6話「森での生活~午前~」
『先生それは私ですか!?』『先生!? それはもしかして私でしょうか!?』
違う。違う。お前らじゃない。先生はきっとこう言う。
『先生、それは私のことでしょうか?』
すると、先生は言った。
『それは、あなたのことである』
それから、俺はしばらくの間ソフィアと共に暮らしてこの世界に馴染むことにした。と言っても、ソフィアもこの世界に属してはおらず、異端者ではあったが。俺の異世界生活は戦いも町での冒険もなく、薄暗い森で少女と暮らすという何とも微妙なスタートになった。
時刻はぼーんと家中に響く時計の鐘が知らせてくれる。ちなみに針はついていないので、本当に時計と言うより鐘であった。大まかな時刻しか分からない。
「俺も魔法が使えるかな?」
そんなことをある時尋ねてみると、ソフィアは大いに笑った。
「あなたは都の大物魔法使いだった身でしょう。どうして魔法が使えないなんて思うの? でもその調子なら、あなたは記憶が戻ってからも私の味方でいてくれるでしょうね」
ソフィアが俺をどんな風に見ているかは知らないが、俺はソフィアに命を助けられたことを忘れはしない。
朝、外に出て森で茸や薬草を取る。この森は瘴気の森と呼ばれ、滅多に人がこないらしい。来ても、先のように何かを捨てに来たり大概は碌な目的でない。それも、森の入り口付近までしか人は来られない。
「あなたが捨てられたのは森のほんの入り口よ。私はそこまで行くのにもだいぶリスクがあるんだけどね。ほら、こんな格好だと」
と言ってソフィアは自分の黒い魔女服をつまんだ。
「一発でアウトよ。拷問にかけられて惨めな殺され方をするわ。でも、土の魔法を使うには色々と条件があってね。
例えば貴方たちにおけるクロスは魔力を増強するだけで、別に必須アイテムじゃない。けれど、土の魔法は条件にもだいぶ左右されるの。もちろん使えないわけじゃないけれど、この服を着ているか否かでだいぶ魔法の威力が変わるわ。
光の魔法みたいにはお手軽にできるってわけじゃないのよ」
茸や薬草を摘みながら、彼女はなおも続けた。
「あなたを回収するのもだいぶリスクがあったわ。それに見合った成果は得られたけどね」
と言ってソフィアは晴れやかに微笑んだ。
そんな風に微笑みかけられると、俺はどきどきする。
こっちに来てからはそれどころではなかったのだが、ソフィアはよくよく見なくても綺麗で整った顔立ちをした女性である。生きるのに必死ではない時は、ふと意識して顔が真っ赤になった。そうだった、俺は現実世界では既に魔法使いへの道を歩んでいたんだった……!
「どうやって俺を家まで運んだんだ?」
ふと軽く尋ねてみると、ソフィアは笑って言った。
「もちろん、引きずって」
*****
種々の茸や薬草は、食べ物や魔力の供給源など様々な使い方があるらしい。俺にはどれがどんな種類かは全く見分けがつかず、ソフィアに言われた通り摘むだけであった。森で別行動をすると俺などは迷ってどこへも行けなくなるらしい。それを聞いてから、ソフィアとぴったりくっついて行動するようにしたのだが、彼女には大いに笑われた。しかし、数メートル離れただけで瘴気によって姿が僅かにぼやけるのだ。さらに、ソフィアの家を出てからずっと直進していたはずなのに、前方に彼女の家が現れた時は肝を潰した。
曰く
「瘴気は奇跡とは反対方向の魔法の原力よ。常識では計らないことね」
午前中のうちに戻ってくると、ソフィアは部屋中央の大きな釜に材料をぶちこんでかかりっきりになる。暇になった俺は棚から本を取り出して読むのだが、これがさっぱりであった。
こちらに来るとき闇の声が便宜を図ってくれたのか、声が理解できるように不思議と文字は理解できた。文字は理解できるのだが、書いてあることは分からない。
ソフィアに尋ねてみると
「理解できなくて当然よ。これが解読できれば魔法ができるんだもの。そして解読された知識は皆で共有されるはずだった」
釜に目をやったまま口調を強めて言った。釜は、火にかけているわけでもないのにぐつぐつと煮えていた。
「分かる? あなたたちはこの本も、この本の解読法も潰したのよ。本を手に入れるのにも解読にもすごく苦労する。ところが光の魔法ときたらいくつかの秘跡さえ受ければ、後は素質があれば使える! 頭が痛くなる話だわ!」
どうやら釜に目をやるのにいっぱいで、ソフィアは気が立っているようだった。
「ヒセキって何だ?」
ソフィアはイライラした口調のまま、しかし内容は案外丁寧に教えてくれた。
「信徒や聖職者に行われる儀式よ。例えば信徒になるには『水授』と呼ばれる秘跡を受ける必要があってね。これはまあ信徒になる人になら誰にでも行われる秘跡だけども。この『水授』の他に『置き手』と呼ばれる秘跡を受けると、魔力のメカニズムがどういうわけか伝授されて、善人でも悪人でも魔法が使えるようになることがあるらしいから、神様っていうのもろくな奴じゃないわ!」
悲痛な叫びであった。
釜から煮えた液体に、パンを付けて昼食を摂った。パンは町で調達したのもあれば、魔法で作り出したものもあるらしい。生成にはどうやらこの釜が必要不可欠のようで、どちらかというと錬金術のようだ。
「このスープは、魔法の燃料ともなるの。いわゆる魔力ってやつね。これが体に内在することにもなる。ここらでとれる薬草は瘴気に晒されて魔の力を帯びているから、この食事を摂らないと瘴気に体が蝕まれるわよ」
と、ソフィアはスープを中々飲もうとしない俺を脅した。と言っても、スープにはよく分からない蛆虫のようなものの死骸が浮いてるし、液体は紫色だからだ。しかし意を決して口にしてみると味は意外と普通だった。少し塩辛い。