309.露天風呂
「く……っ。署名を、しよう」
不本意そうに歯を食いしばりながら言葉を絞り出す冠者。ぷるぷるしてる、ぷるぷるしてる。
「そなたの配下に城を落とされ、今またそなた自身に――かくなる上は潔く」
「何か私が倒した風な受け取り方しているみたいだが、事故だからな?」
私は無実、止めようとした側だ。
「この冠者の名が要らぬと!?」
「ホムラ、もらっとけよ。こいつ、酔うと寝るか絡むかのどっちかだぜ。面倒くせぇ」
起き出した酒呑が口直しの酒を呑んでいる。まだ呑むのか!
「なぜこの者らはよくて私はダメだと!」
顔色白いままなのに酔ってるんですか、この鬼、涙目で迫ってくるのは止めてください。私の袖を掴んでグイグイとせまってくる。
「わかった、わかったから」
諦めて『閻魔帳』を出し、冠者の手形のある頁を開く。
そっと紅梅から差し出される硯と筆。なくても指先で書けるが、ちゃんと筆で書くほうが正式なのだと右近に聞いた、ありがたく使わせてもらう。
「ホムラ殿が鬼から署名を受ける時に立ち会うのは二度目ですが、相変わらず鬼の方が書くことに積極的なのですね……」
何か左近が遠い目をしているが気にしないことにする。
「おっと。さすがに限界」
そう言って押入れに入ってゆくペテロ。
「何故押入れ」
「真面目に移動してるゆとりもないんで、ここで結界張らせてもらう」
押入れは座布団が入っていたらしく、何枚か残っていたものをならべさっさと横になるペテロ。ああ、もうログアウトの警告音が鳴ってるのか。
「おやすみ」
「おやすみ」
閉められる押入れの襖。
残念ながら色が薄い。フォルムも丸く、もっとこう青が……。いや、何でもない。
「さて、私も風呂に入って寝ねば」
「ああ、女官は下がらせてしまったから案内はないけど、そこを出て左に行けばあるよ」
右近が方向を閉じた扇で示す。
宴会場と化した座敷に新しい肴を出し酒樽を据えて、私は風呂へ。
長い渡り廊下は屋根はあるが壁のない透渡殿、だが結界が張ってあるため外の風雨は入ってこない。雰囲気を損なわないためか、床に規則的に置かれた弱くぼんやりとした灯だけが足元を照らす。しんしんと雪の降る夜の庭を眺めながら風呂に向かう。
脱衣所に鍵がないのだが。女官とか入って来たらどうしたら……。まあ、ペテロ方式で鍵代わりに『結界符』を貼っておこう、弱くても「入ってますよ」の印にはなるはずだ。
離れ屋のような建物の中に入ると脱いだ服を入れるための乱箱が置かれた六畳ほどの畳、その先は石畳で壁がない。風呂の上に屋根をかけたというより、壁と床を抜いた建物の中に露天を取り込んだ印象だ。
乱箱に柔らかな毛布を出す。
「黒、脱ぐから一旦移ってくれ」
腹のあたりをつつくと、のっそりと黒が出て来て毛布に移動する。
「風呂入るか?」
「いらん」
誘ったが断られた。
宴会場がある方向には湯の中から天井に届きそうな大岩がいくつか並び、視界を遮っている。他は柱のみで湯はそのまま流れ出し小川となって、庭の雪を溶かして流れている。
敷かれた石はざらつくわけでもないのに濡れていても滑らない。
かけ湯をして湯に入る。少し温め、長風呂推奨なのだろうか。匂いも濁りもない柔らかなお湯、場所によっては水流を感じるので湯量は豊富なようだ。好みの場所を見つけて身を伸ばす。
時々サラサラと風に吹かれて枝から落ちる雪。湿った雪ならボトンっと落ちてビクっとするところなのだが。
雪景色の黒と白の対比は目が慣れてくると、不思議と明るい薄青と黒に見えてくる。濡れた岩の黒や木々が伸ばす枝の黒、その上に積もる雪。湯が外に流れ出す音と、体に感じる水流。
……。
…………。
あれか、外すか。温泉だし。
……。
……ファンタジー世界の標準はどれだろう? いや、周囲の誰と比べるかで大きく左右される気がする。
あれ、これ洗うべきだったか? 浸かったまま外してしまった。タオルの上からかけ湯はしてるし、結構な水流があるからいいことにしよう。
雪景色を眺めつつ、露天の中で炭酸水を飲む。ああ、こういう時は日本酒を旨いと感じられる味覚が欲しくなるな。現実世界では湯に浸かって酒なんて危険でできないし。色々自由を満喫中。
いいなあ。
『庭』に作りたいが、温泉はどうしたらいいだろう。【風水】でいけるかな? 温泉を作る前にクズノハの家を作らねば。『再生の欅』から取れた木材もたまって来たし、芙蓉でも手に入れた。荏油もたっぷりあるし、漆も出たから床を黒く塗って鏡のように磨き、庭には紅葉を植えて秋には床に映る紅葉を、夏には緑を楽しめるようにしたらどうだろう。
「ぬしさま」
「うをう!?」
紅葉のことを考えていたら岩陰から紅葉が現れた!
「……まあ♡」
鬼は夜目が利く。慌てて半分寝そべっていた身を起こす私。
「私が酌をしましょうぞ」
紅葉の紅をさした唇の端が上がる。
雪の上にストンと纏っていた赤い衣を落とすと、淡く輝く白い躰を夜に晒す。あっという間に全裸だ。いや、紅葉が着てた装束は脱ぐのも着るのも大変じゃないのか? 何で?
