31 隣にいるうちは
「……ヒーリングシャワー」
パァ……っと俺に光の雨が降り注ぎ傷が殆ど塞がる。
直後光が散って特殊武器は消え、ファナの手の中でマリーゼが持っていた小さな杖に戻る。
その杖を無造作に捨ててファナは俺の元へとやって来た。
「うく……」
「大丈夫?」
「うう……どいつもこいつも身勝手でやっても無い罪を俺にかぶせて……どれだけ無実だって言っても信じてくれなくて、痛みに耐えなながら頑張ったのに、また罵られて、これが報酬か! この後も続くのか! もう疲れた……」
ファナが駆けつけて力で解決してくれているけど、胸の刻印は作動したまま。
どうせこの後、捕まってさ……今いる所よりひどい場所に行くんだろ?
やってらんねえよ! この世界が滅ぶならさっさと滅べ!
「世界の危機? 滅べよ! 無実を証明するために頑張るのも限界だ!」
バチバチと刻印がまだ俺を締め付け続ける。
やっても無い罪がまだ俺に償ってないぞ。逆らうな、囚人として耐え続けろとささやき続ける。
どれだけ頑張れば良いんだよ……何なんだよ。
頑張っても礼の言葉さえなく仇で返され罵倒されるって何なんだよ! いい加減にしてくれ。
「アキヒコ」
そう、考えが巡っていると……ファナが俺の顔に両手を添えて額を軽く着けてくる。
それは俺の視界を覆いかねない程の至近距離……ただ、なぜか猫の獣人であるファナがとても優しい女の子のような錯覚を覚える。
普段の雄々しい姿とはまるで違う華奢で、それでありながら傷ついた……女の子。
何処かで見たことがあるような、心が痛んだ覚えのある。そんな姿を幻視してしまう。
「大丈夫、私は……アキヒコが悪くないのを信じてる。アキヒコは、とても運が悪くて、こんな目に遭っただけ……だから私が絶対に守って見せるから……世界に絶望する気持ちも誰も許せない気持ちも、わかってる。知ってるから……残酷な運命を許せないのも」
虚ろな表情で連行されて行く囚人の女の子が脳裏を何故か過る。
世界のすべてに絶望した……あの深淵のような瞳を……その瞳に光が宿るような、そんな錯覚を。
「人も、魔物も信じられない……なら、これで最後で良いから、私を……人でも魔物でもない、愚かで戦う事しかできない獣人の私を信じて」
バーサーカーリープッド……怒りで敵味方区別なく暴れる人とも呼べず魔物のようで、それでありながら魔物ではない存在。
……まるでトンチみたいだ。俺は人も魔物も信じられない。そこに人でも魔物でもないなんて卑下する奴が信じろって言ってくるなんて。
ふんわりと、それでありながら何かがファナを通じて俺の体に通って行くような感覚がしていき、傷の痛みも、刻印の痛みも感じなくなっていく。
「せめて猶予を……私が隣にいるうちは、私を撫でて毛並みを整えてくれた時のような優しい心を捨てないで……私がいずれ処刑されて死ぬその日まで、どうか……私に、あなたを守らせてほしいの」
「ファナ……でも……」
「大丈夫、私が……何があっても守るから。その責任を……全部、取るから……」
ファナは立ち上がり、周囲を囲むギルド職員や冒険者たちに向けて鋭い眼光を向ける。
同時にやっと追いついたのかルアトルが輪の間から入ってくる。
「ルアトル、やっと来たのね。そんなに遅いんじゃチャンスを逃すわよ?」
「君が張り倒した勇者様を運ぶ手伝いをさせられてたんだけどね……随分と暴れたもんだと思うけど、今回だけは賞賛してあげるよ」
やれやれと言った様子でルアトルは俺の方にも顔を向ける。
「なんか災難に巻き込まれちゃったみたいだね。まさかこんな事態になってるとは思いもしなかったよ」
「ルアトル、ちょっと」
「なんだい? さすがに今は君との戯言に付き合っていられる状況じゃないよ」
「……大魔女、グランローフィリーズ様にファナ=ポシュ=クーンが謁見をお願い申し上げると魔女ギルドに伝令を飛ばして。同時にクラン、ムーンティアーバスターにも」
「おやおや、そこまで君が入れ込むなんてね。どういう風の吹き回しなのかな?」
「どこぞの勇者様と聖女様ってのが理不尽な罪をでっち上げようとしているのが分かったから、使える権力を使うだけ」
「なるほどね。名案って訳だ。ただ、そこまでの事はしなくても良さそうだよ」
ここでコツ、コツと誰かが近づいてくる音が響き、ルアトルの後を続くように……刑務所長と同じような服を着た中年男性と、ロネットがやってくる。
「丁度良かったわ! そこの二人が私の仲間をどこかにやって私の指輪を盗んだのよ! 挙句私を含めて職員に暴行まで働いたのよ! 早く処分しなさい」
「聖女マリーゼ、悪いが此度の君の命令にギルドは従えない」
