232.来客
久しぶりに雑貨屋の自室で目覚める。うっかり符を破られると目も当てられないので鍵を掛けているため、いつかのように起きたら囲まれていた、なんてことはない。
自分の体温で布団が気持ちいいが、着替えが一瞬なので抜け出せずに二度寝することもない。
ホムラ:ただいま
お茶漬:おかえり
ペテロ:おか〜
菊 姫:おかえりでし。アルムは来てるけどシズルはまだでしよ
ホムラ:おー
クラン会話でログインしているメンバーに挨拶して、アルムとシズルには個別メッセージ。アルムからはすぐ返信があったが、当然シズルからはない。
ドアを開けると、黒が飛び出してくる。前回、お好み焼きの匂いにも釣られずヘソを曲げていたが機嫌は戻ったらしい。いそいそと懐に潜り込む隙を逃さず、頭を突っ込んだところで尻にブラシを掛けたら抗議の声を上げられたが。
「おはようございます、主」
「おはよう、カル」
洗面所を風呂上がりらしいカルに譲られ、顔を洗う。生活魔法でキレイにはできるのだが、習慣というやつか。アイテムポーチから取り出す前に、タオルが差し出される。
「ありがとう」
カルから受け取って顔を拭いたはいいが、使い終えたタオルはどうしたらいいのだろうか。自分のだったら横着して生活魔法をかけてアイテムポーチにインなんだが。そう逡巡した間にカルに回収され、いつの間にか設置されていた籠に入れられた。雑貨屋はちゃんと生活空間として整っていっている様子。
「あらホムラ、おはよう」
洗面所の前にバスタオルを抱えたカミラの姿。
「おはよう。フェニックスはどうだった?」
「攻略成功したわよ。挑むまでレベル上げで結構長く火華果山に籠ってたし、あの二人が服を着られるように、フェニックス2回も倒しちゃったわ。昨日は泥みたいに眠って、今日は酒盛り」
なんとも微妙な笑顔で成果を告げられる。
「お疲れ様」
ガラハドとイーグルのブーメランパンツが脳裏によぎる、私も多分微妙な笑顔だ。
「終わったんですか?」
「ええ。ガラハドはソファに転がってるし、イーグルはもう寝ましたわ」
宴会から先に抜けていたらしいカルが問いかけ、カミラが答える。
「お風呂借りていいかしら? あっちはレーノがいて」
酒盛り、レーノ。酔っ払ったレーノがあっちの風呂に詰まってるんですね?
「もちろん」
カルが廊下に出て、私もカミラに場所を譲る。薄暗い廊下では黒に見えたマーメードラインのプロポーションを強調する服が、洗面所から漏れる照明魔道具の光で濃い赤に変わる。
「ありがとう」
すれ違いざまにカミラが体を寄せて耳に近い頬のあたりにキスを残し、洗面所の扉が閉まった。
試されてる何か!
「主、起きたばかりで申し訳ないのですが、ファガットのタルブ殿がいらしています」
カルの先ほどの場面になんの感慨もなさそうな声。スルー、スルーなんですか? キスはただの挨拶の感覚なのか?
