雷の夜の出来事
謁見の間は、これまでにない程凍り付いた様に誰も微動だにせず、静まり返った。
ロベルト以外の大臣たちや護衛の者たちは、国王からの離縁にラキュバスがどうにかなってしまい、遂にホラを吹いてしまった、と嘆かわしげに頭を抱えた。
だが、ロベルトだけは眉間の皺を解かなかった。
ラキュバスという男は狡猾で、陰険、その上用心深い。
そんな男が、この窮地にホラを吹く筈ざない。
ロベルトには、まだ嫌なモヤを胸に抱えて、イザベラの反応を待っていた。
「…はぁ。ラキュバス卿ともあろう方が、この様な事で時間を浪費するとは。私は貴方に心底失望せねばならない様ですね。」
ため息まじりに頭を抱えたイザベラは、ロベルトに目線を向け、このおふざけ者を外へ出す様に。と口を開きかけた時だった。
パンッ
「連れてまいれっ!」
ラキュバスの手を叩く乾いた音と彼のまとわり付く様な声が微かに木霊した。
その声の後、ジャラジャラと鉄の擦れる音が大理石の床の上で踊っている。
屈強な男2人に、両脇を抱えられ、ボロボロの紳士服だった布を身に纏った男が姿を現した。
男は至る所に青アザとミミズ腫れを作り、目も当てられない程に顔を膨れ上がらせている。
酷く拷問された事は、誰が見ても分かることだったと思う。
リタは、初めての光景にヒュッと息を止めて体の震えを押さえ込んでいた。
イザベラはあまりの格好に、顔をほんの少し歪ませ、後方で震えるリタを気にした。
彼女は、リタの傍らに立つシュアに、リタと共に謁見の間を出る様に伝えるか、決めかねていた。
「女王陛下、この者の申し伝える事実には、きっと貴方様もそして王子も信じられない程の恐怖と怒り、そして憎しみを覚える事でしょう。今日のこの真実を2度目に耳にする事は叶いますまい。王子にも、この者の知る真実の記憶を鮮明にお耳に入れて頂く必要があると…このラキュバスは進言しておきましょう。」
ねっとりとして笑みを携えて、ラキュバスはリタに視線を向けた。
リタは脂汗が背中をつたって落ちる中、あまりの緊張で心臓がどうにかなってしまうのではないかと思う程に、鼓動が早くなるのを感じていた。
「リタ、下がりなさい。」
震えるリタを気遣った母の優しくも厳しい声に、彼はふっと意識を引き戻した。
「い、いえ。母上様、父上様と…国王と約束しているのです。母上様をお守りすると。ですから…私もここに!母上様と一緒にっ!」
そう言い切ったリタは、再び背中をピンと正して、いやらしいニタニタ顔をリタに向けるラキュバスに向き直った。
「いやはや、何とも凛々しく頼もしくなられた事か。ですが、王子はお忘れか?」
「な、何を忘れているとっ」
「貴方が王子ではないという真実ですぞ? …クックックッ、その凛々しさ、何処まで持ちますかな?」
「き、貴様⁈」
ラキュバスはリタを挑発する様に言葉を投げた。
まんまとそれに乗ってくれたリタを見てから、ギラリと睨みを効かせる母親に気付き口を閉ざした。
「さぁ、お前の知る全ての真実を今この場で、嘘偽りなく女王陛下にお伝えせよ!」
ボロを纏った男は、大理石の床に放り投げられ、冷たい床の上でうっと小さく唸り声を上げた。
「わ、私はただ雇われただけなのですっ⁈ 知らなかったのです⁈ あの時の赤ん坊が王子になるなッあぎゃっ⁈」
ラキュバスは男の鎖を引っ張り、耳元で声をひそめた。
「真実だけを、と伝えた筈だ。…お前だけの命で済む事ではないと、伝えた筈だ。」
「ひっ、ひぃ……分かっ、分かっております……」
男は生唾を飲み込んで、一息ついてから震えた声で、ポツリポツリとことの全てを語り始めた。
「フードを目深に被った男に雇われました。男は、オルタリアの北東にある深い森の奥に翡翠色に輝く泉があると言うのです。満月から数えて2日後に、その泉の近くで泣き喚く赤子を城の南にある木の扉まで連れてくる様にと。金貨を…袋いっぱいに渡されたのです。赤子は、王位継承者の正統な子孫だが、そのお命を狙われているが故に国政が安定するまで人目を避けて育てる事になったと聞いたのです。ですが、王妃様が産んだ赤子と自分の死んだ赤子を摩り替えたと…その男は言いました。国を護るために、そこへ向かえと。金貨は前金で、成功すれば倍を支払うと。」
男はそこで言葉を切って一呼吸入れた。
真っ青だった顔からさらに血の気が引いて、土気色の血色の悪い肌へ変わった。
「その、小屋へ向かいました。雷だけが激しく鳴り響く気味の悪い夜でした。そこはとても静かで、雷など聞こえぬ、美しい光に包まれた場所でした。泉のほとりには、小屋があり、小屋からは灯りが漏れておりました。小屋の扉は不自然に半開きになった扉からは微かに赤子の鳴く声がするのです。私は扉から中を覗き…私は今この場に立っている事を後悔したのです。…弱々しく泣く子どもを抱き抱えた血塗れの女がおりました。赤子が包まれた布は白から赤へと変わり始めて間もなかったのです。女は死んでそう経っていなかったことでしょう。私はあの男の言う通り、泣いている赤子を持って来た身包みで包み直し小屋を後に致しました。城へ着いたのは夜が明ける寸前でしたが、南側にあった木の扉の前でフードを被った男が立って待っていました。男は眠った赤子を確認して、金貨の入った袋を投げて寄越すと扉のむ、向こうへ赤子と入って行きました。私が知っている、のは、ここまでなのです⁈それ以外の事など私にはっあぎゃっ…ぐぅ…」
男が全てを語り終えると、連れて来たときと同じ屈強な身体つきの男が鎖を引っ張り立ち上がらせた。
喚き散らし、何とか自分は悪くないと証明したい男は苦痛と困惑で歪むイザベラの顔を何度も何度も振り返っていた。