323.一方その頃
漂う薔薇の香りの中に、白く浮かび上がる大理石のティーテーブル。儚げな美人と、優しげな少年、その後ろに立つ顔の見えぬ侍女。
この園の薔薇の香りが匂い立つのは早朝なのだが、今は踏み込んできた騎士や冒険者のうち、頓着しない者たちによって散らされた花から、むせ返るように香っている。
この場に合わないのは、武装した集団だろうか? それとも優雅に茶を楽しむ者たちだろうか?
「久しく顔を合わせませんでしたね、ランスロット。淋しかったわ……」
白い流れるようなドレス、長く後ろに流れる透けたヴェールをつけた女が、ティーカップを静かに置いて、伏し目がちに呼びかける。
「グィネヴィア妃。王はどうしたのですか?」
ランスロットと呼ばれた、青い裏打ちの白いマントを羽織った騎士が聞く。
「伏せってらっしゃるわ」
「まだ小競りあってる奴らはいるが城は制圧、地下の酒蔵まで人が入った。東の塔の干からびた死体が王か?」
赤い髪の騎士、ガラハドが聞き返す。
「アシャの庭の騎士が揃って何を? 王は伏せってらっしゃるのよ」
揺れる瞳で困ったように、グィネヴィアは答える。
薔薇の園を囲むのはアシャの庭の騎士、その周囲をさらに冒険者が囲む。
「王妃様、その子供は誰ですかな?」
黒髪に黒髭、大柄な騎士が問う。
「ガウェインまで……。わたくしと王の子、アーサーに決まっているではありませんか。わたくしとランスロットとの噂が流れたことも知っているわ、でもただの噂……こんなに王の若い頃に似ているのに、何を疑うというのです?」
悲しげな顔でどこか懇願するように言う。
「グィネヴィア……様……?」
「アグラヴェイン、貴方までそちらなの?」
潤んだ瞳で問いかけるグィネヴィア。
儚げな雰囲気を持つ彼女の願いを叶えることは、アグラヴェインにとって騎士の矜持を満たす喜びだった。今は唇を噛んで目をそらすアグラヴェイン。
「グィネヴィア妃、アーサーは王の名です。貴方と王の間に子はいない」
ランスロットがいつもの微笑みを浮かべたまま告げる。
「何を? この子はアーサー……、王の子、王は伏せっている……、王の名、名前は……」
グィネヴィアの言葉が引き伸ばされたかのようにゆっくりになり、口から言葉を紡ぎ出す度、輝くようだった肌がしぼみ、かさかさと灰色に、茶色に、干からびてゆく。
乾き崩れ落ちるグィネヴィアだったモノ。騎士と冒険者の視線が集まる中、風に飛ばされ舞い上がるヴェール。
「うふふ、可哀想に。でも早まったわ、ありがとう」
突然口を開いた侍女の姿がかすみ、輪郭が揺れたかと思えば、見慣れぬ異国の衣装を纏った美女に変わる。
「嗚呼、無粋な者たちは静かにしてらっしゃい? 妾の望みが叶う場面よ。ようやく完成したわ。最後の鍵はその女が、コレが皇帝の子ではないことに思い至って、皇帝と同じモノであると思うこと」
美しい女ではあるが、陽光というものが似合わない。
先ほどまで薔薇の園に降り注いでいた光が翳り、女の周りが暗くなる。それとは裏腹に、赤い唇と白い肌が眼に眩しいようだ。
「美しい……」
「気力が抜ける……っ! 声、いや匂い!?」
「っ」
女から薔薇よりも甘い香りが漂い、冒険者たちが一斉にふらつく。無粋な者たちという言葉は、冒険者を指していたようだ。
「騎士を従える私の人形……、さあ号令を!」
にいっと女の真っ赤な唇の端が歪む。
「騎士よ、我が前に【跪け】」
一言、優しげな少年が口を開く。
その言葉が漏れた途端、一斉に膝をつく騎士たち。そして一部の冒険者。
「げっ! ジジイのスキルと一緒かよ!」
赤毛の騎士が悪態をつく。
他の騎士たちは首を垂れ、ある者はぎりぎりと歯を噛み締め、ある者は顔に汗が噴き出している。騎士と名のつく者たちに対して、発動する強力なスキル。ガラハドは顔を上げて悪態をつけるだけマシであろう。
「だから早く捧げてしまえと言ったのだ」
騎士の集団の中で一人立つランスロットが、忿怒の形相で少年を睨むガラハドに、冷めた視線を投げる。
「ジジイ! 知ってたなら説明しろよ!」
ガラハドがジジイと呼ぶが、ランスロットの容姿は壮年にさえ達していない若々しさだ。
「知っていたのではない。予測していただけだ」
さらりと言って、正面に視線を戻し微笑む。
「スキルに対抗するために剣を捧げるなど、騎士の精神に悖る」
真顔になるランスロット。
「何故、何故……。妾が欲しかった最強の騎士が漏れる? せっかくこのように数多の騎士を集めたというのに……。その体の血を流し、嫌々殺し合う男たちのうち、最後に残った者と抱き合うことを楽しみにしていたというのに」
「騎士が好きか?」
「ええ。――何故問える!? お前に意思は……っ」