「こんな時間に?」
この世界、現在は夜中である。魔導具の明かりはあるものの、住人の活動は太陽と共にある。要するに早寝早起きだ。雑貨屋も私とカル以外は眠っているはずだ。私は起きたところだが、たぶんカルは寝る支度で洗面所にいたのだろう。
「二日前から泊まっているのですが……。私とタルブ殿、両者の主張と妥協の結果一階に泊まっていただいています」
「一階……?」
一階には雑貨屋酒屋共に居住スペースはない。不審に思いながらカルについて階段を降りると、ついたのは以前カイル猊下と対面した商談スペースという名の小部屋。そういえば、カウンターから奥は入室許可制だった。フリーにしてあるのは入り口からカウンターまでのスペースだけで、閉店後は普通に鍵をかけるが、店内にすでにいる者は追い出さない限りそのままだ。
起きて半畳寝て一畳。――京間だったらセーフな気がするが、江戸間だったら百八十に満たないから背の高い人は足が伸ばせないよな、枕のスペースもあるし。言葉ができた当時と今の平均身長の差か、などと明後日のことを考えながら机の下の簀巻きに見える何かを眺める。
「こう、なんの罰ゲームなんだこれ」
椅子は隅に退けられているが、テーブルは除けたところで意味がない狭さのため下に寝ているんだろうな〜とは思うが、寝袋のような寝具が簀巻きに見えて仕方がない。
雑貨屋にいるフル人数に対して風呂が足りてないし、いっそ酒屋を四階建てにして客室と風呂を増築しようか。雑貨屋の方は通りに面した他の店と高さを揃える条件があるため、作るとしたら地下室しかない。昼夜関係なくごそごそできるし、いっそ台所以外の生産部屋は地下に持って行ってしまってもいいかもしれん。
「……おお、リゾーリ! お前の鱗は夜明け前の空――」
「うをう!」
急にタルブ隊長が何事か叫び、ガバッと上半身を起こしたのでびっくりして後ずさる。嬉しそうな顔で唇を突き出しているのを考えると、誰かーーたぶんドラゴンに抱きついてキスをしている夢でも見ているのだろう。
「起こしますか?」
「急ぎの用事でないなら寝かせといてかまわんが」
竜騎士隊の隊長が私のログイン待ちで泊まり込んでいるところをみると急ぎだと思うのだが、積極的に覚醒させたくもない何か。カルの肩越しに、寝ているにしては大きな動きを見せるタルブ隊長を眺める。なんだろうこの怪しい生き物。
「ふふ」
「なんだ?」
カルの漏らした笑いに、怪しい生き物への盾にしているのがバレている気配を感じる。
「いえ、起こします」
そう言うカルから一瞬の殺気が走る。何だと思う間もなく、だらしない表情をして眠っていたはずのタルブ隊長がカッと目を見開き飛び起きた。カルもタルブ隊長もいつの間にか剣を手に取っている。
「おはようございます。主がお戻りです」
交差された二本の剣越しに微笑みながら告げるカルにタルブ隊長が剣を引く。
「殺気をぶつけて起こすのはやめて欲しいんだが」
「声をかけても起きるとは思えませんでしたので」
不機嫌とバツが悪いの中間みたいな顔のタルブ隊長に笑顔のままのカル。簀巻きからの俊敏な動きにも剣の交わる音にも驚いてついていけない私。エビフライが跳ねたよ!
カウンター裏の休憩所に移動してカルの淹れてくれたお茶を飲む。これから眠るであろう二人なので茶請けは出さない。私はログイン直後なので食事をとりたいところだが、まだ友人たちに付き合って自作料理禁止中だ。料理が解禁になったらぷりっぷりのエビフライにタルタルソースをかけてかぶりつこう。
「で? 用事とは」
「王宮に招待してもいいか?」
「却下で」
面倒ごとの気配しかしない。
「そうか……。では甘味を幾つかいただけないだろうか? できれば金平糖とかいうのを」
「あっさり引き下がるな?」
なんとなく可と言うまで引き下がらないんじゃないかと思っていたので意外だ。
「貴方の騎士殿に釘を刺されてるんでな。それにしつこくして完全に可能性を潰したらグロリア姫に顔向けできない」
憮然とした顔でタルブ隊長が言う。
「引き合わせた手前、主を煩わせる前に……とも思ったのですが、選択権は主にあると思いなおしまして」
