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その後 1

「…なんで私が雑用係なんかに…。」


ハイデマリーは冷たい水の入ったバケツに雑巾と手を突っ込んだ。冬場の水は冷たい。冷たいというよりは痛い。感覚の無くなっていく指にはぁ〜っと息を吹きかける。


「アイリ様、お元気かしら。」


異世界の乙女、アイリの宮に配属されていた使用人達は殆どが最下級の使用人に落とされ激務に回されている。解雇ではなかっただけ良かったのかもしれないが、「再教育」など屈辱だった。


「王后付きの侍女として出世は確定だった筈なのに。」


中にはマクシミリアンの温情に真っ向から反発し、自ら辞表を突きつけ王宮を後にした者もいると言う。しかしハイデマリーは辞めるわけにはいかなかった。


王宮侍女という花形の職業ではなくなったとしても王宮勤務という肩書は手放せなかった。花嫁修行を途中で放り出して逃げ帰ったなんて醜聞だと両親に折檻される未来が容易に想像できるからだ。


思えばアイリと一緒にいる時は貴族の柵も厳しい両親の事も忘れられ、心が穏やかだったとハイデマリーは思った。

我儘で理不尽な高位貴族に仕えていたハイデマリーは勤務一年目でなけなしのプライドがへし折れた。


自尊心がボロボロになりかけた頃にアイリと出会った。優しく柔らかい満面の笑みに傷が癒えていくような感覚になった。


「アイリって呼んで!」


(アイリ様、貴女は私にまでそんな笑みを向けてくださるのですね。)


暗く荒んだハイデマリーの世界に一筋の光が差したかのような。この人のために頑張れるとハイデマリーは思った。心の底からこの人に仕えたいと思えるような人物だった。


アイリは純粋で繊細でハイデマリー達が幼少期に置いてきてしまった無邪気さを体現していた。かつて自分にも純粋な時期があった。しかし大人になるにつれ、そして貴族社会の闇を見るにつれそんな感情は無くなって行ってしまった。


(私が守り、お仕えしなければ。)


そんな時、出会ってしまった。あの氷のように冷たく人間味のない王妃に。ハイデマリーは知っていた。アスティアラは一部から冷酷令嬢と呼ばれていたことを。友人の死に涙一つ流さず、淡々としていた事も。


(人の心がないんだわ。)


アスティアラの言葉一つ一つに感情が篭っていない。アイリとは大違いだった。

もし、アイリがアスティアラに出会い壊されて仕舞えば?あの純粋無垢な優しい人は簡単に壊れてしまうだろう。


(絶対にアイリ様をお守りする。)


いずれアイリが王后の座に座るのだからアスティアラが王宮に君臨できるのもあと少しだ。


「アイリ様は純粋で優いお方なの。冷酷な王妃殿下に近づけては繊細だから傷付かれてしまうわ。自分の主人に立場を弁えるよう伝えなさい。」


しかし結果はアスティアラが王后となり、アイリは神殿に自ら引き取られて行った。ハイデマリーはその時の行動を反省している。

いくらアイリの為とはいえアスティアラが王后になってしまった今、ハイデマリーの行動に正当性など無くなってしまったからだ。


それに、ハイデマリー達の処遇は解雇が当然だろうに厳しい環境に送られ再教育というのはアスティアラの提案だと噂で聞いた。


勝手にアスティアラを冷酷だと決めつけ、勝手に敵視して無礼な態度を取る。愚かな行動だったとアイリから離れ冷静になったハイデマリーは思う。


それにアスティアラ提案の再教育にハイデマリーは助けられている。解雇されたら実家に戻るしかなくなるからだ。


『恥さらしが!』


父の怒号とともに空いた酒瓶が飛んできただろう。


「でも王宮には居られないわ。」


本当に反省しているのならアスティアラの優しさにつけ込んで王宮勤務の肩書にしがみつくのは間違っている。自分の侍女をいじめ、アイリをいじめたかもしれないと容疑をかけられた元凶の女が王宮で働いたままだと気が休まらないだろう。


薄暗い廊下に窓から光が差し込みハイデマリーを照らした。まるでアイリと出会った時の心情が今現実に起こっているかのようだった。



******



ハイデマリーは王宮を辞めた。そして神殿の扉を叩く。


「信仰に生きたいのです。」


異世界の乙女であるアイリに下っ端修道女のハイデマリーが会えるわけもない。しかし少しでも可能性があるならハイデマリーはそちらを選ぶ。


アスティアラにしてしまったことをここで償いながら、もしかしたらアイリにもう一度会えるかもしれないと信じて。

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