242.夕食
迷宮の転移部屋で着替えて神殿に移動する。『転移』と『帰還』が便利すぎてしばらく街歩きをしていないので、寄り道しながら帰る所存。
そういえばエカテリーナにも暫く会っていない。物足りないようなそうでないような。とりあえず転移門を出た廊下にいる神官に話しかける。
「いつも神殿を利用させていただき感謝する」
「いえ、転移門の利用は一定のお布施をいただいておりますのでお気になさらずに」
「本来は拝殿に行くべきなんだろうが、無精ですまんが受け取ってほしい」
神官に十シルをお布施として渡す。
「これはこれは、ありがとうございます。お納めさせていただきます、それにしても最近は……」
廊下にいる神官は時間帯によって変わるが、どの人も話しかけると街の情報をくれるのだ。神殿の神官と住人向けの店の店員は主に街の情報を、行商人などは他の国や街の情報をくれることが多い。ここでも好感度で情報量が違ったりするのかもしれないと思いつつ、下心で寄進している次第。エカテリーナに金を渡すのは何だか嫌だが、自分も相手も交流を求めていない場合は平気である。
今は異邦人のお陰で肉の売買が盛んで野菜が値上がっているそうだ。異邦人が来て食糧消費が増え、肉のほうは異邦人のドロップで確保できているが、野菜が間に合っていないのだろう。確かに木の実やキノコを落とす敵は多いが野菜らしい野菜を出す敵は少ない気がする。そして農業をやるプレイヤーは少ない、やるとしても薬草など薬の材料が多い。あとペテロの毒草園とか。
「最初は食卓が豪華になったと喜んでいたのですが、野菜を摂らないのもいけませんね。季節柄もあってか咳をする人が増えています」
話を終えた神官に、野菜を中心に使わなくなった食材を孤児院と元スラムに建った宿舎の炊き出し用に差し入れしその場を後にする。
元スラムの住人は異邦人の生産の手伝いや店舗の手伝い、変わったところでクランハウスのコンシェルジュのような仕事についているらしい。扱いも様々で住み込みの者からプレイヤーがログアウトしている時だけの日雇いなど様々なようだ。だが、仕事そのものがなかった少し前までより遥かに良くなって活気づいている。ファストでは獣人に対する差別もほぼなくなった。
大挙して押しかけた異邦人と住人の間に軋轢が起きるのは仕方がない、むしろ好意的に受け入れられている方なのだろう。しかし生活に直結する本題を発生させるのはさすがに申し訳ない。その中でスラムの住人が良い方向に向かっているのは嬉しい。
ちょっと薬師ギルドに顔を出しておこうか。雑貨屋には夕食の時間に合わせて帰って、一回ログアウトしてまた迷宮かな。ルバも扶桑に行ったままだし、本日は工匠区はパスだ。
ユリウス少年は『再生の欅の枝』とまだにらめっこしているのだろうか。扶桑に行く前に受け取った杖でレベルに釣り合っているので早々に新しい杖が欲しいわけではないのだが、高ランク素材を渡しすぎたかと少々反省中な私である。
今、工房にはいわゆるお使いクエストのために生産プレイヤーが多く出入りしているそうだ。クエストをクリアすると珍しい素材が一日にいっぺん貰えるらしい。ランクの高い生産設備は価格も高いので店舗と設備の資金が貯まるまで、住人の工房に弟子入りしているプレイヤーもいる。生産ノルマがある代わりに特典もあるとはお茶漬からの情報だ。――カジノ装備が揃っているうちのクランはおかしい。
薬師ギルドに行くとピエグ老師は留守だった。
「スラムの仮設住宅で百日咳が流行ってそっちに行っているんですよ。通常の薬では効きが悪いらしくってね。神官の病気治癒は効くんですが流行ったら手が足りなくなるのは目に見えてますから」
ピエグ老師が薬の調整をするため現地に行って患者を診ているそうな。今、薬師ギルド所属者には幾種類かの薬草納品クエストが発生しているらしい。ご苦労様です。
日用品屋を冷やかしたりしながら古本屋に来た。カディス老人のところに顔を出しつつ、ハウスで留守番している二人に新しい本を見繕うつもりだ。入る前に時間を忘れそうで危ないのでアラームをセット。アルスナの図書館にもまた行きたい。