話しかけたのは少年、女が言葉の途中で異変に気づいたが遅かった。
「奇遇じゃな。儂も魔法使いや賢者ではのうて、騎士になってみたかった」
少年の姿には不似合いな話し方、言葉も表情も揺れることはないが、手に持つ剣は女を貫いている。
「がががっ! 何故、何故……っ!」
背中から刺し貫かれた女が、それでも剣を抜き血の吹き出る腹を抑え、距離を取る。
「その血は止まらぬぞ、玉藻。さっさと、ぬしの置いて来た扶桑の躰に還るがいい。ただ、たどり着いた時、ぬしの意識が身外身より優位かは知らぬがな」
子供に似つかわしくない、小馬鹿にしたような笑いを浮かべる少年。
「おのれ、おのれ……っ! いつの間にお前は鵺を乗っ取った……っ!」
憎々しげに少年を睨む女の様相が変わり、爪が伸び、口が耳のそばまで裂け、牙を見せる。
「おぬしは儂を利用したつもりじゃったようだが、それに乗ったのは儂に都合が良かったからよ。おぬしの描いた計画の絵図に、儂が少し書き足すだけで願いが叶った。ほれ、早うせねば血が流れ尽くすぞ」
「く……っ」
からかうように楽しげに言う少年に、悔しげに背を向けて飛び立つ玉藻と呼ばれた女。その姿は徐々に、長い尾をいくつも持つ大きな狐に変わる。
「……妖狐!」
「封印の獣かっ!」
「方向、どっち!?」
「扶桑って言った」
ざわめく冒険者たちが、動けぬ体で空に消える狐の姿を目で追う。
「賢者マーリン、ですか?」
「左様。久しぶりじゃな、ランスロット」
笑顔で問いかけるランスロットに、応える少年。
「玉藻を利用し、鵺を乗っ取り、貴方は何をしようとしておられる?」
「若さ――予定が早まったせいで、いささか若すぎるようだが。あの体は延命に次ぐ延命で流石にガタが来ておっての。その点この体は老いることもなく、病にかかることもない」
見てみろと言わんばかりに腕を広げてみせるマーリン。
「賢者マーリンにしては些か凡庸なお答えですね」
「おぬしも儂と同じ時を重ねれば、流石に歳をとる。その時に同じ答えを返せるか、聞いてみたいものじゃ」
くつくつと笑うマーリン。
「おぬしは儂の騎士になる気はないか?」
「私はすでに主を定めました」
春の陽だまりのような笑顔のまま、言い切るランスロット。
「……剣だけではなく、身まで捧げたか。頼みはきくものの、アーサーにさえ従わなかったおぬしがのぅ。だが、その主とやらが居なくなってしまえばよい。儂は皇帝の力をアーサーより十二分に発揮できる、その力とこの若い体でおぬしさえも従えてみせよう!」
笑うマーリンの周囲に宝珠が幾つも現れる。
「この宝珠には儂が従えた、数々の魔物を封じてある、おぬしの主には特別強い魔物を二匹、いや三匹贈ろう! この場にいる騎士たちの主もまた消えよ。弱い者もいらぬ! さあ、行け!」
宝珠から抜け出した光があちこちに飛ぶが、大半がすぐ近くに落ちて魔物たちが姿を現す。
「動ける……っ!」
「騎士はまだみたい!」
「守れ!」
玉藻の影響が消えたのか、冒険者たちが戦闘を開始する。
魔物たちが狙うのは、騎士とパーティーを組んでいる者。冒険者の集団の中で、魔物との戦闘が起こる。それの物音を聞いて、真っ赤な顔を震わせて立ち上がろうとする騎士たちが呻く。
「ホムラ……っ! くそぉっ!」
ガラハドが叫んで立ち上がる。
「ほう、騎士を支配するこのスキルから抜け出すか。そういえば元々そなたは騎士にしては素行が悪かったの」
マーリンが片眉を上げてガラハドを見る。
「うるせぇよ! ジジイ、ホムラがっ!」
「慌てるな。すぐに――」
ランスロットが言い終わる前に、マーリンの周りを漂う宝珠が割れる。
「な、何!? 儂が送り込んだのは、毒の亜竜ヴイーヴル、邪悪な森の精霊アイ、楽園の財宝を守り崩壊させた白きズラトロクだぞ!? 毒の亜竜ヴイーヴルが一瞬で負けた? どうやって――」
マーリンが慌て叫ぶ間に、他の二つの宝珠も弾け飛んだ。
「な、何があった!」
慌てるマーリンが空に向かって、何かを拭うように手を振ると、空に巨大な映像が映し出される。
映像の中には俯瞰で撮られた髪の長い白いローブの男が一人佇む、腕の中には血まみれの何か。映像の中の男が、遠く離れた場所からの視線に気づいたか、振り返って見上げてくる。
大勢の者が、仮面で隠された視線と合ったことを感じた。
「主がこちらをご覧になった。さあ、称号【裁定者】で道が開く。主と共に戦える滅多にない機会、マーリンには精々頑張ってもらわねば」
嬉しそうに告げるランスロット。
【裁定者】→認識した戦闘現場へとぶ能力。
本当にお久しぶりでございます。それなのにホムラ視点でなくて申し訳ない! あと悪役は誰だ状態になって……(ごほごほ)




