01 ブラック職場転移
「んー……」
カチャカチャとキーボードで打ち込んでいた資料やっとのこと出来上がった所で俺は背伸びをした。
それからふと周囲を見渡し、仕事が一区切りついた事をバレない様に再度パソコンの画面に意識を向ける振りをしておく。
「おい! この前命じていた仕事、やっておいたんだろうな?」
「え?」
「なんだ? こんなことも出来んのか貴様は! 何時まで大学生のつもりでいるんだ貴様! 良いか? 何かあったら人に頼る前に調べてしっかりと完遂するのが社会人というもんなんだぞ! 分かりませんなんて通じる分けないだろ!」
「そ、そういわれましても……この仕事、今初めて知ったんですけど……」
職場には相変わらず無能な上司こと村中典助が気に食わない新人に無茶ぶりを振りかざしている。
何となく察することができるが、おそらく伝達忘れかはたまたワザとなのか知らないが責任を新人に擦り付けて責任逃れをしようとしているんだろう。
はぁ……俺も昨夜からほぼ徹夜で終わらせた資料作成も似たような案件だった。
昨日の退社時間ギリギリでいきなり俺にドンと明日提出する資料を作れって仕事を渡してきた挙句本人はさっさと帰りやがった。
これで家に帰っただけならまだマシなんだがどこぞの女に会いに行ったっぽい。
会社内の同僚から聞いた話なんだけどさ。昨日の夜にアイツがラブホに女と入って行くのを見たという話しだ。
確か妻子がいて子供も高校生くらいだって聞くけど……とんでもない野郎だ。
密告する為の資料も着実に集まっているんだけどさ。
間に入って新人を逃がすか……まだ俺も口出し出来る立場と言えば怪しんだけどさ。
この職場に二年いる奴は体か心かどっちか壊して退社するか従順な社畜になっているかのどっちかでさ……誰も助けようとしない。
「おい! 海山!」
ここで助け舟を出す前に俺の名前が呼ばれる。
「……はぁ」
俺は小さくため息を村中に気づかれないようにしてから立ち上がって呼び出しに応じる。
俺の名前は海山明彦、社会人経験1年と少しの23歳だ。
「何ですか? 村中課長」
「『何ですか?』じゃない! コイツが我が部署にとって大切な案件を忘れてましたなんて言ってきたんだ! 貴様が責任をもって先方に謝罪して来い!」
いや……お前が忘れた案件を新人の所為にして俺にまで責任を押し付けるとかどうなんだよ。
しかもこの案件……この無能が他の部署から毟り取って来た案件じゃないか。俺の部署ならできるとか自慢していたのを知ってるぞ。
ここで言い返したらそれこそある事ない事を騒ぎ立てて、これだから新人は役に立たないんだ! とか喚くのが容易く想像できる。
まだ俺に振った案件だった事にはなってないけど、もう俺の携わった仕事って事にされる……んだろう。
あー……どうしてこんな会社に入っちゃったんだろ。ほかに入れてくれる会社が無かったからなんだけど……。
就職氷河期なんて終わって就職はそこまで難しくないなんて言われていたのにこの不景気……嫌になるぜ。
「……分かりました」
「時間は有限なんだ! ついでにこの仕事もやれ! 先方に直接会う時間が惜しい! 電話で謝って許させろ!」
いや……誠意を見せなきゃ相手も許しようがないだろ。
「追加の仕事って……こちらはまだ抱えている仕事がまだまだあるんですが……本日提出の資料も含めて」
「俺に歯向かう気か!? 良いから貴様らは俺の言う通りに働けば良いんだ!」
で、お前は一体どんな仕事をしてるんだろうな? 少なくとも会社に来てから椅子に腰かけてエロサイト巡りしかしてないのが分かってるんだけどな。この無能、女女女ってどこまで女しか頭にないんだお前は!
と、内心盛大に殺意が噴出し続けているけど今は顔面蒼白で憔悴しきっている新人を庇うように後ろに下がらせて周囲に視線を向けて出来そうなやつが居ないかと探る。
どいつもこいつも死んだ魚みたいな顔をしているか青い顔色で死んでいるかのどちらかだ。とてもじゃないが仕事を引き受けられそうな奴が居ない。いても村中の手下で絶対に引き受けない。
ちなみに……この会社の殆どの部署の社員がこんな状況だ。
ブラック企業め……。
「……分かりました」
「返事は「はい!」 だろう!」
うるせえ! くそ中年無能野郎!
そんな……ウンザリしつつある日の事だった。
この職場にいる連中の運命が劇的に変わったのは。
パキ……
そんな、ガラスにヒビが入るような音が室内に響いた。
なんだ? と振り返ると……職場の真ん中にある場所に亀裂としか表現できない何かが出来ていて、その亀裂が目に見える速度で広がって行く瞬間だった。
「な、なんだ!? 何が起こっている! おい! 誰か説明しろ!」
村中が喚いているけど俺だってわかる訳ないだろ!
「急いで避難――」
そう言い切る前にガシャン! と甲高い音が響き渡り亀裂が砕け、漆黒の闇が周囲に広がって暴風が巻き起こり室内にある物をすごい勢いで吸い込んだ。
「「「うわぁあああああああああああ!」」」
こうして、俺を含めた職場に居た人々は……職場に発生した謎の亀裂に吸い込まれてしまったのだった。
「う、うう……」
「こ、ここは……」
地面に倒れていた俺は頭を上げてぼんやりする視界を振るって正して辺りを確認する。
えーっと……何処かの草原?
救急隊とかが駆けつけて運び出されて公園で救急車を待つって……訳ではなさそうだ。
「おい! 一体どうなっているんだ!」
村中がここでギャーギャーと喚いて周囲に聞いている。
俺も知りたいわい!
「分かりません」
「一体何が……」
と、村中の部下である連中は各々状況が分からないと答える。
一体何がどうなっているんだ? 職場に謎の亀裂が走って割れたあと思ったら吸い込まれたところまでは覚えている。
で……よくわからない草原みたいなところにいる。
訳が分からない。
「アレ? なんだこれ? 槍?」
「剣?」
職場の仲間が見覚えの無い槍や剣を手に持っていることに気づいた。
ここで俺も気づいた。
見覚えの無い腕輪が俺の腕に嵌っていることに。
「なんだこれ!?」
「わからん!」
「どうなっているんだ! 良いから説明しろ! なんだその危険物は!」
「わかりませんよ!」
ポイっと刃物を持っていた職場仲間が手に持っていた武器を手放して距離を取る。
すると見えない糸で結ばれているかのように武器が地面を伝って所持していた人に合わせるように引きずられる。
「な、なんだ?」
「良いから事態を説明するんだ! 一体どうなっている! 海山!」
「俺だって分かりませんよ!」
「なんだと! こんなことも把握出来んとは貴様はどんだけ愚かなんだ!」
それはお前だろ! ふざけんな! そもそもみんな状況が分かってないのに何で俺に聞いてくるんだよ。
と、言い返したいけど今は村中の事など気にしている状況ではない。
「ここはどこだ! スマホで調べろ!」
「ダメです……アンテナが立ちません。圏外です」
「そんな訳ないだろ! しっかり確認しろ!」
村中が職場の全員に怒鳴り散らしながら確認させる。
もちろん村中もスマホは持っているけど奴が出来るのは電話と簡単なメールくらいだ。
「電波の届かない所があるとは! 電話会社を訴えてやる!」
この状況でそんな事を言う神経は凄いと素直に感心する。
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