「こんにちは」
相変わらず無愛想な老人はカウンターの向こうでパイプを燻らせ、本を読んでいる。どうやら面白い本らしく、本から顔を上げこちらに視線を向けただけの挨拶をもらった。私も勝手に本棚の間を歩き、面白そうな題名と好みな装丁の本を探す。特に目的の本があるわけではないので手に取るかは縁だが、なるべく古い絵本はチェックするようにしている。歴史書よりも古い時代にあった事実が物語に織り交ぜられている、気がするのだ。
何冊か本を選び取り、カディスの元に持って行く。クルルカンが袖口からチラチラ顔を覗かせていたのだが、もしかして本が好きなのだろうか。家が本だらけになるのを誰も止めない気配。
「あんたも物好きだな」
「そうか?」
「愛想の悪い古本屋に目当てなく通う異邦人は珍しい」
本好きは他にも大勢いるだろうが、ゲーム中の余暇は読書ではなく生産だったり採取だったりに費やす人が多いかもしれない。気合入った本好きはさっさとアイルに行ってしまうだろうし。
「こっちは扶桑の土産だ」
子供向けの赤本、大人向けの娯楽の黄表紙を数冊。黄表紙は端々に風刺や言葉遊びが仕組まれているものも多く、隠された政への批判などを左近に解説された。比喩や隠喩は解説がないとさっぱりだが、読み物として面白いものも多いので数冊買ってきた。
「おう、これは珍しい。時々出物があるが、なかなかうちまで回ってこないんでな」
そう言って嬉しそうに本を確かめる。
「貰ってばかりは悪いな、これを持って行け。焚けば本の虫除けになる、匂いもヤニも付かんから安心して使え」
そう言ってカディスが乾燥し四角く圧縮された何かの葉を渡してきた。
「煙草としても飲めるぞ」
「ありがとう」
どうやらカディスのパイプに詰まっているものと同じものらしい。礼を言って受け取り、古本屋を後にする。
適当な路地に入って『転移』、神殿経由で雑貨屋に帰還。そして黒が飛びかかって来ないかと身構えたのだが、予想に反して気配がない。
「ただいま」
「おう、お帰り!」
「お帰りなさい」
「お帰り」
ガラハド、カミラ、イーグルが酒屋の三階でくつろいでいた。そうだった、部屋の拡充の相談をトリンにするんだった。忘れないようにしよう。
「雑貨屋もそろそろ終わるな」
「そういえばそんな時間だな。どうりで腹が減る」
ガラハドがソファーで寝転がってごろごろしたまま空腹を訴える。
「今日は大して動いてないだろう」
「レーノは黒を連れてミスティフのところよ。そろそろ帰ってくると思うけど」
イーグルとカミラはチェスをしていたようだ。冒険の合間の休日を堪能している様子。
「ホムラ様、腹が減りました!」
ガラハドがふざけて様付けで夕食をねだってくる。
「じゃあ作るか。代わりに明日暇だったら食材収集手伝ってくれ」
「おー! うまい飯のためなら何処へでも付き合うぜ!」
いい笑顔で即答してくれた。
「ふふ、私も手伝うわ」
「先日までなかなかハードだったからね。のんびり食材をあつめるのもいいね」
カミラもイーグルも手伝ってくれるようだ。のんびり……かどうかは謎だが、まあ春の野歩きだと思えばのんびりだろう。
礼を言って夕食の支度を始めると、雑貨屋を閉めたラピスとノエル、カルが上がってきた。
「お帰りなさい、いい匂いですね」
カルがニコニコとキッチンを覗いてくる。
「主、お帰りなさい!」
「お帰りなさい、主」
狭いところは邪魔になると遠慮してか、キッチンの入り口から声をかけてくるラピスとノエルの二人。リビングに続く方向には特に壁も扉もないのだが、何か仕切りがあるかのごとくリビングのフチから足を踏み入れず、体を乗り出して挨拶してくる。誘惑物がパタパタと揺れている。
「ただいま、三人ともお疲れ様。もうできるぞ」
ストレージがあるのをいいことにいろいろな食材を持ち歩いているため、倉庫との往復などの手間もなく料理はあっという間に済む。酒やチーズなどは別だが、それはそれで出来上がったものがストレージに詰めてあるので問題ない。一番時間がかかるのはメニューを決めることだ。
