3話
アスティアラが結婚してから四年の月日が経った。その間に色々あったが、平和である。さっき端折った「色々」の部分に先代王が崩御し、マクシミリアンが若き王として即位したことも含まれる。
そしてアスティアラは側室の中の最高位、第二王妃となっていた。しかし相変わらず正妃の王后の座は空席のままだ。
(そろそろお飾り妃が言い訳になるのは限界が近づいている。)
アスティアラはため息を吐きながら、紅茶の入ったカップをソーサーに戻した。
「どうされましたか?妃殿下。何か悩み事でも。」
近くに座っていたレディズ・コンパニオンのシャノンがすかさず聞いて来た。
「いえ、そういう訳ではないの。」
アスティアラがお飾り妃だと誰も知らない。マクシミリアンはたとえアスティアラがただのお飾りの妃だとしても、王宮で肩身の狭い思いをしない様に定期的に寝室に来てくれる。勿論、ただ睡眠を取るだけに終わっているが。
王后宮以外の宮を第二王妃宮としてアスティアラにくれたり、ドレスやアクセサリーもプレゼントしてもらった。何処からどう見ても仲の良い夫婦。ただ子供がいない事だけが欠点。
(そろそろ本格的に世継ぎの問題が出てくる。早く正妃を迎える様に陛下に申し上げるべき?)
しかしそれが行動に移せないのは、もし正妃が迎えられればお飾り妃としてのアスティアラの役目が終わってしまう。マクシミリアンの事だから、死ぬまでアスティアラの面倒を見てくれるだろう。もう用無しだと王宮から追放されることはない…はず。
(でも人なんてすぐに変わってしまうわ。)
「君とは政略結婚だけど、良い夫婦になれる様に仲良くして行こう。」そう言って朗らかに笑ったヒューゴーの顔がアスティアラの脳内で再生された。
あんなに優しかったヒューゴーが真実の愛とやらでアスティアラを結婚当日に置き手紙だけを置いて捨てるという酷い仕打ちをしたのだ。
マクシミリアンがヒューゴーの様になるなんて思うなど失礼過ぎるのだが、アスティアラは少し人間不信気味になってしまっていた。
「体調が悪いのでしたら、医師を呼んできます。」
「本当に大丈夫だから。」
シャノンは本当にアスティアラの些細な変化に気づく。それが今は厄介だった。もし気が緩んだらお飾り妃の事をシャノンにこぼしてしまうかもしれなかった。
怖かった。マクシミリアンがもうアスティアラに用がなくなり、今までの様に接してくれなくなる事が。言うなれば今のアスティアラの状態は寵愛の擬似体験だ。
その寵愛の疑似体験にアスティアラは心地良さの様なものを感じていた。
「王妃殿下、陛下がお越しです。」
麗かな午後の日差しを窓越しに浴びながらのお茶はマクシミリアンの来訪により一旦中断となった。
「陛下が?来るなんて一言もおっしゃっていなかったのに。」
第二王妃宮の応接室にはソファに深く腰掛けるマクシミリアンが待っていた。
「急に訪ねてすまないね。」
マクシミリアンの国王宮から第二王妃宮はそれなりに距離がある。王后宮は近いのだが。3日に一度通う頻度ならそれはもう寵愛を受けていると言える。
マクシミリアンが最後にアスティアラに会いにきたのは4日前。最近忙しいと聞いているからこの頻度は寵愛を受けているという範囲内だろう。
わざわざお飾り妃を寵愛しているフリなんてしなくても当たり障りなく、仲の良い風に装えばいいのに…とアスティアラはいつも思う。しかしやはり嬉しくてそんなことは言えなかった。
「いえ。来ていただけて嬉しいですわ。」
「それで、何の御用ですか?」と口から出かけたがアスティアラは寸前でその言葉を呑み込んだ。わざわざ用が無いと会いに来ないように聞こえるからだ。
少しでも不仲だと思われたらアスティアラが不利になるだけだ。
「実は遠い国から使節団が来てね。その献上品の中に珍しい宝石の首飾りがあったんだよ。アスティアラに似合うと思って持ってきたんだ。」
「まぁ…」「きゃぁ!」と言った声が侍女達から聞こえてきた。
「ありがとうございます、陛下。」
マクシミリアンの側近が首飾りの入った箱を開けてアスティアラに首飾りを見せた。
「つけてあげよう。」
「やめて、本当に愛されていると勘違いしてしまうじゃない。」思わず口から出そうになる言葉をアスティアラはまた無理矢理呑み込む。完璧令嬢だと言われてきたアスティアラだが演技が天才的に上手い訳ではなかった。こうして気をつけないとボロを出してしまいそうになる。
「似合うでしょうか。」
「勿論、アスティアラに似合わないものなんてないよ。」
常に周りに誰かがいる王族はずっと演技をしていなければならない。ずっと仲のいい夫婦をアスティアラは演じなくてはならない。だから、「これは契約結婚だ勘違いするな」という様な現実を再確認できる状況がない。
自分自身で言い聞かせ無くては勘違いしてしまう。ただのお飾り妃の立場だというのに。だからたった1人だけの妃なのに側室止まりなのだ。
「どうした?気に入らなかった?」
「いえ、凄く気に入りましたわ。ありがとうございます、陛下。」
(今私は嬉しくなさそうな顔をしていたの?侍女達に不審がられていないかしら。)
アスティアラはチラッと侍女達を見るが、どちらかと言えばアスティアラの顔より珍しい宝石の首飾りの方に視線が注がれていた。
(我儘だけど、ずっとこの私にだけ都合の良い甘い現実に溺れていたい。)
お飾り妃としてのアスティアラの役目がちゃんとあり、マクシミリアンに必要とされているその時間がもうすぐ終わりに近づいている事に目を背けたかった。
そしてふとアスティアラの頭の中に浮かんだ単語は「真実の愛」。多分これは真実の愛の疑似体験なのだろう。
終わりが来ることはわかっているが、ずっとこのまま続いて欲しい。いっそ時間が止まって仕舞えばいいのに…アスティアラは自分らしくない考えを頭の中で潰した。
(王家の忠臣であるオウァルト家の娘である私が王家を絶やそうとする様な思考を持ってどうするの。)
「そろそろ正妃をお迎えになっては?」そう提案するだけだが、今日は出来そうになかった。せっかく周りの目を気にしてのマクシミリアンからのプレゼントだが、少しこの嬉しさの余韻に浸ってもいいだろうと提案をまた今度にする事にした。