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あなたは聖人君主



「あ、あの、カイ様、ここなのですが」

 案内されたのは、三階の大浴場。


「あっ、カイ様! わざわざ来ていただいてすみません」

 出迎えてくれたのはアンリと古ゴート族の面々。アンリはすまなさそうに声のトーンを落として、怒られるのを恐れる子供のように、そのヤギの耳を垂らしていた。


 当然のように、服を着て。


「……ベーオウ」

「へい」

「話が違うぞ」

 見渡しても、古ゴート族の女子は皆服を着ているじゃないか。どこだ? 裸の楽園とやらは?


「そりゃあカイさんを呼んだんですから、服着てないわけ無いじゃないですか」

 ティキュラの呆れた声が全てを説明してくれていた。うん、まあ……分かってはいたんだが。


「ひょっとしたら、アンリの嬢ちゃんあたりは旦那に見せるために布一枚で待ってるっ! ……くらいは期待してたんですが」

 そこまで考えていたのかベーオウ。というかその口ぶりだとほとんど期待薄だったんじゃないか。


「えっ! えっと、その、ぬ、脱いでいた……ほう、が、良かったですか?」

「おおっ!? これならあと一押しであぶぼっ!?」

「気にするなアンリ」

 ベーオウにちょっときつめに突っ込みを入れておく。全く、女はそうやって脱がせるものじゃない。なんていうかこう、詫びさびみたいな……ロマンチックなムードとかだな、そういう中で……。


「あ、あの、カイ様?」

「水が止まらなくなった、というのはどこだ?」

 俺はアンリに近づいて、その頭を優しくなでてやる。アンリも初めはびくっとして怯えたものの、俺が撫でるために触れたのだと分かるとほっと表情を綻ばせた。


 ううむ。この距離感も少しずつ詰めていきたいものだな。


 脱ぐだなんだという冗談みたいな会話の中で、アンリの手は……震えていた。


 俺は現状、彼女に命令できる立場にある。

 それこそ俺が本気で『脱げ』と命じれば、彼女は色々なモノを秤にかけたうえで、それを実行するだろう。俺に嫌われたくないという一心で。

 積極的に俺に近づいたのも、全ては一族の未来のため。そのために自分の身すら捧げる覚悟があるのかもしれない。怯えた笑顔の訳は、恐らくはそんなところだ。


 主人と部下。文字通り、俺達はそれだけの関係だ。

 だが一度部下とした以上、少なくとも俺の一挙手一投足に怯え続けていて欲しくはないし、俺は、お前やお前たちを守りたいと思うくらいには、愛しさを感じている。


 だから俺のことを……そう、せめてお前たちの主人を誇れるくらいには……。


「あふっ、んんっ! んっ! あんっ!」

「……え?」

 などということを考えていたのだが……。


「ああっ、か、カイ様っ、もっと、もっとぉっ……」


 ……ええと、俺の思い違いだったか?


 アンリはとろんと表情をとろけさせ、すりすりと俺の手に自分の頭をこすりつけるように催促してくる。

 もっと撫でろと。


「あっ、ああっ! んふううっぅ!」

 凛々しい少女の頬はバラ色に染められ、きりりとした目つきがまるで酔っ払ったかのようにたるみ、潤んでいる。元々かなりの美少女だと思っていたが、こうしてみると、本当に可愛らしい。

 というか、何でそんな急にアダルトな空気になった?