本日のメニューは『津々蟹』のトマトクリームパスタ。『花咲蟹』のクリームコロッケとグラタンも作ったので太めのパスタでトマトの酸味でさっぱりと。焼きガニや庭の水でやるカニしゃぶのほうが美味しいのだろうが、そっちは神々との宴会でやる予定。食材の仕込みに感謝して最初に一番美味しいだろう料理を振る舞う所存。
レーノと黒も帰ってきた。黒は私めがけてダッシュをかけてきたが、届く前にカルの差し出したクッションに遮られ、敢え無くぼふんと撃沈。私の懐に格納されたあとはカルに向かってシャーシャー言っている。そしてクルルカンに気づいたらしく、袖に向かってもシャーシャー始めた。
「はいはい。怒らない怒らない」
耳の後ろをコショコショと指先で撫でて落ち着かせる。頭は撫でても嫌がらなくなったのだが相変わらずブラッシングをさせてくれない黒。あとカルが袖に向ける視線が若干痛いんですが、不信があるなら普通に聞いてくれんかな? 聞かれてもいないのに答え難いんだが。
「毎回置いて行かれるので拗ねてるんですよ。連れて行ってあげたらいかがです?」
レーノが勧めてくるがそれは出来ない相談だ。
「ボス戦は危なくなっても逃げられないんだ。『蘇生薬』はあるがペットじゃないのに連れて行けないだろう」
そう言うとショックを受けたように黒が見上げてきて固まった。ペットなら危なくなったら、もしくは最悪死亡しても装身具に返しておけば、私が復活した後に何とでもなるのだ。死なせると好感度とペットのレベルが下がるらしいが、少なくとも生きている。
「置いて行くのはそう言う理由ですか」
「そう言う理由ですよ」
外に行っていた黒に『浄化』やら『清潔』をかけて料理を再開する。
「主、運びます」
「ラピスも!」
「ありがとう」
なるべく軽いコロッケの皿を渡しておこう。ラピスは格闘系のステータスなのか、STRはそこそこあるのだが。
「いい匂いですね」
カルが器用に四皿も手に取る。いや、二皿は腕に取る? プロのウェイターのようだ。
「おう! 運ぶぜ!」
ガラハドたちも皿を次々運んでくれ、食卓の準備が整う。いつの間にかカミラがテーブルライナーやら小さなフラワーアレンジメントを設置しておしゃれにしていた。
「では食うか」
「いただきます」
席についていただきますを唱えて揃ってごはん。
「あら、美味しい。サクッとトロッとだわ」
カミラの手をつけたカニクリームコロッケは俵型。ホワイトソース――おしゃれに言うならベシャメルソースに蟹をタップリ。一応、つけるものはトマトソースを白ワインで少しのばしたもの、ウスターソース、溶かしバターにケチャップ、レモンと小皿に数種類用意したのだが皆んな何もつけずに食べている。
ホワイトソースから味を変えるのに二個目はウスターソースをかける私ですが、少数派だろうか。そう思っていたらノエルもかけた。ウスターソースが好きというよりこれは私を真似ているのだろう、好きなのかけていいんですよ?
グラタンはお約束の甲羅のお皿、表面が軽く焦げたホワイトソースの濃厚さに全く負けていないカニの旨み! ラピスが蟹の甲羅を持ち上げてみたりと嬉しそうなので良かった。
「ああやっぱり肉はこうだよな!」
ガラハドのリクエストの肉は『大輪牛』を骨つきのまま時間をかけて炭火で焼いて、中はしっとり外はこんがりの塊をドンと! 脂も赤身も楽しめる。
相変わらずガラハドは豪快に美味しそうに食べる。
「酒がすすむね」
甘すぎずすっきりとした味わいの白ワインを飲みながらイーグルが言う。私は酒の味がわからんので、ワインは適当に鑑定結果の説明文でチョイスしています。何種類か倉庫に突っ込んであるし、次回からは飲むメンツに食事前に選んでもらう方式にしよう。
「このサラダも美味しいですね」
レーノがベビーリーフとラディッシュのサラダを口に運びながら言う。こちらは『白玉ニンニク』のドレッシング。
「こちらも濃厚ですが、酸味でさっぱりしますね」
涼しい顔でパスタを食べてカルが言う。ソースははねませんか? はねませんね。私ははねました! 黒に取り分ける時に油断した。
おのれ!




