304.白峯
前回来た時より短い空の旅を終えて芙蓉宮を目指す。空には暗雲が渦巻いているけれど、その中心には白い月が見えている。
寄ってくる敵は符をばら撒き散らしてゆく。自分で作ったとはいえ、銭投げ状態なのだが他の異邦人が未踏の地の素材は高く売れるので後で回収できるだろう。
相変わらず灰色の尖った石の地に優雅に水に浮かぶ芙蓉宮。門をくぐれば満たされた水には睡蓮が浮かび、建物の正面には相変わらず橘と桜が花をつけている。桜より橘のほうが花が遅かったはずだが、ここでは関係がないようだ。柑橘のいい匂いが辺りに漂っている。
さて、酒呑たちを喚んでもいいが、白峯をどっちに入れるかで争いが起きそうだしここはソロで行ってみよう。私の白い装備を映す黒い床、この床の色を出すのに何度荏油を塗り重ねて幾年を重ねたのか。ここに住まっていたクズノハを満足させる家が果たしてできるのか不安に思いつつ進む。
「おう、おう。鬼でないものが迷い込んだぞ」
部屋に入ったところで床から声が聞こえてきた。
「ぎゃあああっ」
無言で床を燃やす私、上がる悲鳴。
【火魔法】レベル40『クリムゾンノート』、カミラの得意な魔法だ。出会った時から使ってたということは、本当に規格外に強い三人を仲間にしてたんだな私。
レベル40でも一回では倒せないこの床。符はINTがダメージに乗らないせいもあるが、火に弱いくせにさすがレベル65前後。レベル差がありすぎて経験値もあんまり入らない、よくある高レベルが低レベルを連れてレベルを上げさせるパワーレベリング防止のための制度なんだろう。入らないなら入らないで物理スキル上げにはいいかもしれない、それに友達とレベルが開きすぎるのも不便だし利点もあるのか。
『クリムゾンノート』の【燃焼】効果で燃えている床板を片っ端から斬ってゆく。この敵の厄介さはどの床が本体なのか見分けにくいことなのだが、【燃焼】のおかげで大変わかりやすい。燃えたら敵です。
物理的な弱点はないようでこちらも一撃とはいかないが、厄介な敵ではない。
《芙蓉宮の荏油×5を手に入れました》
《芙蓉宮の荏油×5を手に入れました》
《芙蓉宮の荏油×5を手に入れました》
《芙蓉宮の荏油×5を手に入れました》
《芙蓉宮の荏油×5を手に入れました》
《『通行証』を手に入れました》
さて、床の正解は左だったか。右に進んでぐるぐるしよう。入ってきた襖を含めて四箇所の出入り口のうち、右の襖を『通行証』で開く。
出現する敵は攻撃の癖は違うものの、灯明をのぞいて火が弱点であることは変わりない。灯明は【水魔法】か【氷魔法】が見た目からしてよく効いたのだが、【風魔法】を使うと一緒に出てきた敵に延焼してちょっと笑った。運営さんの遊び心だろうか?
荏油の他に襖、床柱、衝立、板戸、このあたりはいいとして格天井がドロップして微妙な気分になる。作るんじゃなくて拾って設置するのもありなのか。
――ところで正解ルートはどれだったろう? 普通に迷っている私がいる。床が左で柱が右、几帳は戻る、天井は正面。半分くらいしか覚えてなかった。
欲しかったものも必要以上に手に入り、次へ出るはずの襖に手を掛けると松と雉だった襖絵が歪み始め声が響く。
『時を戻るか? 戻るか? 戻るなら俺を引け』
『時を進むか? 進むか? 進むなら俺を引け』
声が終わると襖の絵は左右それぞれ鬼に変わっていた。システム的には《再戦しますか?》と表示がですね……。時を進む方の襖を引く。
襖を開けると以前来た御簾の前に霧がそこだけ濃くなったようなもやもやとした影。その影から声が漏れている。
「朝夕に 花待つころは 思ひ寝の――」
「夢の世に なれこし契り くちずして――」
どうやら歌の上の句だけを歌っているらしい。これはあれか、下の句を読めばいいのか?
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の――」
「五月雨に 花橘の かをる夜は――」
「――月すむ秋もさもあらばあれ」
白峯を倒した後に調べて、覚えた歌。瀬をはやみ〜は百人一首にも入り有名だが、時じくの香の菓の件があるのでこちらを選択。『時じくの香の菓』は橘の実のことだと言われている。
「おお、迎えか」
影が色彩とはっきりした輪郭をまといゆっくりこちらを向く。最初に見た変身前のどこか覇気のない白峯の姿だ。
「迎えだ」
酒呑の『閻魔帳』を開いて示す。
「おう、おう。ここから連れ出してくるるか」
白峯は床につくかつかぬかで浮いているのか、音もなく近寄ると節の目立つ長い指で『閻魔帳』に触れる。
「これで我はそなたを通して自由なり。そなたに従う鬼なり」
触れた途端、背筋が伸び威厳ある姿に変わる。ちょっと気軽に呼び出せそうにない雰囲気だ。
「ところでご飯はまだかの?」
「ん? 食うのか?」
右近たちも四つ足は食べないと言っていたことを思い出し、無難そうな日本食を並べる。半身の『時金目鯛』の煮付け、もう半身は皮を炙った刺身。『絵ホタテ』の一夜干し、煮浸し、湯葉巻き、香の物とご飯に味噌汁を出し、鬼は酒好きということで酒を添える。箱膳でも揃えるべきだろうか?