紅葉の足元の着物に目を落とせば、いつも紅葉真っ盛りみたいな綺麗な赤色が所々黒く変色し、サラサラと崩れている。
とか、そんなこと気にしてる場合じゃなかった! 無防備! 私、今までにない無防備です! 慌ててメニューを開いて解除を戻そうと焦る。
「ホムラ!」
「主!」
「きゃ〜ホムラ、ホムラ!!」
ちょっと待て、ガラハドとカルはともかくカミラはまずいだろうが!
「右近、結界は解けますか?」
「これはキツイね、時間がかかる」
右近もか! イーグルが右近に話しかける声がする。
「何で開かねぇんだよ!」
「ホムラ様の結界は強固、外からゆくのがよろしかろう」
酒呑と紅梅の声までする。
「ああもう! 確かに外の結界のほうが広い分弱いわ」
天音の声まで……っ! というか、もしかしてほぼ全員!? 女性陣は全員!?
「ほほ、いくつか火種も置いて来たゆえ、煩い者共は時間がかかろうよ」
紅葉ががやがやと騒ぐ声が聞こえる建物の入り口に目をやる。
私は混乱しながら画面の操作をするが、全く使ったことがない機能だったため開く場所を間違え、ウィンドウだけが周囲に増えてゆく。この脱着の機能だけは簡単にできないように、思うだけでなく操作の手順が必要なのだ。いつもウィンドウからの操作なんかしないからタダでさえどこに何があるのか迷うというのに! 穿く方、穿く方は簡単にしてくれても良かったんじゃ……っ!
「ふふ……。ぐっ!」
紅葉が一歩を進もうとして、柱と柱の間の見えない壁に阻まれる。
「ここにも結界かぇ? ほんに無粋な」
ここにも?
ああ、服が焦げていたのは露天に近づくのを阻む結界を破ったせいか。それはともかくなんか小さい爆発音が近づいてくる。
「女! 主の入浴を邪魔するとは!」
って、カル速い!
「なっ! あの火炎をもう!?」
「万死に値する!」
驚く紅葉の首をあっという間に落とす。
「ほほ、さすがぬしさまの隣に侍るを許されただけある」
白い躰から血が噴くこともなく立ったまま、勢いよく斬り飛ばされた頭も地に落ちる前にすっと飛び上がり、乱れた黒髪の中からのぞく、つり上がった赤い唇が言葉を紡ぐ。
風呂を覗いたという理由で殺してたら、扶桑への最初の道中で私が右近と天音に殺されてるのが先のような……。カルは鬼が簡単に死なないのをわかっていて剣を振るったのだろうけど。
ようやくパンツの脱着画面を見つけて装着。一安心です。
雪見風呂のつもりだったのに、なんか戦闘観覧風呂になっている現在。一対多だったはずだが、酒呑が戦闘に盛り上がった結果、カオスなことになっている。
「せっかくの風景が台無しだね」
隣で右近が冷酒を口に含みながら呟く。
「明日、私が戻そう。というか、いいのか混浴」
「湯着を着てるよ。それに一度見られているしね」
右近は確かに白衣を身にまとっているが、薄く透けて肌に張り付いている。大変目の毒だ。
風呂は右近が上掛けした強固な結界に守られ、その結界を左近と天音が守っている。何故か紅梅は薄い笑みを笏で隠しその二人と対峙し、その隣でカミラが中に入れろと交渉中。小次郎は結界に向かって拳を放つ。
酒呑はカルと剣を合わせ、ガラハドは冠者と剣を交えている。イーグルは二組の戦闘を眺めて立ち尽くし、褌娘が酒呑をわーわーと応援。そして戦闘中の四人と紅梅が視線をやることもなく、攻撃だけを紅葉に飛ばす。
小次郎が目に見えない結界を殴るたび、結界がたわんで風景が歪む。
「カオスすぎる」
「概ね君のせいだね」
私は風呂に入りに来ただけですよ!
「うわぁ。ちょっと目を離した隙に何がどうしてこうなった」
休憩から戻ったペテロが呆れた顔でこっちを見ていた。
だから私は無実ですよ! こっちを見るな!
結局その後、全員で露天に入った。一部を除いて水に透けない湯着を着て、だが。白装束の団体が露天に入るシュールな光景。おかしいな、入った時は静かだったのに。
それにしても女性がいるのに全裸ってどうなんだ酒呑。
☆ ☆ ☆
「主……」
「……これは厄介な」
ホムラが寝ている間の護衛にと考え、割り当てられた部屋から抜け出し顔を出したカルと紅梅が見たのは、すでに床についているホムラ。
右に人ほどの大きさの白いミスティフ、左に同じく人ほどの黒いミスティフ、ホムラの腹の上あたりに浮かんだ小さな黒いドラゴン。
小さな姿から途轍もない気を発しながらギロリと縦に裂けた瞳孔を二人に向けるバハムート。黒い獣が身じろぎすると、身を起こすことなく薄目を開けてこちらを見る白き獣。
温泉の夜は更けてゆく。
いつも感想ありがとうございます!
塩部縁様によるコミカライズ、『新しいゲーム始めました。@COMIC』が9/2に発売になります。
小説版共々よろしくお願いいたします。
小説版も早く出るといいなあ、と思いつつ。