カルは涼しい顔で紅茶を飲んでいたが目があうとカップを置いて笑顔で説明してくれた。煩わせる前にどうしようと思ったのだろうか。ただの雑貨屋さんの店員のはずなんだが。
「ああ……金平糖は作らんとないな。脊髄反射で断ったが、一体どんな招待だったんだ?」
騎竜を見せてもらったし、話くらいは聞こうと思い直す。
「リゾーリに触れていた時、グロリア様がいらっしゃったろう? 貴方が先ほどまでいた話をしたらたいそう残念がってな。姫の気分が落ち込むとリゾーリも悲しむ」
姫のためなのかリゾーリのためなのか微妙なところ。というかリゾーリの名前だしたところで、ちょっとはにかむのやめろ。
「懐かれるような覚えはないのだが……」
「闘技大会に関わってた隊員が言うには、ギャップ萌え? 恐怖を与えてから優しくする洗脳? だ、そうだ。言ってることが正直よくわからん」
ちょっ! 後半!!!! 竜騎士隊の中に一度話し合いをせねばならんヤツが混じっている様子。
「竜舎にお姫様が来るというのも不思議だが」
「うちの王族は竜が好きなんだ。竜も王族を、特に王を好いていて元々長く飛べる種じゃないが、月に何度か王に会えていれば満足するのか遠くに行くこともない」
その辺の情報をばらしてしまっていいのかと聞くと、王になるための試練と共に結構有名な話らしい。
ファガットの王子は立太子する十八までに、ラコノスにある迷宮に行き竜の幻影を倒して竜玉を取ってくる、というものらしい。幻影だけあって竜玉も七日で消えてしまうが、竜の強さは変わらない。なかなかベタな試練だ。
「政治が絡まんなら行ってもいいぞ」
「……無理だなぁ。グロリア様はともかく周りがな〜」
ちらっとカルの方に視線をやってから、ため息混じりに言うタルブ隊長。
「じゃあ金平糖を作ってくるからちょっと待っててくれ」
待っている間が持つように机に赤ワインとグラスを二つ、チーズとクラッカーを置いて生産用の台所に向かう。
委託販売の端末で色付けのための材料を買い足し製作を始める。砂糖の類は雑貨屋での甘いものの消費が激しいせいで常に在庫を持っている状態だ。金平糖は何気に出来上がるのに日数のかかるもので、スキルのおかげで大幅に短縮できるものの少し時間がかかる。
待つ間に他の甘いものを作って半分をおやつ用の倉庫に突っ込み、販売用のお弁当を作ることにする。
お弁当はメインに焼肉、胡瓜と茗荷のピクルス。インゲンにはゴマ味噌、ゆで卵を半分に。トマトと紫玉ねぎのサラダ、彩とおかずの区切りのために黄緑色の葉のチシャを少々。肉の茶色に白飯の輝き、酢に反応して鮮やかな赤を見せる茗荷、胡瓜の緑とごく薄いグリーン。トマトの赤とゆで卵の白と黄色。お弁当は彩が大切だ、一部白飯と肉だけでいい、野菜は邪魔! と言い切るのもいるが。
次に時間いっぱい雑貨屋の食事の用意、いいエビが売っていなかったのでエビフライはお預けだ。作っている間にレオ、シンとログインしてきたが肝心のシズルがまだだ。
「まさかアンタが本気で誰かに仕えてるなんて思ってもみなかったぜ」
「前回お会いしたときは帝国に一応所属はしていましたが」
「だってありゃ惰性で仕えてるのが丸わかりだったじゃん!」
目的のものを作り終えて、階段を降りるとだいぶ砕けたタルブ隊長の声がする。
「……先代が亡くなってだいぶたちますからね」
「当代は伏せってるんだったか。雲行きが怪しくなってきたのはその辺からか? ちょっと前までは少なくとも表向きは友好的だったのに最近は取り繕いもしねぇ。商人の間でアイルとの間がきな臭いと囁かれるようになってからあっという間だ」
「妖狐の【傾国】は少しずつ男を狂わせるそうです。何かが少しおかしい感じはしていましたが、見当がつきませんでした。巧妙に私と親しい人間を避けて堕としていたようですが、私が周囲に興味がなさすぎたのも原因でしょう。取り繕わないのは妖狐の存在にこちらが気付いたのを知ったからでしょうね」
真面目な話をしている気配。アイルとの間の諍いは鉱山の利権をめぐるものだと扶桑に同行した商人・ホップは言っていたが、実際は玉藻が半身のいる扶桑への道を確保したかったのではないかと思う。
それは置いておいて、カルは本当は幾つなの?
 




