289.ミスティフの印象
「白、イシュヴァーンって知っているか?」
「懐かしい名じゃ。ミスティフらしいミスティフでな、強い個体じゃが、争いを好まず静寂を好むようなやつじゃ。喧嘩っ早いアルドヴァーンと双子よ、中身は正反対じゃが外見はそっくりじゃ」
紅茶を飲み終えた白に聞くと、ちょっと嬉しそうな声で教えてくれた。
あまり動かない黒が身じろぎした、白が一体いつから存在しているのか考えているのかもしれない。ミスティフ代々女王説も聞きたいところだが、後にしよう。以前ハスファーンではなく、白と紹介しろと言われたことを考えると、内緒にしておきたいのだろう。
【念話】もレーノに漏れ漏れだったことを考えると、おそらく【念話】持ちの黒が腹にいる現在アウトだろうし。
「ここの奥にいるらしいぞ」
どっちかが。
果たして地の底で待つのはイシュヴァーンかアルドヴァーンか。外見そっくりとか言われると、入れ替わりフラグがたった気がしてどうも疑心暗鬼になる。
「なんと、生きておったか! それは会うてみたいの。――顔を合わせたとたん、説教されそうじゃがな」
膝の上でそわそわと落ち着かない白をもふる、相変わらずいい手触り。
「イシュヴァーンが健在ならば、もしやアルドヴァーンの居所もわかるかの?」
ん? 微妙にアルドヴァーンの名前を出した白の声が嬉しそう。狩人の言葉のせいでなんとなく悪ミスティフ認定していたのだが、違うのか?
「それにしてもまだなのかの? 戦闘よりも休憩のほうが長いのじゃ、たどり着く前に帰還してしまうのではあるまいな?」
できればこのままゆっくりなでていたいが、白の旧友との再会の邪魔をする気はない。白が暴れるに至る前と、ファストの神殿に封じられている間に失ってしまったものはきっと多い。
「ああ、直前に喚べるように一旦帰還しておくか?」
「そうじゃな。レベルを上げるのは今回は諦めるかの」
だがしかし、今はまだ私の膝の上。しっとりとした長い毛を指で梳くと温かいような冷たいような不思議な感覚。
「……あの、お話中割り込んで申し訳ないのですが」
おっかなびっくりみたいな感じでスイグが話しかけてきた。
「どうかしたか?」
「この地下はミスティフのための空間ですので、夜のうちは月明かりが届かなくとも帰還はございません。いえ、むしろこの地下では望んでも帰れないのです」
言われたことの不穏さに慌てて普段は見ないメニューを開く。白のステータスにある召喚時間のカウントが止まっている、だが帰還のコマンドは無事。
「む、本当じゃ。精霊界とのつながりよりここの方が強い、精霊界への道を開いたつもりがここに繋がる様じゃ」
「ミスティフたるイシュヴァーンを守護とするとき、物質界に留めるために神が作りたもうた空間と聞いております。太陽の時間は姿が見えなくなるそうですが……、姿が見えないだけで精霊界に戻るわけでなく実はイシュヴァーンはこの地に留まったままとも聞きます」
「召喚と帰還は出来るようだが……」
「何!?」
白が驚いてこちらに振り返る。
「既に契約を結んでいるなら、召喚獣にとって主が道なのよ」
隣のカミラが教えてくれる。阻害の理由が精霊界よりもミスティフにとって惹かれる場所が側にある、というのならば確かに私には関係がない。惹かれる場所分からんし。
「なるほど、すでに契約済でしたか」
「誰が主じゃ! 仮じゃぞ! 仮契約じゃ!! 名を名乗った覚えもないのじゃ! しかたなく付き合ってやっておるのじゃ!」
ぺしぺしと私の腕を叩いてスイグに否定し、カミラに向かって猛抗議する白。それに生温かい目を向ける雑貨屋の面々。
「帰還は出来るし、時間は気にせんでいいし問題ないな」
問題は黒の方なのだが、元々精霊界に戻れなくなっているため何か変わったわけではない。ただ、ちょっと不穏なイベントの気配がしてほんの少し不安になる。
「これ聞いておるのか!」
「聞いてます、聞いてます」
白の手触り最高です。
「開くみてぇだぜ?」
ガラハドの視線を追えば、先程スイグが描いていた模様をなぞるように白い光が増えてゆく。
「はい、お着きになられました。あちらで今、王女が扉に解錠の文様を描いてらっしゃいます」
「なるほど、あちらで描き上げた部分の光が増しているのですね」
イーグルが興味深そうに壁を眺めている。
スイグは壁を扉と言ったが、私には隙間のない岩壁だ。周囲のデコボコとしたものと違い、ほぼ平らなので何かあるとは思うけれど、扉の認識はない。スイグは何度かここを出入りしているのだろう。
