君と私のスターチス
「好きですっ! 付き合ってくださいっ!!」
そこそこの容姿で、そこそこの学歴で、そこそこの会社に勤めていた私がそんなことを言われたのは、今から三年半前。満開だった桜の木が少しずつ花を散らす季節だった。
花粉症なんです、と言って鼻をぐずぐずさせて苦笑いを浮かべていた君が、耳まで真っ赤にしていつになく真剣な瞳を見せて言うものだから、私まで顔が赤くなってしまった。
いつもなら近くのファミレスなのに、その日はビルの最上階にある高級そうなレストランだったから、私もついつい期待してしまっていたけれど、実際にその状況になってみると、思っていたよりも恥ずかしくて。
しかも、周りのお客さん達まで私達のことを見ていたものだから、なんだか恥ずかしさが一周回って笑いに変わってしまった。
突然くすくすと笑いだした私に、君はぽかんとしていたね。
「結婚しよう。必ず幸せにする」
真っ暗な夜、月の光と星の輝きをその水面に映し出した海。
波の音だけが静かに響く砂浜で、空を眺めながらそう言われたのは一年前。
少しだけ、夜が肌寒くなってきた頃だった。
私達の始まりの言葉に比べたら、大分落ち着いた雰囲気で言っていたけれど、月明かりで微かに見えた君の顔は、やっぱり真っ赤になっていた。
それでも私は、カッコつけている君がなんだか愛おしくて。そしてきっと私も真っ赤になっているだろうから、目を空に向けたままにしておいた。
海辺を駆け抜ける風は冷たかったけれど、触れる君の体温が心地よくて、朝日が昇るまで二人でそこにいたね。
そのまま私の家に行ったら、待ち構えていたお父さんに怒鳴られて、そんなお父さんをお母さんが止めて、弟と妹におめでとう、って言われたのはこれからもずっと忘れられないと思う。
「ごめん。やっぱり君とは結婚できない」
そんなことを言われたのは、海に行った日からひと月もたたない頃。幸せでいっぱいだった私は、一気に絶望の底へと叩き落とされた。
人目もはばからずに泣き叫ぶ私と、ただ俯いて何も言わない君。
私の頭の中はなんで、どうして、っていう言葉ばかりで、君の気持ちなんて考えることすら出来なかった。
地面に座り込んだ私を置いて君は行ってしまって、夜になっても帰ってこない私を探しにきた弟が、その時だけは君の代わりに私のそばにいてくれた。けれど、どうしても君じゃない違う存在が隣にいることが信じられなくて、私はそこから動けなかった。
その時に見上げた空は、雲に覆われて月も星も見えなかったよ。
「見つかっちゃった」
ドアの前で立ち尽くす私にそう声をかけたのは、最後に見た姿とかけ離れた姿の君。
それはすっかり寒くなった真冬の季節だった。
今まで一緒にいたどの場所よりも、無機質で冷たいその場所は、空から降り続ける雪と同じ色をしていた。
すぐに真っ赤になってた君の顔は、すっかり白くなってしまって、おどけたように言うくせして、その声は少し震えているものだから、私は手に持っていた荷物も、用意していた言葉も全部投げ捨てて、君を、小さくなってしまった君を抱きしめるしかなかった。
私の都合なんて知らず、勝手に流れ出てくる涙が、どんどん君の服に滲んでいくけれど、君は気にもせずに、ただ黙って私を抱きしめ返してくれたね。
服越しに感じた君の温もりは、あの時と変わらない、私がずっと追い求めていた温もりだった。
「大好き」
君が最後にくれたその言葉は、今までのどんな言葉よりも小さく儚い音で、今までのどんな言葉よりも大きく強い声だった。
君が、ずっと笑っていてなんて無茶振りを言ってきたから、私は必死にその願い事を叶えようと、最後まで笑顔でいようと決めたけれど、やっぱり最後の最後で笑顔は崩れてしまった。
だけどきっと、君には気づかれなかったから、そのくらいは許してくれるよね。
すぐに赤くなる君の顔も、海辺で感じた温もりも、何もかも、もう見ることも感じることもできないけれど。
君という存在は、たしかに私の中にいて、これからもずっとい続ける。
だから、もう、君と会うのはおしまい。
白い花の中に埋もれる君と黒い服に包まれた私と。
その間にある壁は途方も無いぐらい高く厚いものになってしまったから。
いつか、その壁を越えた時に、また一緒に手を繋ごうね。
ありがとう。さようなら。
「私という存在は、君の中にいれたかな」