222.幕間
飛ばしても大丈夫!
「断られてしまいましたね」
天井と壁の白の大部分が、金の装飾で覆われた豪奢な部屋。床には織の違いと白で模様の入ったスモーキーレッドの絨毯。白い天板に金の足のついた机の背後には、アイル王家の紋章が掲げられ、天蓋付きの厚いカーテンで覆われた中には、精緻な彫刻が施された椅子。
王の座るその椅子の隣で、王とよく似た青年が、先ほどまで会っていた人物が出て行った、厚みのある扉を眺めながら残念そうにつぶやく。
「あれは騎士とはいえ特別だ、それにもう主を得たと聞く。我も『湖の騎士ランスロット』が、我が国のものとなれば嬉しいが、よほどのことがない限り、剣を捧げる相手を変えることはないであろう。帝国の内情が知れ、主だった騎士の半数が離反し、こちらと協調できることが分かっただけでも僥倖」
豪奢な椅子に座り、そう答える王の顔は冴えない。
アイルは魔法都市と呼ばれるアルスナから始まり、やがて結界拡張のため都市の外につくられた六つの神殿の周辺にも人が住むようになり、アルスナを含め七つの都市を抱く大きな国となった。
各都市に散った神殿に所属する聖法使いとは違い、魔法使いの多くはアルスナにそのまま留まり、思うまま魔法の研究をできる環境を作り上げた。国が魔法都市と呼ばれるのは、昔の名残であるとともに、今もなお、過去の魔法使いが残した学ぶ環境と、資料・技術を求めて他国からも首都に人が入ってくるからだ。
アイルの歴史とともに歩んできた王家の歴史は古く、その血統に連なる王は聖法使いと魔法使いの資質をもち、実際、堅固な結界魔法と国随一の水魔法の使い手として有名で、決して暗愚でも臆病でもない。
「こちらに騎士の半数と、ランスロット殿がついても、帝国相手ではまだ不安が? 陛下の御心を煩わせるのは何でしょうか? ランスロット殿の主が表にでてこず、対面できないことですか?」
帝国の備えに特に思い悩む風がない息子を見遣って、王は心の中で嘆息する。王や宰相たちは、彼の魔法使いの周到さと底の知れなさを思い、どうしても暗い思考に陥るのだが、若い世代はそうではないらしい。
「出て来ぬと申せば、彼の魔法使いも表に出なくなって久しいな。湖の騎士殿の言う通りなら、九尾の術にはまり、引きこもっているのやもしれぬ」
王の前で、騎士ランスロットは、【傾国】にかかった者は、最初ほとんど通常と見分けがつかず、本人も自覚のないまま徐々に狂い、最後は九尾のいる場所から離れようとせず、思考も優先されるのは九尾とのことだけになると語った。
もし、彼の魔法使いもそれに漏れず、狂っていたならば勝機があるかもしれないと、希望を見つけた王はようやく愁眉を開いた。
「ふむ。湖の騎士殿の主のことだったな」
「はい、小さな雑貨屋の店主だと聞きます。ランスロット殿は、帝国とのしがらみに主レンガード殿は関係がないと言いましたが、ジアースの神殿の協力を取り付けたのは、その者だと。また闘技大会では皇帝の座について、ファガットの王族と交流があるとも聞きます。何者なのでしょうか」
「さて。先日、アルスナの各神殿を代表して神官長から、ファストのレンガード相手に、呼び出すことも含めて王権で何かを命じないよう進言があった」
「神殿からですか?」
「ああ。何時ものように各神殿の意見を調整し、とりまとめて来たのではなく、主なる六柱すべてからそれぞれの神殿に、レンガードの自由を保障し、望まぬ束縛を近づけるなとお告げがあったそうだ」
「……何者なんでしょうか」
「神々の気まぐれは知らんが、湖の騎士殿の主も王族にかかわる気はないらしい。お前も手を出すでないぞ、人のしがらみに織り込むのは危うい存在かもしれん」
まだ長いとも言えない人生だが、魔法都市、魔法国家とも呼ばれるアルスナを統べる者として、人ならざる者とも会ったことのある王は、強大だが手を出さなければ無害な存在を知っている。
手助けを望めぬ代わり敵にもならないだろうと、早々に結論を出した王と違い、若い王子は眉を寄せて考えに沈んだ。
一方、アイルの王と謁見を果たしたランスロットは、案内役の後を歩きながら、王が話題をそらしたことについて考えている。王太子が彼の主の話題を出した時だ。
案内役の背を見るとはなしに眺めながら、ファストのカイル猊下に水神ファルと風神ヴァルから主を束縛するなという神託があった話を思い出し、アイルの神殿の誰かにも同じような神託があったのだろうと推測する。魔物避けの結界を神殿に頼るアイルでは、神殿の立場が強い。主のことだから、一つの神殿ではなく、二つ三つの神殿に神託が降り、王にも話がいったのだろうと推量する。
私は騎士として主を守れるのだろうか?
湖の騎士の称号を得てから初めての疑問がランスロットの胸に去来する。彼は、物理的な強さも、権力者と渡り合うしたたかさも、それなりにあると自負している。今日とて先ほど、アイルの王太子に仕官をせぬまでも客分として王宮に滞在しないかと声をかけられた。
相対しているときの彼の主は、頼りないとまではいかないが、世話を焼きたくなるほど色々なことに頓着せず、守らねばと思うのが常だ。だが、いざこうして根回しし、盾になろうとすると、すでに問題がなくなっている事が多いのだ。それどころか、ランスロット自身の問題さえもあっさりと解決する。
主は私に騎士として守らせてくれるのだろうか?
普段、春の陽だまりのような柔らかい微笑を浮かべる彼の口がきつく引き結ばれている。彼の主は捉えどころが無く、自由だ。ランスロットとしては、常にそばに侍っていたいが、それをすれば逃げ出してしまうのが目に見えている。
唯一の命令が雑貨屋の用心棒だが、怪我から復帰した彼にとって容易い。常時【察知】を使用して、雑貨屋の周囲の把握は完璧にしている。一体何を想定しているのか、はっきり言って、やりすぎなレベルでこなしている。
雑貨屋の用心棒らしいことといえば、しつこい異邦人の客を排除すること。悪質な客は出禁で構わないと許可を得ているため、他の客用に顔はにこやかに、物理的に。
せめて自分の厄介ごとを片付けて主を煩わせぬようにせねば、と思うもなかなか進まないのは雑貨屋の用心棒の片手間に行っているせいだ。彼にとってはあくまでも主の命が最優先となる。
今までは特に必要性を感じておらず、一流の騎士程度までで止まっていた【盾術】の上位スキルもカンスト。九尾にあてられ、向かってきたガウェインの弟二人を殺さずに済んだのは、【盾術】を得た思わぬ副産物だ。優しげな外見と違い、向かってくる相手は全て斬って捨てていたのだから。
騎士ガウェインも帝国から脱し、ランスロットの側についた。マーリンは九尾のいる帝国から出てこない。他の騎士たちが正面からくれば蹴散らすだけであるし、小さな罠を仕掛けてくることはあるかもしれないが、そこまでの心配はしていない。
ランスロットは、シナリオが変わったことを知らないまま、主のために紅茶の淹れ方を完璧にし、ブラッシングの仕方を学ぶ。もう少し、主の役に立ちたいと思いながら。