「はぁ!? 何言ってんのよ! 私は王と教会直々に勇者となるノリスケ様と共に世界の危機を救うために権力を与えられているのよ! 一介のギルド長が逆らえると思っているの!?」
「それは君たちがハヴァトース湿地で遭遇したグレードマッドサラマンダーを相手に仲間を犠牲にして逃亡し、その際に消失した指輪をギルドで簡単な依頼と偽って取り戻そうとした、詐称疑惑の件があるからだ。さらにファナ=ポシュ=クーンへの無礼な接触に関しても耳にしている」
「そ、それは……言いがかりよ! そもそもそいつは囚人じゃない!」
「囚人だからと何をしても良いわけではないのだよ。彼も彼女も、ね。ただでさえ君たちの所為で困った事になっているんだ。あまり我儘が通るとは思わないでほしい」
「なんですって!? 私は聖女で! ノリスケ様は勇者になるのよ!?」
「マリーゼくん、証拠は揃っている。だから君の言い分は通らない。悪いが王城と教会へ、この事実を報告せねばいけないんだ。素直に同行してくれるかい? じゃないと無理やり連行する羽目になる」
「違うわ! アイツよ! アイツらが悪いのよ! なんで私がこんな目に遭わないといけないのよ! ノリスケ様に暴行までアイツ等はしたのよ! なんでアイツらが裁かれないのよ!」
「彼らは君の身勝手に振り回されたにすぎん。職員たちもよく調べもせず権力を持つ者に肩入れするとは……嘆かわしい事態だ。その負傷は君たち自身が起こした罰だと思いたまえ」
暖簾に腕押しとばかりにギルド長らしき人物は負傷した職員たちに合図を送り、手当てを施してからマリーゼを無理やり立たせる。
「アキヒコ、少しだけ……待ってて」
ファナは連行されそうになっているマリーゼの前に立つ。
そしてファナの姿が変化して……人の姿へと変わった。
その姿に俺は見覚えがあった。
何処で見たのかと思ったけれど、それはこの世界に来てロネットと再会した時の事だ。
囚人が引き回しに遭っているときに歩いていた女の子が……そこに立っていた。
あの時のような虚ろな表情はしていないけれど、目はまるで闇を映すかのように、マリーゼを静かに見つめている。
ロネットやマリーゼは誰が見ても美少女だと口をそろえて言えるほどに整った顔立ちをしているけれど、人の姿となったファナはその両者に負けず劣らずの背は少し低いけど美少女の姿をしている。
ああ、村中のお眼鏡に叶ったってのは間違いないな。
何処で知ったんだか……年齢差を考えろよ。
そもそもお前、地球では妻子持ちだろう。
そんな美少女がマリーゼを黙って凝視しているのだ。
「……」
ファナは足を軽く上げて地面を力強く踏みつける。
それだけで床にヒビが走った。
「貴方が虚偽の依頼までして探させた指輪を最初に見つけたのはアキヒコよ? そんな恩人であるアキヒコにあなたは難癖をつけるの?」
はぁ……と呆れを通り越した声音で人の姿を取るファナはマリーゼに告げる。
「聖女ね……今のあなたはその職業にふさわしい立ち振る舞いが出来ているとはとても思えないわよ? どこに聖なる乙女の要素があるのかしら? 慈悲深くもなく、嘘つきでヒステリックに騒ぐなんて恥を知りなさい」
「なんですって!? 調子に乗るんじゃないわよ! 私の何処が――」
と、激高したままマリーゼはそのまま職員によって連行されていく。
せめて一太刀とばかりに杖に手を掛けた所で、職員によって沈黙の魔法が施されて喋れなくなって抗議の視線を向けたまま連れていかれた。
その姿を見て、少しばかり鬱憤が晴れた。
ああ……うん。ちょっとだけ元気が出た気がする。
「此度は我がギルドが非常にご迷惑を掛けました。償いはいずれ必ず行いますので今はどうかお時間を……」
と、一礼してギルド長はマリーゼを連行する後へと続き、その場を去って行った。
職員が冒険者たちに散るように命じて、冒険者たちの人込みはやがて無くなって行った。
ただ、相変わらずチラチラと俺たちを見ている冒険者達。
「あー面倒臭かった」
「随分と手馴れたお手並みな事で」
「馴れてなんかいないよ。私も怒ってたから言っただけー」
「その割に随分と威圧しましたね……」
ファナの態度に間にロネットが入って若干嘆くような調子で答える。
「威圧なんてしてなーい」
「あれだけ暴れて……どの口が言うのでしょうね」
「いやぁ……こっちも面倒な事をファナが起こしちゃったなーなんて思った所でさ。僕たちが助けた冒険者たちが乗り込んで報告してくれたから駆け付けることが出来たんだよ」
ああ……職員がマリーゼの権力に黙らされていた所を俺たち……ファナとルアトルが助太刀した冒険者が報告してくれたのね。
そうか、アイツ等が俺の危機を伝えてくれたのか。
……そうか。
なら、まだ多少はマシなのかもしれないな。