第6話
小さい頃、私はタロが大好きだった。タロが初恋だった。タロのお嫁さんになりたくて、「タロだいすき!ともか、おおきくなったらタロのおよめさんになる!」が口癖だった。でもタロはそう言われると必ず少し困った様子で「馬鹿を言うでない。わしの嫁御になるには、両親とも、友達とも永遠に別れなくてはならん。智花には無理じゃ。」と言うのだ。私はその度に泣いてしまって、タロを大いに困らせた。それでも何度も何度も「タロがすき!」「およめさんになりたい!」と言い続けた。
親戚のお姉さんが使い終わったレンタルウェディングドレスのカタログをタロに見せて「ともか、これがきたい!」と指さした。タロは「最近の婚礼衣装はハイカラじゃな。」と感心していた。
タロは決して「嫁にしてやる」とは言わなかったが、結婚式ごっこは何度もやった。何度も何度も永遠の愛を誓わせた。誓いのキスをねだるとお面の上からキスしてくれた。お面越しのキスは、唇の柔らかさなど感じられずに、私は少し不満だった。
何十回、何百回「タロが好き」と言い続けただろうか。ついにタロが折れた。
あれは青天の中を雨粒が光るのを見た日。
「狐の嫁入りじゃな。」
タロが呟いた。
「きつねのよめいり?」
「お天気雨のことをそう言うのじゃ。」
「きつねさんがおよめにいくの?」
「そうじゃ。」
「ともかがタロにおよめにいくひもあめがふるかな?」
タロはいつも狐のお面をかぶっているから。
「……わしは、智花は両親や友人に祝福されて人間の男の嫁に行くのが良いと思う。その方がきっと智花は幸せになれる。」
「……なんでともかの『しあわせ』をタロがきめるの?ともかの『しあわせ』は『ともかが』きめる。ともかはタロのおよめさんじゃないとしあわせになれない。」
他の誰でもなくて、タロが良いのだ。タロのお嫁さんになりたいのだ。どうしてわかってくれないのか!と言う憤りさえ感じる。
「……それは智花の本当の気持ちか?」
「うん。タロがすきなの。おとうさんとおかあさんにバイバイしてもタロのおよめさんになりたいの。」
「なら16になるまで智花がそのことを覚えていたら嫁にもろうてやる。わしも智花が好きじゃ。」
タロは狐の面を、そっとずらして私に口付けた。
私は幸せで、満足した。
そしてそれを忘れた。
なんで忘れてしまったのだろう…あんなにも愛おしかった日々を。身を焼くほどに焦がれていたタロを…
タロ…タロ…
思い出したら、タロが愛おしくてたまらなくなってしまった。
「泉?」
突然様子がおかしくなった私に佐々木君は話しかけた。「佐々木君ってちょっといいかも。アタックしてみよう…」なんて気持ちはきれいさっぱり消え失せて、私の心の中はタロへの思慕でいっぱいになってしまった。
「ごめん、佐々木君…今日はもう解散でもいいかな?」
「ン?別に構わねえよ。気を付けて帰れよ。」
佐々木君とお別れした。天気雨に濡らされるままふらふらと歩んだ。
***
気がつけば見知らぬ御殿の前に居た。
ここはどこだろう。私どうやってここに来たんだろう。狐の嫁入りと一緒に歩いてたはずなのに。
「なんだ?人間がいるぞ。」
「誰ぞ招いたか?」
「そんなわけあるか。」
「狐の呪いと守護のついた人間の娘じゃ。」
わらわらと人が寄ってきた。みんな狐の耳に狐の尻尾を生やしている。
「どうする?」
「殺してしまおうか?」
「馬鹿を言うな、祝いの席じゃ。」
「記憶を弄って、人里に返そう。」
「智花…!」
森野君が…森野狐太郎…タロが駆けよってきた。
「どうしてこんなところにおるのじゃ?」
タロが心配そうに私を覗き込む。
「わかんない。狐の嫁入りの行くほうに歩いていたら…」
「その娘には狐の呪いと守護がかかっているようじゃから、まぎれてしまったのだろうよ。」
凄い美女が私の前に歩み出てきた。
「母上。守護はわしがかけたが、呪いとは?」
「未熟者め。見えぬのか。狐の女の情念が。幼き誓いと恋心を奪う呪いがかかっておる。そなたが守護を掛けたので、もう解けかけじゃが。」
「タロ…タロ…!好きだよ!タロのお嫁さんになりたいよ。お父さんとお母さんにバイバイしてもタロのお嫁さんになりたい。ちゃんと思い出した。16は過ぎてしまったけど、まだ間に合う?」
私はタロに抱き着いた。
「智花…わしは土屋のように男前ではないし、本当は球蹴りもさほど好きではない。」
「そんなのどうでもいい!私はイケメンじゃなくても、スポーツが趣味じゃなくても、優しいタロが大好きなの!危なっかしくタロの後ろをついて回る私を、優しく支えて、撫でてくれたタロが好きなの。悲しいことがあって泣いちゃうと抱き締めて背中を撫でてくれるタロが好きなの。私のまずいクッキー『旨いぞ?』って食べてくれるタロが好きなの。」
タロが私を抱き締め返した。
「かわいい智花。もう帰りたいと言っても帰してやれんが、良いのか?」
「うん…うん…!」
周りがわあああ。と拍手した。
「二重にめでたい!良き日じゃ、良き日じゃ。」
「おお。女化の式が遅れておる。早う会場につかねば…」
私はそのままタロと一緒に狐の嫁入りならぬ、狐の婿入りの会場にお邪魔した。『女化の』と呼ばれた女狐は私を見て「誰ぞ?」と言う顔をしたが、みんなが「森野の嫁になる女子じゃ」と言ってくれた。私はちょっとしたデート服で、正装でもないし、ちょっと浮いていた。結婚お祝いも大したものが出せず、商店街で買ったアクセサリーを提出したが『女化の』は「可愛いのう!」と喜んでいた。『女化の』は私と同い年ぐらいの少女だったので、あのアクセサリーは良く似合うと思う。
急に一人増えてしまったが、みんな迷惑そうな顔などせずに、飲んで食べて、歌って、賑やかに『女化の』を祝福していた。結婚式は神前式らしく、『女化の』は白無垢姿だった。凄い綺麗でした。