「カーイーさん?」

 きゅっと俺のお腹に巻き付く尻尾。

「水漏れの修理しに来たんじゃありませんでしたっけ?」

 振り向くと、ニコニコと笑みを浮かべたラミア少女が。ああ、うん、中々のプレッシャーだ。

 ……まあ、うん、当初の目的はしっかりと果そう。


「あんっ」

 俺は名残惜しそうに見つめるアンリから手を放して、その場所へと向かう。


「これは……ううむ」

 木造りの大浴場。

 俺のいた国の文化に合わせて作られた、優しい木目が特徴の自慢の大風呂だ。


 その洗い場の一角。金属パイプのつなぎ目から噴水のように派手に水が噴き出ていた。


「そ、そのっ、すみません。私達、何もしていないつもりだったのですが」

 アンリは再びおずおずとした態度でそう告げた。

「突然、そこから水が噴き出して」

「いや、お前たちのせいではない。自然と壊れたのだろう」

 実際の所、パイプが破裂した原因など分からない。経年劣化というやつか、それとも金属疲労や外部から何らかの圧力とか、何か特殊な原因があるのか。

 漠然とそういう知識はあるが、かといって見てもそれが分かるわけじゃない。


「こりゃあ派手に……何かで塞ぐにしても、そこそこ頑丈な素材がいりやすね」

 俺の突っ込みから復帰したベーオウも話に加わる。

「えっと、じゃあ土を焼き固めて塞ぐとかはどうですか?」

 ティキュラの発案に、周りの古ゴート族もうんうんと頷く気配。ティキュラの持っていたコップのような素材を使うのか。


 あれなら水を通すのには適しているかもしれないが、金属パイプとつなぎ合わせるのは少しミスマッチだな。


「いや、溶接しよう。ベーオウ」

 この金属パイプに合う素材、かどうかは分からんが。

「地下牢に行って、アレを取ってきてくれ」



「持ってきやしたよ、旦那」

 ベーオウはすぐにそれを持って戻ってきた。

「あ、それ、私を繋いでいたやつですか?」

 ティキュラは見覚えのあるそれを、そう、俺とティキュラを繋いでいたあの鎖を指してそう言った。

 ティキュラに関しては肝が据わっているというか、地下牢で繋がれていた思い出に触れても特に動揺したりはしないようだ。地下牢で初めて会った時、裸に剥かれていたというのに。


 薄暗い地下牢に繋がれた幼い少女。

 褐色の肌に白い髪、そこに浮かぶ湖面のような瞳を見た時の事は、今でも忘れない。


 その未成熟で滑らかな肌に指を這わせ、首筋に思い切り噛みつきたい……と思ったのは、流石に内緒だが。


「これで破れたところを塞ぐ」

「あ、じゃあ火も起こさねえとですね。ちょっと外行って」

「いや、いい」

 俺はベーオウを手で遮って止める。というか焚き火程度の火力じゃこの鎖を溶かせない。


 ふとベーオウ達のこん棒に巻き付けられた金属の事が頭をよぎったが……いや、それに関して語るのはまた別の機会にしよう。


「素手で十分だ」

「へ?」

 水を噴き出すパイプのバルブを閉めて水を止めてから、俺は穴の大きさを確認する。これなら大体、鎖の輪三つ分あれば足りるな。


「え、カイさん、その鎖……えっ!?」

「う、嘘っ……」


 俺は鎖を、素手で()()()


 まずは一回輪を折りたたんで、そこからまた折りたたむ。三つの輪をそこで合わせてぎゅっとボール状にして握り固める。


 そうすると金属は勝手に熱を発し、自らの熱でどろりと溶け始める。そこを粘土細工のようにこね回して形を整えていくのだ。


「ま、魔法で溶かしてる……わけじゃ、ねえんですかい?」

「ああ」


 ただの馬鹿力だ。

 太陽のような恒星で、巨大な重力によって物質を押し固めて原子を崩壊させ、別の原子に作り替える作用がある。

 これを核融合というが、そこまでいかなくても空気の圧縮や原子間の熱の移動で……要するにものすごく力を籠めて押しつぶせば、物質は勝手に熱を持つのだ。


 鉄の融点などたかだか千度程度。この鎖は合金だがそれでも数千度程度で溶けるのは変わりない。


 ちょうどいい塩梅までこねて、それを破裂したパイプに塗り付けていく。まずはなじませるように、だんだんと量を増やして膜にし、薄い板にし、壁にする。これで冷やせば、しっかりと穴は塞がれるわけだ。


「これでよし、だ」

「はあぁー」

「す、凄い……」

「お、お見事です、カイ様」


 周りからは称賛の声。ふふ、ちょっと気分がいいな。日曜大工で家のトラブルを華麗に解決するお父さんみたいだろ? 水漏れなんかの滅多に起きない事件に周りが困惑する中迅速に対処して『ああ、やっぱり頼りになるわアナタ』と見直される感じ……。


