第4話
タロ視点!
「そなたも愚かよのう。童の告げる恋など砂糖菓子よりも軽いものを。それを本気にして愛を誓って、毎日楽しみに11年。見事に忘れられおって。」
母上が馬鹿な子を見る目でわしを見る。その瞳には少しの憐憫が籠っていて、母がわしを憐れんでいるのが感じられた。
「仕方あるまい。愛おしいと思ってしまったのじゃ。短い夢を見せてもらったと思っておるよ。」
幸せな、幸せな夢じゃった。甘い心地で11年間過ごさせてもらった。戯れに童の姿で人の世へと降りたが『恋』というものが、こんなにも甘美なものとは知らんかった。知らん方が幸せじゃったのかもしれぬが、知ってしまったからには逃れられぬ。
「そなたはお人好しじゃ。そんなバカ娘になど祟りの一つも乗せてやればよいものを、わざわざ守護まで掛けおって。」
わしらは稲荷明神の使い。稲荷明神の御使いとして、祟りも宿願成就も思いのまま。
「それも仕方あるまい。あの子がわしを忘れても、わしはまだあの子を好いておるのじゃから。わし以外の男とあの子が番になるのは、身を切られるように辛いが、あの子が幸せになれぬのはもっと辛い。あの子には良い恋をして、よい男と番になり、健やかに生き、子などを産んで、幸せになってもらいたいのじゃ。忘れ去られたわしにはそれを祈ることしかできん。」
「一途なところは狐の悪い所じゃな。」
「母上も人のことは言えぬくせにのう。」
母様は美女に化けるのが上手な狐だった。ある村で、干ばつが起き、生贄を捧げて雨を得ようとした。その生贄にと目を付けられたのがこの母じゃ。村一番の男前の青年が母に近付き恋を囁いた。母はあっという間に青年に夢中になったが、母は青年が自分に接触してきた本当の理由を知ってしまう。母は青年と契り、潔く生贄になることを決心した。母は無事生贄となり、村には雨が降った。母が祟らぬようにと母は社で祀られた。そしてかの青年との子。わしを産み落としたのじゃ。己の命より恋を選んで贄となった母には「一途なところは…」などとは言えぬはずじゃ。
まあ、それも昔々のことなので、わしはこれでも322歳。
「そなたはいつまでその娘を見続けるつもりじゃ?」
「まあ、その命の火が消えるまでは見てしまうだろうよ。」
いつかあの子がしわしわの老婆になったら狐になって会いに行こうか。あの子は動物が好きじゃから、もしかしたら撫でてもらえるやもしれん。きっとあの子は可愛い老婆になるだろう。
「女化の狐は人間の婿を貰うと聞く。本当に人間なぞと上手くやれるのだろうか。」
母は憂いているようであり、羨ましがっているようでもある。稲荷明神の御使いの寿命は特にない。神の御使いゆえに。番を持つと、その番の寿命もなくなる。ただ1000年神に仕えると、現世を去って神代の国で暮らすのじゃ。
1000年仕えている間はお社の向こうの只人の辿り着けぬ場所にある御殿で暮らすのじゃ。小さなあやかしどもが、何くれと世話を焼いてくれる、賑やかな御殿。わしも叶うならあの子と番になってそこで暮らしてみたかったものじゃ。
「のう、息子よ。その罰当たりな娘の事は忘れぬか?隣町に住む狐の娘がそなたを好いているという。そなたも一生番が出来ぬのは寂しかろう。会ってみぬか?」
見合いか。それも悪くはないが。ちくりと胸を刺すのはあの子の幼い笑顔。好いた女子がいる身で見合いなどできようものか。その狐の女子に失礼じゃ。
「身に余る話なので受けられぬと伝えて欲しいの。」
「やれ、まだあの罰当たりな娘が忘れられぬと申すか!本当に祟ってやろうか!」
「やめてくだされ。母上に祟られたりなどしたら、わしごときには祟りは解けぬ。わしは幸せなあの子が見たいのじゃ。ほんの後90年ほどの事と思うて目をつぶってくだされ。」
「妾はそなたが心配なのじゃ。狐の恋は重い。その娘の死した後も、ずっと、ずっと、引きずるのではないかと思うておる。」
そうかもしれんのう。わしは今でもあの子が愛おしくてかなわぬのだ。
もし、もし、あの子が16になってもあの約束を覚えていてくれたらどんなに幸せだったか。きっとまさに天にも昇る心地だったに違いない。わしはあの日からあと何日、と指折り月日を数えていた。たかが11年があれほど長く感じたことはない。再び会ったあの子は随分と乙女らしい体つきになっていた。顔は童の頃と変わらぬ幼い顔をしておったが。わしは16の乙女になったあの子も堪らなく可愛らしいと思ったが、あの子に記憶はなく、あの子の心は既に奪われておった。あの子が他の男を想うて焼いた焼き菓子はみんなわしが喰ろうてしまったがの。料理上手ではなかろうが、一生懸命焼いたのが目に見えるようで、また愛おしいと思ったものよ。
忘れた約束を思い出してもらえぬものか、好いてはくれぬものか、と未練がましくあの子の誕生日まで傍におったが、ついぞ思い出してもらうことも、好いてもらうことも叶わんかった。それでもあの子が幸せになれるなら良いと、土屋なる男にあの子を任せてしまったのが、わしの消せない汚点じゃ。人の心を弄ぶことに愉悦を覚える穢れた人間は祟っておくことにするか。
智花、智花、わしが守ってやるから、幸せな人生を歩めよ。人の悪意に負けてはならぬ。そちが覚えておらずとも、わしが二人分きちんと覚えておく。幼い約束も、口付けも、幸福じゃった日々も。そちが一人の人間の女子として幸福な人生を歩むこと。それが恋敗れたわしの唯一の望みじゃ。