したのか、あなたにはきっと永遠にわからない』
そのつぶやきは呪いのように、峻平となった彼をもずっと蝕んでいる。
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「多田への聴き取りはいつするんだ?」
「軽くは聴き取ってあるんですけど、あちらはガードも固くて。どうも試聴型みたいです。そりゃ、ひとごとだって言われもしますよね」
慌ただしく園児をすべて保護者へ引き渡したあと、事務所へ戻ると仄里が聞いてきた。
「没入も面倒だけど、試聴型は扱いが難しいわよねえ」
週末に染めてきたらしい、赤とも紫ともつかない髪色の岸上ミツエが餡子をせっせと口へ運びながら横から口を挟む。
ちらりと手元をのぞけば、たしかに休み前に満タンだったミツエのタッパーの餡子は残量半分。ミツエの餡子の減りが激しい時は要注意だ。
「……ミツエ先生のとこは今は没入が多いんでしたっけ?」
「そうねー。今は没入型が6名、試聴型が2名、潜在型が7名かしら」
そうだった、うちも結構面倒だけどミツエのところもだった、と思い返しているとふとミツエの向かい側から視線を感じる。
「どうかした? 樺山さん」
「え、あの。その。型……って前世の記憶のことですか?」
びくりと肩を揺らしながらも、樺山沙保里が答える。化粧っ気のない白い頬、まっすぐな黒髪はひっつめて、手にはメモまで握っている。
「そうそう。樺山さんは先週から実習に来たから……覚醒を見たことないんだよね?」
「はい。ええと……覚醒したあとの子で、騎士道が、と話している子がいたのは見ました」
それはおそらく、ミツエのクラスの没入型の女児のことだろう。異世界の騎士団に所属していたという前世を持った、五歳児だ。異世界転生者は言動が派手なことが多いから、目についたのだろう。
「没入型は……字の通り、前世にどっぷりハマってるタイプね。前にあったこと、と前世をみていなくて、ひと続きの人生として今を生きているから、なんていうか、その」
「頭大丈夫かってヨソでは言われるでしょうね」
私が濁した先をミツエがストレートに口にする。実習生の前だから、もう少しオブラートに包んでも、と思いながらも事実であることは確かだ。
あとで一応樺山さんには釘を刺しておこう。保護者の前で口を滑らせたらとんでもない。
「潜在型は、まだ覚醒していなくて、没入型なのか試聴型なのかわからない子。ぱっと見はごく普通の子だね。試聴型は、テレビとか映画を見るように自分の前世を知っている感覚だね。没入型よりも冷静で隠すのも上手い分、介入が難しいの」
「難しいって何がですか?」
試聴型、難しいーーとメモを取りながら樺山が首を傾げる。きっと日焼け止めを塗っただけであろう肌は、それでも若さに輝いて丸い光のリングを頬に描いている。
「ここには、前世の記憶がある園児を集めている。人目を気にせず、自分の過去と向き合ってもらうためだ。……それでも、その記憶をよしとしない者も多いし、過去と向き合えないからこそ今を生きられない場合も多い。場合によっては、現在の人格と前世の人格が複雑に混じり合ってしまう」
きい、と仄里の椅子がきしむ。誰かを思い返しているのか、いつもは優しくゆるんでいる目元が、どことなく寂しそうに下がった。憂いを含む横顔はどきりとするほど色っぽい。正面に座っていた樺山さんはもろにあてられたらしく、耳まで真っ赤だ。大人の色気は心臓にくるから仕方ない。
「没入型の子は、向き合うも何も、どっぷりハマってるから、私たちはそれを昇華するお手伝いだけでいい。でも試聴型の子は前世と今世、二つの中で複雑に絡んだ悩みを持ってることがあってね。それが難しいってこと」
「はあ……すごい世界ですね」
ほぉっと息を吐き出す樺山を見ると、ここへ来たばかりのことを思い出す。イケメン園長につられて来てみれば、いきなり前世だなんだと言われて、頭はパンク寸前でーー。
「樺山さんも、あんまり肩入れするもんじゃないわよ。新田屋ちゃんなんて働き出してすぐハゲできたのよ」
「ちょっ、やめてくださいよ」
こーんくらいの、と指で輪を作りながらげらげらと揶揄うミツエの肩をばしんと叩くと、仄里も笑う。
「新田屋のように真摯に向き合ってくれる人がいるということは、確実に相手にとっての救いになる。ただそれは、ともに溺れるということとは分けなければならないから。皆には何より自分を大事にしてほしい」
優しい仄里の視線に、半年で色気ビームには慣れたはずの私も、思わず頬が熱くなった。