「これはうまそうな……」
白峯は少しずつ上品にゆっくり食べる。
ただ見ているのもなんなので、刺身を緑茶でつまむ。表面をさっと炙ったかすかに香ばしい皮の香りと、熱を受けて濃厚な皮下脂肪がトロリ溶け出して見える刺身。レモンと塩で、大変美味しゅうございました! 肉もいいけど魚もいいな。
一項目は酒呑、手形と署名。
二項目は白峯、手形と署名。
三項目は茨木童子、手形。
やはり最初に倒したり最初に取引条件を達成すると署名をもらえるのだろうか。そして二項目が茨木童子だったはずが入れ替わっている、署名付きが若い項になるのかな。
『閻魔帳』を確認し、荷物整理をしていると白峯も食べ終えたようだ。
「……ご飯はまだかの?」
おい!?
失礼して【鑑定】したら【記憶障害】の状態異常中。魔法をかけても消えない状態異常、弱体、弱体化なのか? 白のようにレベルが上がれば元に戻るだろうか? 神々とか開口一番飯を強請られるパターンに慣れてしまって、最初の一言を不思議に思わなかった自分をちょっと反省している。
丁重にお戻りいただきたいところだが、戻る場所は芙蓉宮ということになるのか。鏡のように磨かれた黒い床、天井は四季折々の花がマス目毎に描かれた格天井――普通より随分高い天井だが、いったいあのマス目一つの大きさはどれくらいだろうか? 豪華で暗く寂しい部屋。ボスステージらしく広い空間にはまだ霧が漂っている。
連れ出してくれといっていたし、外に連れ出すべきなんだろうな。
それはおいといて。
「七尾さん〜」
白峯の袖を引いて、正面の御簾をめくると別れた時と同じ格好で伏せている七尾さん。核となっていたクズノハが抜けて、七本の尾になった力だけの身外身。
「……」
感動の再会! 相変わらず無言な上、動かないけれど。
「おう、おう。綺麗な狐じゃな」
嬉しそうにする白峯。四十くらいなのにどこか可愛らしい。
とりあえずブラッシング。全力で視線をそらされてるけど、耳が時々ピクピクと動くのが可愛い。もっふもふの尻尾が七本もあるとブラッシングしがいがある。最後は油揚げを供えて終了。
名残惜しいがあんまり遅いと右近たちに心配される。白峯を連れて、ボス部屋から出るための壁の睡蓮は使えないかと思ったが普通に外に出た。やはり連れ出すのが正解なんだろうか?
袖を引いたまま空に浮かべば、白峯もそのままついてくる。袖の重さを感じるだけで中身の重さを感じないのは鬼だからなのか。
「ただいま」
「おかえり」
ズボッと右近たちのいる部屋に顔を出す。たぶん、右近以外には畳に胸から上が浮いているように見えているんじゃないだろうか。
「何よ、早く上がって来たらいいじゃない」
天音が言う。
「いや、ちょっと。鬼を連れてるんだが、どこか他に出口はあるか? この部屋はまずいだろう?」
「さて? 君の式なんだろう? 瘴気を制御できているならこの部屋でも平気だよ。鬼には昼間の外はきついしね」
くすくすと笑う右近。
「右近様……」
少々たしなめるような声を発する左近。式とは言え、封じる対象である鬼だからな。
「では遠慮なく」
他の出口の心当たりもないので。
「待て」
「ちょっと、何連れて来てるのよ!」
「ホムラ殿!」
余裕だったのに白峯を引っ張り出したら、右近が仰け反り、天音は跳びのき、左近は剣に手をかけている。
「何やら騒がしい場所よの」
対照的にのんびりしている白峯。
「気のせいか、僕には白峯公に見えるんだがね」
たたんだ扇の先を口元に当てて困惑しながら右近が言う。
気のせいじゃありません。
「扶桑に鬼を置いておける屋敷って売ってるか?」
「売ってるわけないじゃない!!」
「廃屋物件です!!」
右近の疑問に答えないまま聞けば、天音と左近から悲鳴のような否定の言葉。
マント鑑定結果【聞く相手を選ぶべき、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
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・増・
スキル
【式】『白峯』
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