全員立ち上がったところで、テーブルをしまい壁の前に移動する。
壁に水平な光の線ができる、まさかの上下開き。壁が真ん中から上下に分かれて大した音も立てずに口を開けた。
「……」
カンテラを持ち恐る恐るといった風情で私を見るスイグ。
「白。時間制限はない、急がなくて大丈夫だな?」
「うむ」
実際には夜が明けるまでという制限がある気がするが、とりあえずスルー。
そこからは普通に――。
「す、すみません。少し息を整えさせて下さい……」
膝に手をついて今にも座り込みそうなスイグ。
「修行がたりねぇな、兄ちゃん」
「あら、神官にしては健脚よ。ここ、足場悪いもの」
ニヤリと笑うガラハドにスイグの擁護をするカミラ。そんなカミラの足元はピンヒールなわけだが。
通りすがりに敵を倒してゆく感じで、戦闘で踏み込む勢いがそうさせるのか道中ずっと早歩き。降りているので基本下りなのだが、短い坂というより段差を登ることもある上、足元はごつごつとしている。普段の行動範囲が平らな神殿内が主だとしたらキツイだろう。
すまぬ、周りが全力疾走しても「突然走るな!」とか「絶対違う!」とかいう文句は来るものの、涼しい顔をしているもんだから加減がおかしいのに気づいてなかった。
「『回復』」
とりあえず『回復』をかけてみる私。
「主、壁が」
カルが示す方向にスイグが模様を描いたものと同じような壁が見えた。
「どうやらちょうど休憩らしいの」
白が戻ってきて肩に乗る。白の状態異常を起こさせるスキルは強力だが、ほとんどが触れなければ発動しない。倒される前にスキルをばら撒きに行くので、戦闘中は私からは離れているのだ。なお、壁と人間は足場な模様。
そしてまたお茶を飲みながらスイグが模様を描くのを眺め、ユニちゃんがたどり着くまで待つことになった。
「次はもう少しのんびり行くか」
「【誘引】のおかげで敵がわらわら出るからな、今のペースを崩すほうが面倒だぜ?」
「あっという間に囲まれるわよ〜」
囲まれても面倒なだけでピンチというわけではないからか、カミラがどこか楽しそうに言う。
「いざとなればまたガラハドに担がせますから」
涼しい顔でカル。基本ガラハドたちに戦闘は任せ、漏れてきた敵に対処しつつ早歩き、足をもつれさせたスイグの襟首をつかんで転ぶのを防ぐという芸当を、いつもの春の陽だまりの微笑みでこなす男。暇なのか、私の髪をブラッシングし出す完璧騎士。騎士としては完璧なのだが、そこはかとなく変。
まあ、先に白のブラッシングを始めたのは私なんだが。なお、道中の私の役割は白の足場と待機所でした。
いい加減荷物の整理をせんといかんので、待ち時間の間にごそごそと。収納の上限が実質ないため、ストレージに雑多なものが突っ込みっぱなしだ。他のプレイヤーと比べて進みすぎて、売りに出すと騒ぎになりそうなものが多いのも原因なのだが、元々片付けは苦手なのだ。今回のドロップアイテムは売っても問題ないし、選り分けておこう。魔石は【魔物替え】に使う――いや、ここの魔物はいらんな。
「ふん、また人の膝で撫でられて喜んでいるのか」
黒が襟元からにょきっと顔を出し、膝の上の白を見下ろして言う。
「そういう貴様は相変わらず懐から出てこんくせに」
「俺はいいように触れさせてなぞおらんわ!」
バシッと手が出る黒。
「尻に毛玉つけて何をいっておるのじゃ!」
シュバッと白の前足が残像を残して薙ぐ。
黒には是非下半身のブラッシングをさせてもらいたいところ。罵り合いながらパンチの応酬をする二匹だが、なんだかんだいって手加減をしているし喧嘩を楽しんでいる様なので放置している。二匹がばしばししている間に白を撫で、黒の頬を指でぐりぐりする余裕すらあるのだ!
「……私の知っているミスティフと違う」
「あの二匹は私の学んだミスティフの情報とも合致しないから、安心して?」
「普通の茶色いのはどれも概ねイメージ通りだったぞ?」
「普通のミスティフは争いや諍いを避け、静かに暮らす幻の生き物の認識で合っているよ? よく見かけるけど人間には寄ってこないし。あの二匹がおかしいだけだから」
愕然としているスイグにカミラたちが次々声をかける。そのスイグはといえば、白たちを見ていた顔をぎぎぎぎっと油の切れた人形のようにガラハドたちに向け一言。
「――そんなにミスティフと遭遇したことさえないです」
スイグの言葉に固まる面々。
マント鑑定結果【順調に毒されている、という気配がする】
手甲鑑定結果【……うむ】
誰にですか?
 