「いや、そこじゃねえんですが」

「え?」

 今度はベーオウの方から冷静に突っ込みを入れられるのだった。


――


 夜。

 星空を見上げながら、私は今日の事を思い返していた。


「怒られなかったな」

 カイ様はあの、お風呂という巨大な水浴び場で起きた事故で、何一つ私たちを責めなかった。


 実際私たちのせいではない、と、思うのだけれど、仕組みも何も分からないから、知らないうちに何かしていたかもしれないという恐怖はあった。

 それがそのまま、カイ様の怒りを買うかもしれないという恐怖が。


 けれど、そんな些細な不安など、なんでもないかのようにカイ様は事をおさめられた。


「優しい、お方」

 私は自分の頭の上に触れて、あの人の残り火を探るように、撫でた。

「どうして、私だけ気持ち良くしてくれるのかしら」

 私たちは撫でられるのが大好きだ。それは、女として生まれたからにはみんなそうなのだろうと思っていたが、特に古ゴート族がその傾向が強いと知ったのはつい最近だった。


 だからあの人は、私を撫でるという意味をたぶん分かっていない。女として体の芯から火を入れられているのを、あの人は気づかない。


 けど、それを抜きにしても。


 何故あの人は私を大切にしてくれるのだろう。

 何故あの人は押しかけるような形でやってきた私達から、何も取らないのだろうか。


 何故あの人は……何故。


「アンリ?」

「えっ」

 呼ばれて振り返れば、まさかと思う人が、そこにいて。


「か、カイ様」

「眠れなくてな。散歩だ」

 その人は私の疑問に先んじて答えて、私の隣に立って空を見上げた。


 真っ暗で、吸い込まれてしまいそうな煌めく星々が浮かぶ夜空を。


「……美しいな」

 カイ様は空を見上げたまま、呟いた。

 女として、その言葉にどくんと心臓が跳ねたのは、内緒だ。


「の、乗ってくれませんか?」

「え?」

「い、いえっ! 散歩に来たのなら、その、お乗りください。私がお運びします」

 半分はその心をごまかすように。半分は、カイ様に、気に入られるため。


「……ああ」

 カイ様は腰を下ろした私に、ゆっくりと跨る。


 カイ様が私に跨るのが好きでないのは、なんとなく察していた。それでも私が感謝の気持ちを伝えようとしているのを知って、それに応じてくれていることも。


 姑息な計算をしている自分は、少しだけ、嫌いだ。


「……」

 コッコッと軽い音を立てて私は歩く。

 背中に感じるこの人の熱が、じんわりと私を温めていく。


「カイ様は……」

「ん?」

「別の世界から、来たんですよね」

 話題を探しながら、私は、荒野をゆく。


「この世界より、いい所でしたか?」

 最初の日に告げられた。カイ様の城の、あまりに予想もつかない数々の仕組みに私たちが驚いている時に。


 自分は別の世界からやってきたのだという話を。


「そうだな……」

 初めは信じられなかったが、あまりにこの世界の常識とかけ離れた城の作りに、信じざるを得なかったのだ。


 けれど私は……。


異世界(こっち)の方が、星は綺麗だ」

「ふふ、そうですか」

 カイ様の答えに、私はとても満足していた。


 故郷を思わない者はいない。

 私だって、あんな状況になった村を捨てるのには、相当な覚悟が必要だった。ふいにあの村まで、この四本の足で駆けていきたい衝動も、まだ心のどこかには残っている。


 けれどこの人は、帰りたいという言葉を口にすることはないだろう。私はそう確信していた。少なくとも、私たちの前では。


 この人は、私達から何も取らない。

 この人は、私たちを大切にしてくれる。

 この人は、ああそうだ。この人は……。


「カイ様は、やっぱり優しいですね」

「ん?」

「いえ」

 ふいに口に出てしまった言葉を、私はなかったことにした。


 この人は別の世界からやってきた吸血鬼。


 でも私は、そんな肩書より確かなものがあると確信していた。あるいはこれは、天が、神が遣わせてくださった贈り物なのかもしれない、と。


 このお方は、誰より誠実で。

 このお方は、誰より愛に溢れ。

 このお方は、誰よりも優しい。


 聖人君主のようなお方……。


「この世界のこと、気に入っていただけて嬉しいです」

 このお方について行けば大丈夫だ。

 きっとこのお方は、私たちを守ってくださる。

 私達一族を、養ってくださる。


 だから、私は私の全てを捧げるのだ。


「アンリは……」

 カイ様は私の背で、何か言いかけ、けれどその先を口にせずに押し黙ってしまった。

 何を言いかけたのだろうかと気になる中で、自分の心の中が、少し冷えてきているのを自覚していた。


 本当は、もっと大切なものを、この人は教えてくれるのかもしれない。

 もっと大事な何かを、私にくれるかもしれない。


 そんな、女としての本能がそう訴えかけるが、私はそれを無視した。


 一族のために、生き延びるためには、今はきっとそれが邪魔だから。


「そろそろ戻りましょうか」

 そうして私は、一度来た道をまた戻っていくのだった。

あと一つ投稿します。


ちょっと時間空けるので、のんびりお待ちください。

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